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 事の起こりは列車の横転事故だった。
 幸いなことに死者は無く、エドワードも軽く擦り傷を作った程度で怪我はなかった。むしろ兄を庇って下敷きになったアルフォンスの、大きくへこんだ鎧の修復に手間取ったほどだ。
 が、死者が出なかったとはいえ結構な怪我人は出た。当然だ。荒野の真ん中を、何の遠慮も無く高らかに汽笛を鳴らして調子よくスピードを上げていた列車が横転したのだ。死者が出なかっただけでも奇跡だ。
 だから結局、連絡を受けて迎えに来た馬車が最寄りの街へと真っ先に運んだのは怪我人で、軽傷の者はこの横たわった列車の中か荒野で一夜を明かすこととなったのだ。
 その退屈に耐えられない、と立ち上がったのは例によってエドワードだった。
 どうやらもっとも近い街へは、五、六時間も歩けば着くらしい。
 そう情報を仕入れてきた兄を、一応は止めはしたものの止められるとも思ってはいなかったアルフォンスは、まあ疲れたらボクがおぶればいいか、と内心溜息を吐いて、そうして出発したのが夕方前。そのときにはまだ空は晴天が広がっていて、まさか荒野のど真ん中であんな嵐に見舞われるとは予想だにしていなかったのだ。
 見る見る夜空は掻き曇り月が姿を消し、湿った強い風が吹き始めて、そこで兄弟はまずいな、まずいね、と顔を見合わせた。
 身を隠す場所もない荒野だ。ただの雨ならアルフォンスの中にエドワードを詰め込んで雨宿り、という非常手段も取れなくはなかったが(けれどもちろん、エドワードは大いに嫌がる)、嵐となると落雷があるかも知れない。
 人間が立っているだけで危険だというのにエドワードの右腕左足は鋼だし、アルフォンスに至っては全身鋼鉄だ。たとえ地面に伏せていたところで、避雷針に誘われるかのように落雷は彼を目指して走るだろう。それで鋼の鎧がどうにかなるわけではないだろうが、血印は炭化して落ちるかもしれない。そうなればアルフォンスは死ぬ。
 ああほんとまずいよ、呟いたエドワードが、錬金術で穴でも掘って身を隠すか、でもそうすると雨でオレが溺れるかも、と悩んでいたとき、アルフォンスがそれを見つけた。
「兄さん、家がある」
「は?」
「大きいお屋敷」
 ほら、と指差された先に、ついに遠くの空でごろごろと光り始めた雷に照らされ、黒々としたシルエットが浮かぶ。
「こんなとこに家だと?」
「いいから、行って雨宿りさせてもらおうよ。降って来た」
 雷も近いよ、とそわそわと空を見るアルフォンスに、エドワードはそれもそうだ、と頷き弟を促して駆け出した。乾いた大地に、大粒の雨がばたばたと強く落ち始める。
 みるみるうちに大降りになった雨にぐしょ濡れになりながら飛び込んだ屋敷は辛うじて門扉は残るものの肝心の塀はほとんど崩れて瓦礫が残るばかり、玄関の扉は半ば外れ窓はほとんどが破れ雨風が入り放題と明らかに廃屋だったが、それでも外よりは遥かに居心地はよかった。
 兄さん頭拭いてお前こそ身体拭け錆びるぞ、とばたばたしていた兄弟もやがて人心地付き、まだまだ始まったばかりの嵐をやり過ごす暇潰しにちょっと探検をしてみようか、と決まるのにそう時間は要しなかった。
 やたらに広い廃屋はどこもかしこも傷みほとんどの調度品は既にこの屋敷の住人か泥棒によって持ち出されて久しいようだったが、それでも残された壊れた調度品から相当の金を注ぎ込んで建てられたものであることはそういったことに詳しくない兄弟にもよく解った。
「金持ちの別荘かな」
 細かな彫刻のされた階段の手摺を撫でていたアルフォンスが首を傾げる。
「こんな何にもない荒野に?」
「いや、三、四十年くらい前にはこの辺は草原だったって聞いたぞ」
「どこで」
「列車ん中。メシ買いに行ったときに食堂車のおばちゃんが。何が原因なのか解んないらしいけど、あっという間に乾いて荒野が広がったらしい」
 ふーん、と呟きアルフォンスは高い天井を見上げた。
「………じゃあ、その頃から無人なのかな、ここ」
「そうかもな。いくら無人の家が傷むったって、ちょっと十年じゃきかねーだろ、これ。床から草生えてるぞ」
