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『迷惑掛けたお詫びにいいもの見せてあげるわ。だから手を貸して』
 
 そんなことより事情を訊きたかったアルフォンスだが、まあまあいいからいいから、と誘われ著名な錬金術師の『いいもの』に興味があったのも本当で、結局大してごねることなく腰を上げた。ごねたのは当然エドワードだ。
 詫びなのに手を貸せとは何事だ、と怒鳴るエドワードに悪かったわよでも今のあたしにはものを掴む手がないのよここで見せられないから手を貸せって言ってんでしょ、と反省の色もない居丈高なコルネーリアでは話は平行線だ。
 結局。
 アルフォンスが暴れる兄を持ち上げて運んでいる。
 エドワードは疲れたのか今は離せ下ろせと暴れるのをやめているが、もしかしたら何かよからぬことを企んでいるのかもしれない。
『黄金律の肉体の錬成に入る前にね』
 気をつけなくちゃ、とひとり頷いたアルフォンスは、ふわりふわりと頭上を飛んでいたコルネーリアの声にふと彼女を仰いだ。
『使用人はほとんど全員街に帰したのよ。残ってたのはあたしと主人と執事と、昔からこの家の主人に仕えてるっていう料理番とおばあちゃんメイドがひとり。万が一なんてことがあっても困るしね。そのためにわざわざこんな何にもないところに頑丈な別宅を建ててもらったんだし』
 コルネーリアはぺたぺたと壁に触れる仕種をした。
『窓は破れ放題だし扉もがたがただけど、柱と壁と床は丈夫でしょう? 石組みだし、鉄柱がたくさん入ってるのよ。だからまだまだ倒壊はしないわ』
「………どうしてそんなに、丈夫な建物に?」
『ここが彼らの棺桶になる可能性があったからね。復活までの間、彼らの魂なり肉体なりを保存する大事な棺に』
 思わずアルフォンスは足を止めた。
「…………アル、下ろせよ」
 じっとコルネーリアを睨んでいたエドワードがそう言ってアルフォンスの胸をごんごんと叩く。アルフォンスは素直に兄を下ろした。
 ふう、とこれ見よがしに溜息を吐いて肩が凝ったとごきごきと首を鳴らし、エドワードはもう一度コルネーリアを睨み上げる。
「復活ってのはどういうことだ」
『言葉のままよ。死からの完全な復活。生体錬成の最終目的。───死者の黄泉還りを』
「テメェさっき人体錬成は不可能だと………!」
『ええ、不可能よ。誤算だったわ』
 手招きをしてゆっくりと進み始めたコルネーリアに付いて、アルフォンスは再び歩き出す。それを足音荒くエドワードが追い越して、コルネーリアを睨んだままそれで、と促した。
『あたしの黄金律の生体錬成理論は完璧だったわ。それは自信があった。けれど理論は完璧でも実践には何かが決定的に足りないと、それも解っていたの。必ず失敗すると思ってた。………そうなったとき、まず真っ先に危険なのはあたし自身よね。それから、周囲の生物の生命』
「そこまで解っていて、どうして」
『人体錬成を試みて生き延びた人間は黄泉の国から莫大な才と知恵を授かり還る』
 エドワードやイズミがするようにコルネーリアは両手を合わせて見せた。しかし肉体のない放浪の魔術師には無意味な仕種だ。
『………それを信じていたからね。必ず、黄泉還りの極意は手に入ると考えてた。たとえどんな姿になったとしても、理論を組み立て、錬成陣を書くまで生き延びていられれば。……まあそうでないとしても、何十年かしてもっとずっと研究が進めば、人体錬成も可能になるかもしれないなんて考えてたのよ』
「結局テメェまで死んだんじゃねぇかよ。分の悪い賭けだ」
『あんたあたしのこと誰だと思ってんのよ』
 くるりとエドワードに向き直ったコルネーリアは胸を張って見せたが、生憎エドワードの眼には光球が漂っているようにしか見えない。
『何の対策もしないわけがないでしょ。他の人間の命を預かってんのよ』
「何をしたんですか?」
 首を傾げたアルフォンスに、えへ、と笑ったコルネーリアはみてみて、と大きく空いた胸元を指した。
「………なんですか?」
『よく見て。魂にも焼き付いてるみたいだから見えるわ。ほら、腕も』
 足も、首も、背も、と示された場所に眼を凝らす。
 うっすらと浮かぶ、薄い傷跡のような、けれど美しく螺旋を描く複雑な文字の絡まる紋様。
「…………変形が激しいけど、錬成陣に見えます」
