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大きく軋んで開いた扉の向こうは、暗く広いホールだった。 ダンスフロアみたいだ、とそんなものなど見たこともないのに呟いたアルフォンスにエドワードが笑う。 「こんなとこで踊ったら足音がすげぇ響きそうだな」 アーチ状の高い天井と滑らかな石造りの床に、腐り落ちかけた厚い緞帳が壁に掛かる。緞帳の影にはやはり黴に酷く侵食された絵画が掛かってるようだが、何が描かれているのかはよく解らない。 そしてその滑らかな床一面に描かれる、巨大で複雑な錬成陣。膨大な量の構築式が美しい模様のように広がり、これひとつ組み立てるまでにどれだけの時間を費やしたのか考えるだけで目眩がする。 「…………スゲェでかさだ」 思わず、と言った様子で溜息混じりにエドワードが呟いた。アルフォンスはうん、と頷く。 「それに、凄く綺麗」 「けどこれじゃあ何にもなりゃしないぜ。構築式の意味が解んねぇ」 何に使うんだこれ、と呟いたエドワードにうふふ、と笑ったコルネーリアがふわりと錬成陣の真ん中へと進んだ。 『そりゃあ頭のカタイ錬金術師には読めないでしょうね』 「うっさいわ! で、何なんだよこれ!」 『出来てからのお楽しみ−』 「ろくでもねぇモンが出来たらどーすんだ! 先に言えよ」 『だいじょーぶよ、絶対害はないから』 「テメェの保証は信用ならねェ。アルに何したのか解ってんのか」 『あたしがしたわけじゃないわよう。………悪かったってば』 無言で睨み付けるエドワードと困り顔のコルネーリアを他所に、錬成陣の上を歩き構築式を眺めていたアルフォンスはうーん、と呟いて腕を組んだ。 「なんだかあれだね、マスタング大佐の発火布に書いてある錬成陣に似てる気がする。こっちのほうがずっと複雑だけど」 「あん?」 「ほら、こことか。火蜥蜴じゃないけど、火蜥蜴と同じ意味の構築式でしょ? ……温度とか空気の成分の調整とかそういうのかな?」 「…………部分的には正しい構築式が書いてあんだな」 「多分、あんまり情報が多過ぎて咄嗟に意味が解らないだけじゃないかな。時間掛けて読み解けば意味は解ると思うよ」 「そんな時間はねぇよ」 にべもなく言い捨てた兄に肩を竦めて、アルフォンスはコルネーリアを見上げた。 「それで、どうすればいいんですか?」 にっこりと笑ったコルネーリアは、まずここ、と足下を指差す。 『ここに今からあたしが言う通りに構築式を書いて』 チョークを取り出したアルフォンスが言われるままに構築式を書く間、まだ仏頂面でいたエドワードに素早く近付いたコルネーリアはほらほらあんたも、と急かす。エドワードはぶつぶつと文句を言いながら、示された場所に言われるままに構築式を書き足した。 そういえばこんな作業は久しぶりだ、とエドワードは思う。あの時から錬成陣など書く必要がなくなってしまったから、普段はチョークも持ち歩きはしないし勿論こうやって蹲って構築式を書き込むことなどもない。 ふと子供の時の、まだ錬金術が遊びと大差なかった頃の懐かしいような息苦しいような気持ちが思い起こされてエドワードは閉ざした口を曲げて乱暴に文字を書き込んだ。力を込め過ぎたのか弟から借りたチョークの端が砕ける。 「コルネーリアさん、この構築式って簡略化できますよ」 黙々と構築式を書き続けるエドワードの後ろで、弟が放浪の魔術師と話している。 「ほら、こっちも。こっち……は、アレンジ入ってるから無理そうだけど」 『うん、解ってる。けど簡略化しないほうが綺麗でしょ?』 なんでもないことのように言ったコルネーリアを、アルフォンスはぽかんと見上げた。コルネーリアはくるりと反転してさかさまにアルフォンスの眼を覗く。 『そりゃあ極限まで簡略化した錬成陣も美しいけど、でもほら、この広間ならこうやって陣の中を文字で埋め尽したほうが綺麗でしょう?』 アルフォンスは広間を眺める。 暗いホールの白灰の床はわずかに黄み掛かり、緞帳はもとは鈍い赤のようだ。染料の流れた絵画はよくよく見ればどうも絵というよりは文字で、これも構築式か、とアルフォンスはひとり頷く。 高い高い天井の、重量感のある煤で黒く変色した梁。 「………そうですね、こっちのほうが綺麗です」 『でしょう?』 