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 ずざざざ、と十字架の下まで後ずさり抱き合って喚く兄弟に、女はうっさいわねえ、と耳を塞ぐ仕種を見せた。
『なんであたしが十字架を怖がらなきゃいけないのよ。あたしはそこらの悪霊みたいに神様に嫌われてなんかいないわ』
「悪霊退散ーッ!!」
『悪霊じゃないってのに。もー、そっちの子がごはん食べ終わるまで待ってあげたんだから、話し相手にくらいなってくれてもいいじゃない』
「いーから消えろッ! 気を遣うんなら徹底的に遣えッ!!」
『ワッガママねー。動く鎧なんてあたしと大差ないよーなもん連れて歩いてるくせに』
 エドワードの金の眼がぎらりと光った。ガッ、と踵を鳴らして立ち上がる。
「アルとてめーを一緒にすんな!!」
『似たようなものでしょ。動く鎧なんておばけ屋敷でだってポピュラーじゃない。あたしだって鎧に取り憑きゃおんなじようなことできるわよ』
「全然違う! アルフォンスは生きた人間だ!!」
「兄さん、落ち着きなよ」
 指を突き付けて怒鳴る兄をどうどうと宥め、まったくおどろおどろしさの感じられない女の発言に逸早く落ち着いたアルフォンスが改めて向き直った。
「ねえ兄さん、このひとのことやっぱり火の玉に見えてる?」
「………おう。火の玉が喋ってる」
「ボクには女の人に見えるよ。透けてるけど結構ディテールがしっかりしてる。これって意志の力かな」
『意志っていうか、この姿になったときの格好ね。魂にこの姿が焼き付いたようなものかしら』
 女はまるで椅子に深く腰を掛けているかのように足を組んだ。形のいい足が露になる。大きく胸の開いたドレスといい艶めかしい眺めだが、生憎アルフォンスには女性美に対する男性的観念からの欲はない。
 細くもなく太くもない、薄く筋肉の浮いた絶妙にバランスの取れた身体だ、とアルフォンスは思った。肉体の黄金律というのはこういう身体のことを言うのではないだろうか。
『………モルモットでも見るような眼で眺めるのはやめてくれない』
「あ、すみません。ただボク、綺麗なひとだなあと」
「ちょっと待て」
 照れたように頭を掻いたアルフォンスを押しとどめ、エドワードが女を指差す。
「眼ってあんた、こいつの表情が解るのか?」
『鎧に取り憑いてるわけじゃなく鎧の中に閉じ込められてるみたいだからはっきりとは解んないけどね、まあある程度は。あんたと違ってひとのよさそうな顔してる子よね。かわいー』
「顔も解んのかよ!」
『その子があたしの姿がはっきり見えるのと同じことでしょ。何驚いてんのよ。魂は肉体の姿を映すわよ。まあイメージ優先になることもあるけど』
 こうすればもっとよく見えるかしら、とふわりと距離を詰めた女にアルフォンスがひゃあと声を上げて後ずさるが、すぐにごつんと十字架の台座へと当たり止まる。女はぬっと半身を鎧へと突っ込み血印へと顔を突き合わせた。
「うわわわわわ!!」
『あ、やっぱりかわいー、お利口そうねー。いくつー? 十歳くらいかしら。早死にねえ』
「ああああ、アル!? てめ、この、どけッ!!」
 エドワードからは光の球体が尾を引いて半ば鎧に溶け込んでいるように見えている。慌てて機械鎧の右腕で払うが、その手は光を擦り抜けアルフォンスの鎧を掠っただけだ。
『んもー、うっさいわねえ。君の兄さんやかましいわよ』
「いいからどけっ、このッ!」
『解ったわよおちびちゃん』
「ちびって言うなーッ!?」
「兄さんおばけ相手にキレても」
 女はすうと離れて再び足を組み、くるりと逆さまに浮いた。
『ねえ、名前訊いていいかしら』
「なんでバケモンに名乗らにゃならんのだ」
『話するのにねえとかおいとかじゃ不便でしょ。あ、あたしはコルネーリア』
「訊いてねぇよ」
『アグリッパって名乗ったほうが通りがいいのかしら』
 兄弟はしんと黙り込み、顔を見合わせた。コルネーリアと名乗った女はにんまりと笑う。
『その鎧の子の足直したときに錬金術使ったでしょう、君。鎧の中の錬成陣も君が施したものかしら。シンプルでいい陣だわ。さすが真理を見ただけのことはある』
 エドワードがぽかんとコルネーリアを見つめた。
 恐る恐る、と言った様子でアルフォンスがコルネーリアに視線を這わせる。
「アグリッパって、コルネリウス・アグリッパ? コルネリウス・アグリッパ・ネッテスハイム?」
『そうよ』
「生体錬成の権威、放浪の錬金術師かよ!」