『錬成陣じゃないわ、魔術紋。錬成するためのものではなくて保護するための紋様』
 見えないために必然的に疎外されていたエドワードが鼻で笑った。
「なにが魔術だよ。そんな子供騙しみてーなもんで何ができるんだ」
『失礼ね、魔術は理論が全てよ。錬金術師みたいに今解りうることのみで構築するんじゃなく、今の科学では解明されない事象も積極的に取り入れているだけよ。そういう意味では錬金術より進歩してるんだから』
「魔術師なんて名乗る科学者はいない」
 そりゃそうでしょうよ、とコルネーリアは肩を竦める。
『科学者は科学の信奉者だもの。今の科学で解明できないことはないも同然って考える頭のカタイ連中でしょ。だからあたしは科学者とは名乗らないわ。錬金術も使うし科学も学んでいるけれど、それでもあたしは魔術師なの』
「………けど、効果がなかったんですね?」
 アルフォンスの一言に、コルネーリアはぴたりと動きを止めた。
『…………まあ、そういうことなんだけど』
「何だよ偉そうなこと言っておいて」
『うっさいわね! リバウンドで持って行かれる場所が抽象的にしか解ってなかったんだから仕方がないでしょ! 黄泉の国だったのなら完璧に保護出来たわよ!』
「あの、コルネーリアさん。その紋様、ここに残った他のひとにも施したんですか?」
 まあまあ、と睨み合う二人を宥めてそう言ったアルフォンスに、コルネーリアはううん、と首を振る。
『どんな副作用があるか完全には予測出来なかったしね。実験ならあたしだけで充分だし、これでもどこか欠けてしまう可能性は充分にあったし、全身に入れ墨させてなんてちょっと言えないし。黄泉還らせることは可能だと思っていたしさ』
「………どうしてそこまでして、その……神様を?」
 ふ、とコルネーリアは眼を細めて微笑んだ。
『あたしを召し抱えてくれた主人ってね、敬虔な宗教者で善良で正義漢が強くて誰よりもこの国を愛していたひとだった。でも職業がね、武器商人だったからね。……間接的に大勢の命を奪ってしまった自分はきっと天国には行けないけれど、せめて一度神をこの眼で見たかった、と言ったから』
 多分彼は冗談のつもりだったのだろうけれど、その眼に真摯な色を見たから。
『願いを叶えてあげたいと思ったの』
「………………」
 ゆっくりと先行するコルネーリアの顔は見えない。白い背が寂しげだ、とアルフォンスは思った。
 兄弟は顔を見合わせる。
「その雇い主のひとを、好きだったんですか?」
『そうねー、もう七十近いおじいちゃんだったけどね』
「滅茶滅茶じいさんじゃねーか!」
『いい男だったのよ、でも』
 ふと、嵐の音に混じり地から響くような嗚咽が聞こえた。
『………今は見る影もないけどね』
 落ち着かなげに辺りを見回すアルフォンスの手がぐっと握られた。見下ろすと仏頂面の兄が生身の左手をアルフォンスの鎧の右手と繋いでいる。
 その握力も体温も感じはしないが、なんとなく安堵してアルフォンスはそうっと兄の手を握り返した。
『さあ、ここよ、この部屋』
 階段を昇り、長く複雑な廊下を歩き、また階段を下り昇りと繰り返してようやく辿り着いた両開きの大きな扉をコルネーリアは示した。
『チョークか何か持ってる? ちょっと錬成陣を書き足してもらいたいのよ。ところどころ消えてしまっているから』
「錬成陣?」
 エドワードが眉を顰める。
「何させるつもりだよ」
『まあまあ、見てのお楽しみ』
 胡散臭そうに光球と扉を眺める兄を見下ろし、アルフォンスは扉に手を掛けた。
「せっかくここまで来たんだから、見てみようよ。凄く奥まった場所にある部屋みたいだし、秘密ってカンジで何だかわくわくしない?」
「しねーよ」
 むす、と口をへの字に曲げて、それでもエドワードはもう片方の扉に手を掛けた。
 アルフォンスは笑い、せえの、と掛け声を掛けエドワードと同時に扉を開いた。

 
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■2004/5/8

お、終わりません…ね…。
プロット切ったんですけど…(これでも!?)
もうちょっとのつもり、です。…いやほんとに。
あと2、3回くらい…?

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