にっこりと微笑んだコルネーリアは、次はこっち、とアルフォンスを誘った。 コルネーリアに指示されるままに広いホールをあちらこちらと移動してようやく構築式を書き終えたときにはもうすっかり夜半も過ぎていて、不機嫌になったエドワードはどさりとその場に座り込んだ。 「つッかれたー!!」 『ご苦労様』 「ちょっと手ェ貸せなんつっといて、どこがちょっとだよ!」 重労働じゃねぇか! と喚いたエドワードにアルフォンスがはい、と水筒を渡す。それを受け取り、ぶつぶつと文句を言いながらエドワードは大分酸味の強くなっているコーヒーで喉を湿らせた。その隣にがしゃん、とアルフォンスが膝を抱えて座り込む。 「あとお手伝いすることありますか?」 『ううん、もういいわ、有難う。じゃあ、約束通りいいもの見せてあげる』 すうと巨大な錬成陣の中心へと飛んで行くコルネーリアが、にや、とどことなく高揚した笑みを浮かべたのにアルフォンスはたじろいだ。 「………だ、大丈夫かな」 「今更何言ってんだ。腹括れ」 既に腹を括った顔で腕を組んだエドワードは気難しい表情でゆらゆらと飛んで行く光球を睨んでいる。 コルネーリアは錬成陣の中心でくるりと兄弟へと向き直り、恭しく一礼を見せた。 『行くわよ』 優雅に胸の前へと上げられた両の手の指が触れる。バシバシッと強く静電気の弾けるような音がして、放浪の魔術師を中心に暗いホールを青白い稲妻が走った。 途端、錬成陣から立ち上がったその風景に、兄弟は思わず眼を瞠った。 音楽が聴こえる。 さわさわとざわめく声は楽しげで、微笑む男女が手を取り合い優雅に踊る。 一際美しいカップルが中心へ躍り出、着飾った観客が眼を輝かせた。 談笑するその声すら優雅で、若者から老人まで揃った貴人たちは皆大時代的な衣服で着飾り、流れる紫煙のその色すらどことなく古めかしい。 舞踏会だ、とアルフォンスは胸を押さえた。 「凄い…! 蜃気楼、ですか? 音も聴こえるけど…」 陽炎のような人々を縫うようにして戻ったコルネーリアに興奮気味のアルフォンスが尋ねる。放浪の魔術師はにっこりと微笑んで頷いた。 『君がダンスホールみたいだって言っていたからね、舞踏会にしてみたわ』 「って、この景色って自由自在に変えられるんですか!?」 『んー、まあ大体は。あたしが全然想像できない景色だとちょっとどう計算していいか解らなくて造れないけど』 「………温度差と湿度を弄ったんだな? あとは空気の振動か。こいつらが何言ってんのかまでは解んねーしな。けど計算て、この構築式のどこにこんなディテールが組まれてんだよ」 『説明しても解んないわよ、多分。汎用的な式じゃないし、インスピレーションを優先してるからちゃんと説明できる自信もないもの』 「説明できない計算なんかあるか!」 コルネーリアは唇を尖らせた。 『あるんだから仕方がないじゃない。今の科学じゃ説明出来ないんだもの』 「魔術だってのかよ」 そうよ、と嘯いてコルネーリアは両手を広げた。 『これがあたしの専門よ、本来のね。生体錬成は余技』 「余技って………」 呆れた声を出したエドワードが再び怒鳴ろうとするのを肩を叩いて引き止め、じっと蜃気楼に魅入っていたアルフォンスが高揚した声で言った。 「いいじゃない兄さん、計算なんかどうだって。こんなに綺麗なんだもん」 「お前な、兄ちゃんは科学者としてそーいうのはどうかと思うぞ」 いいじゃない、ともう一度繰り替えして、アルフォンスは兄の顔を見つめた。その赤い眼がきらきらと輝いているように見えるのはきっと気のせいだ。 「複雑な構築式が綺麗だからって、わざわざ手間を掛けて巨大な錬成陣を書くようなひとじゃなくちゃ解らないんだよ、きっと」 がしゃ、と音を建てて首を巡らせ、アルフォンスは再び蜃気楼に目を遣る。 「こういうのを芸術っていうんだよ、兄さん」 ほんとに綺麗、とうっとりと甘い声で呟く弟を眺め、エドワードはふっと溜息を付くと自堕落に足を伸ばして蜃気楼を眺めた。 幻の貴人たちは、ささやかに響く音楽に合わせ優雅に踊り続けている。 |
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■2004/5/9
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