『生体錬成なんて成功したためしはないけど、そう呼ばれてたわね』
 嘯き、女はでも、と人指し指を振る。
『錬金術師ってのはいただけないわね。あたしは放浪の魔術師』
「そんな大道芸人みたいな名前自分から名乗るのかよ」
『失礼ねー。これだから頭のカタい科学者は嫌いだわ』
 ふん、と鼻を鳴らしたコルネーリアを、アルフォンスがおずおずと見上げる。
「………あの、ボクらあなたの著書、読んだことがありますけど……どうして男性名で書かれてるんですか?」
 コルネーリアは苦笑を見せた。
『あたしの時代はね、って言ってもそんなに何十年も前じゃないけど、学問は男のためのものだったのよ。女で錬金術師なんて、相手にもされないでしょ。だから』
 今はいい時代みたいじゃない、と笑うコルネーリアに、兄弟は顔を見合わせた。
「こーんなとこで放浪の錬金術師に会えるなんてな。………ユーレーだけど」
 どか、と座り込みエドワードはぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「オレはエドワード・エルリック。こっちが弟の」
「アルフォンス・エルリックです」
 よろしくお願いします、とぺこんと頭を下げたアルフォンスとふんぞり返ったままのエドワードに、コルネーリアは苦笑した。
『なによ、急に殊勝になっちゃって』
 兄弟はちらりと視線を交わし、コルネーリアを見上げた。
「あのさ、オレたち、あんたに訊きたいことがあるんだ」
『なによ』
 ごくり、と激しい嵐の音の中でも聞こえそうな程喉を鳴らし、エドワードは唇を湿らせその鋭い視線でコルネーリアを睨め付ける。まるで憎まれているようだわ、とコルネーリアは眉を顰め、僅かに上昇して兄弟から距離をとった。
「あんたさっき、真理を見ただけのことは、って言ったよな?」
『ええ。だってそうなんでしょ? 錬成陣なしで錬成してたじゃないの。それに片腕片足が義肢じゃない。それってリバウンドで失ったものなんでしょう?』
 エドワードはこくりと頷く。
「………でも、それが解るってことは、あんたも人体錬成を」
『ああ、なに? 人間なんか造ろうとしたの? 馬ッ鹿ねぇ。もうちょっと待って大人になれば造り放題じゃないの。男なんだから女孕ませればいいだけじゃない。女じゃ限界があるけどさ』
「孕ませ……って、あ、あのなーッ!?」
「あの、そういうことじゃなくて、ボクたち母さんを」
 ああ、とコルネーリアはつまらなそうに綺麗に整った爪を眺めた。
『死人を造ろうとしたんだ? ふうん』
「そうじゃねェ! いや、じゃなくて、そんなことを訊きてーんじゃねぇ! あんたも人体錬成を行ったんだろ!? その姿は代償じゃないのか!? あんたが見た真理は……い、いや、生体錬成の権威に質問があるんだ」
『あんた言ってること滅茶苦茶だわ。まず事情から話しなさいな』
 兄弟は再びちらりと視線を交わした。コルネーリアはふ、と息を吐く仕種をする。
『あたしの事情を先に聞きたいの? 言っておくけど、あたしは死人を甦らせようなんてしちゃいないわよ。死んで神様の御元で幸せに暮らしている人間をまたこの苦界へ呼び戻したって何もいいことはないもの。どうせ何十年かすればあたしもそっち行く予定だったんだし』
「………じゃあ、どうしてそんな姿に?」
『んー、ちょっと生体錬成に失敗しちゃって』
 てへ、と屈託なく笑ってコルネーリアはくるりと反転した。
『男性であり男性でなく、女性であり女性でなく、神であり人である、黄金律の肉体を造ろうとしたんだけどね』
「…………は?」
 コネルーリアは世間話のように気楽な調子で続けた。
『ちょっと神様降ろそうと思って』
「ちょっとって」
 ぽかん、と兄弟は放浪の魔術師を見上げる。コルネーリアはにこにこと微笑んだままだ。
「……こ、こいつ…………馬鹿だ」
 間違いねぇ、とぼつりとエドワードが呟いた。

 
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■2004/4/29

アグリッパ。と言えば当然ドイツの魔術師ハインリッヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム。
丸パクですみません……!
他有名所でいかにも魔術師って名前はマーリンくらいしか思い付かなくて。マーリンよりはアグリッパでした。

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