「二階は大丈夫じゃないかなあ。雨漏りさえしてなきゃ二階のほうが過ごしやすいかもね」
「アル、お前床踏み抜くんじゃないか?」
「ボクより兄さんのが重いよ。機械鎧、結構重量あるんでしょ」
 兄弟は無言で顔を見合わせた。
「…………。一階で風も雨も入らない黴が少ない部屋がないかを先に探そう」
「いざとなったらボクの中だね。風入んないしあったかいよ、多分」
「それは絶対イヤだ」
 なんでー、と心底不思議そうに返しながらがしゃんがしゃんと追い掛けて来る弟に何で解らんのだと青筋を立てながら、エドワードは手近な部屋の扉を開いた。途端にがこん、と外れた扉はもうもうと埃を立てて倒れる。
「………兄さん、もうちょっと優しく」
「この家がボロ過ぎんだよ! 広いばっかであっちもこっちもガタガタしやがって」
「まあ、確かに広いよね」
 うん、と頷きアルフォンスは胸当てを開くと中からランタンを取り出し夜目の利かない兄へ渡す。
「手分けして見て回ろうか。怪我しないでね」
「おう。お前も滑って転ぶなよ。結構床濡れてるからな」
 うん、と頷き手を振って反対側の廊下へとがしゃんがしゃんと消えた弟を見送り、エドワードはポケットからマッチを取り出して擦った。途端風に吹き消されそうになった炎に慌ててランタンへ突っ込む。
「こういうときあの放火魔がいりゃあ便利だろうなあ」
 それともこんな細かな火は付けられないのだろうか。
 まったくあの男の錬成の仕組みは良く解らない。たしか火蜥蜴の、とぶつぶつと呟きながらエドワードは部屋を見て回る。
 扉を十近くも覗いて回った頃だろうか。唐突にがらがらがらん、がしゃーんと響いた金属音にエドワードは竦み上がった。恐ろしい勢いで血の気が引く。
「………アル!?」
 気付いたときにはもう踵を返して先程アルフォンスが去って行った方向へと駆けていた。
「アル! アルフォンス! どこだッ、返事しろ!!」
 開いている扉の隙間へ頭を突っ込み、閉じている扉を蹴り開けながらエドワードは大声で弟の名を呼ぶ。しかしアルフォンスからの返事はない。
「アルフォンス!!」
 おかしいおかしいおかしい。先程の音は絶対アルフォンスだ。どこかへ落ちたような音だった。階段でも落ちたのか。けれどそれなら返事くらい。
 ───階段。
「………地下か!?」
 半分閉じかけていた鉄の扉をがんと蹴り開け、エドワードはぽかりと暗闇へと誘う石の階段を見つけランタンで照らした。いかにも滑りそうなすり減った階段だ。
「アール! 返事しろ! いるのか!?」
 叫びながら足は既に階段を駆け降りている。
「アル!?」
 だだだっとたたらを踏み、エドワードは壁に頭を預けるような体勢で仰向けに倒れているアルフォンスの側へと膝を突き、慌てて鉄の巨体を揺すった。
「おいアル! しっかりしろ!! 起きろって!」
 鎧は返事もしない。いつもは爛々と輝いているその赤い眼も今は光を失い、ただ暗い眼窩が空洞の闇を覗かせるだけだ。
「起きろってのに!!」
 エドワードはがん、と機械鎧の右腕で鎧を殴りつけた。
「アル!! アルッ!! 起ーきーろーッ!!」
 がんがんと殴り続けるが鎧は動く気配もない。目の前がぐらぐらと煮えたように揺らぎ赤い。
 ああ腹が立つ。この弟は自分がこれだけ呼んでいるのに、どうして眼を醒まさないのだ。いつもはこちらが起こされるというのに、これでは役割が逆だ。
「兄ちゃんの言うこと聞けねーのかこの馬鹿ッ!!」
 喉が裂けそうなほど怒鳴りがつん、と殴った腕が見事に鎧を凹ませたのを頭のどこかで認識しながら、再び腕を振り上げたエドワードはまるで何事もなかったかのようなアルフォンスの幼い声にぴたりと動きを止めた。さっと清浄な光が差したかのように晴れた視界にエドワードはほっと息を吐いた。

 
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■2004/4/27

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