−3−

「で、何だったんだ、さっきの」
「さっきのって何が」
「お前全然起きなかっただろ」
 賑やかに廊下を走りながら、恐怖体験からいくらか立ち直ったエドワードの問いにアルフォンスはあああれ、と首を傾げた。
「ボクにもよく解んない。夢見てたみたいな気がしたけど……」
「夢?」
「うん。……あ、兄さんここ! この部屋に隠れよう」
 ぐいと腕を引かれて慌てて飛び込み、比較的壊れていない扉を閉めてエドワードはランタンを翳した。
「何だ? この部屋」
「礼拝堂みたい」
 アルフォンスはふー、と吐けない息を吐くふりをする。
「ここならおばけは入りにくそうでしょ。まだ嵐過ぎないし、外には逃げられないしさ」
 ランタンに照らされた十字架に、ふとエドワードが嫌な顔をする。それに気付かないふりでアルフォンスは部屋を見回した。
「この部屋結構乾いてるし、一晩過ごすにもいいんじゃない? 少し落ち着いたら乾パン食べなよ、兄さん」
「………そうする」
 むっつりと機嫌悪く頷き汚れた床にどっかと座り込んだ兄に首を傾げつつ、アルフォンスは向かい合って膝を抱えて座った。
「あれ、兄さん鞄は?」
「あー、どっかに置いて来た。朝になったら取りに行くよ。別に誰に盗まれるでもねーし」
「まあ、おばけは鞄は盗らないよね、多分」
「なんだったんだろーなー」
「うーん、ここに住んでたひとかなあ。なんかこうね、露出度の高いドレス着て」
「そっちじゃなくて、いやそっちもなんだけど、お前が」
 ボクがなに、と首を傾げる弟にエドワードは半眼になる。
「誤魔化すな」
「誤魔化してないよ。なに」
 言いながら 胸当てを開いてごそごそと紙袋を取り出すアルフォンスにエドワードは手近な小石を投げ付けた。兜がかいんと軽い音を立てる。
「何すんだよー」
「何すんだよーじゃない。ちゃんと説明しなさい。どんな夢見たんだ」
 アルフォンスは痛くもない頭を撫でながら無言だ。むくれたふりをしながらどう説明すればこの兄の追及から逃れられるのかとそう考えているに違いない、と見当を付けたエドワードは、腕を組んでじっと睨んだ。
「アルフォンス。何かあってからじゃ困るんだぞ」
「大丈夫だよ。ちょっと夢見ただけなんだから」
「まずそれがおかしいっての。いいから素直に言え。それとも言えねーよーなやらしー夢だったのか」
「何言ってんだよもー!」
 兄さんのすけべ、とぶちぶちと文句を垂れながら、紙袋をふたつと水筒を取り出して腹を閉めたアルフォンスは再び膝を抱えた。
「えーとね、鎧の身体で、どこかの倉庫に置き物みたいになって転がってる夢でした」
「…………それで?」
「以上。それだけ」
「なにそれ」
「ボクに訊かれても」
 それよりはいごはんー、と渡された紙袋と水筒を一旦受け取りすぐに脇へと置き、エドワードは立ち上がり腕を伸ばしてアルフォンスの頭をかぽりと持ち上げた。
「錬成陣は傷付いてるわけじゃねぇようなんだけどな。湿気で溶けたかな」
「………それよりあのおばけの仕業だと考えたほうがそれっぽくない?」
「あんな科学的に証明できねーよーなもんに原因を押し付けるのはよくない」
「よくないったって、いるもんは仕方がないよ」
「仕方がないなんつー言葉はやることやってから言え」
「やることったって、血印の確認はもう済んだじゃない」
「………アルフォンス君」
 ふと調子の変わった声にアルフォンスは僅かに黙る。
「………なに」
「君、胴体ン中汚れてますね」
「掃除するよ」
「動物の毛が散らばってるように見えるんだが」
「気のせいでしょ」
 覗き込んでいる兄の眼が怖い。
「お前なー! また猫入れたな!?」
「入れてない」
「嘘吐け!」
「吐いてないもん! 今入ってないだろ!」
「てめー昨日図書館にいねぇと思ったら飼い主探ししてたな!? そんなもんに時間使うんじゃねぇ!」
「しょーがないだろまだスッゴクちっちゃい猫だったんだよ! 親猫が死んじゃっててみーみーってごみ箱のとこで!」
「やっぱり入れたんじゃねーか!」
 がぽ、と乱暴に戻された頭をがいんと殴られ、揺れた視界にアルフォンスは気分だけは唇を尖らせた。
「いいじゃないか、ちゃんと飼い主見つけたんだから」
「そういう問題じゃねーんだよ! 猫なんか入れて血印に爪でも立てられたらどーする。猫が爪磨いだせいで死んだなんつったらオレはもう泣いていいのか笑っていいのか」
「………そのときはとりあえず怒っていいから」
「いいからじゃねぇ」
 またがいんと殴られた。殴るなよー、とズレた兜を直しながら、アルフォンスは紙袋を指差す。
「とにかく食べなよ。お腹空いたでしょ」
 エドワードはまだぶつぶつと文句を言いながら紙袋を開き、乾パンと鶏の薫製と昼に食堂車で詰めてもらったコーヒーで食事を始めた。その姿を眺めながらあーまたあんまり噛んでないし、栄養がちゃんと吸収されないからちっちゃいんだよ、と内心呟き、アルフォンスは室内を見回す。
 ひび割れたステンドグラスが時折稲妻に浮かぶ。その光にくっきりと照らされる十字架は妙に白く、そういえばこの姿になってから教会なんか行ったことがなかったなあ、と考えながらアルフォンスは頬杖を突いた。
「何見てんだ?」
 口をもぐもぐと言わせながら尋ねたエドワードに、視線を向けずにアルフォンスは十字架を指差した。
「ステンドグラス。かみなりが光ると綺麗だよ」
「そっかあ? 無気味だよ」
「兄さんは情緒ないもんなー」
「情緒なんて何の役に立つんだよ」
「心が豊かになるよ」
「いらねー」
 残った鶏を口に放り込みコーヒーで流し、エドワードは紙袋を丸めた。
「ごちそうさまでした!」
「お粗末様でした」
 ボクが作ったわけじゃないけど、と付け足してアルフォンスは丸められた紙袋と半分コーヒーの残った水筒を再び腹へとしまう。
「ゴミなんかしまうなよ」
「ここひとんちだもの。残して行っておばけに祟られたら嫌じゃない」
『あら、いい心掛けねー』
 兄弟はぴたりと動きを止めた。
『ゴミは持ち帰る、ピクニックの基本よね。今時の子にしちゃ珍しく礼儀正しいじゃないの、君』
 ぎぎぎぎ、と音がしそうな程ぎこちなく声の方向へと顔を向けた兄弟の視界で、逆さまに浮いていた女がくるりと回転してにっこりと笑った。それでもまだ身体は斜めだ。
「うわあああああーッ!?」
「おばけーッ!!」
「なんで礼拝堂に出るんだよッ!?」
 詐欺だーッ! と喚いたエドワードの絶叫が廃屋に響いた。

 
2<<   >>4

 
 
 
 

■2004/4/28

NOVELTOP