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 昼下がりの温かな日射しが明かり取りの小さな窓から細く差し込み、その光の中で埃がゆっくりと泳ぐように舞っている。
 ことりとも音のしない倉庫の隅で、すっかり曇った鎧に埃がたくさん積もっている。肩の装甲や額の角には蜘蛛の糸が絡み、その糸にも埃がついてまるで薄衣のカーテンのようだ。
 投げ出された手足はしまわれている、というよりも放り込まれている、といった様子で、傾げた頭の眼のあたりが赤く光るのだという噂がまことしやかに囁かれている。
 とはいえ、この廃屋の倉庫をわざわざ覗きに来る者もいないから、それはただの噂となって、密やかに物好きな人々が囁く小さな楽しみとなっているだけなのだが。
 実際、鎧はもう長いことぴくりとも動いたことはなかったし、もう随分と以前から僅かも思考することを止めていた。けれど忘れたわけではない。今でも一旦むくりと起きだして言葉を紡ぎだしたのなら、いつでも昔と同じように物を考えることは出来たし、何ひとつとして忘れてなんかいないのだ。
 ただ、考える必要がないだけで。
 いつか朽ちるのだろう、と思ってここに座り込んだのはいつだったのか。つい昨日のような気もするし、百年も経ったような気もする。
 そう考えて、鎧はおや、と胸のうちで呟いた。
 
 止めていたはずの思考が働いている。ああ、どうして眼を醒ましたのだろう、ボクは。
 錆びて朽ち果てていつか兄さんの血印が錆に侵食されるまで、黙って待とうと決めていたのに。
 
 
 
 
 そして気付く。
 身体中ががんがんと響いていることに。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「アル! アールッ! 起きろこの馬鹿アルッ!!」
 ふ、と戻ってきた視界の中で、機械鎧の腕でがんがんと殴りつけながらただでさえ吊り上がった金色の眼をより吊り上げ、物凄く怒った顔で怒鳴っているのは兄だった。
「起きろっつってんだろ!? 兄ちゃんの言うこと聞けねーのかこの馬鹿ッ!!」
「兄さん、ボクべこべこ。直すの大変だから殴らないで」
「………アル!?」
 エドワードの暗くぎらぎらと輝いていた眼がぱっと明るくなった。表情から怒りが抜ける。
「眼ェ醒めたか!? どうしたんだよ、どっか変なとこないか!? ちょっと血印見せてみろ!」
 大丈夫だよー、と言いながら頭を持ち上げると、丸く切り取られたように切り替わった視界にエドワードの顔が覗いた。亀が首を引っ込めるように、視点が鎧の中の胸のあたりに下がったのだ。この視界の切り替わりが、アルフォンスには自分のことながらいつも不思議だ。兜を被っているときにはきちんと一定の場所、ちょうど眼のあたりに保たれているし、頭を取ったまま走り回るときには視点は首のあたりにあって、ちゃんと周りが見えているというのに。
 妙に真剣な顔でアルフォンスの中を覗いていたエドワードは、うーん大丈夫そうなんだけどな、と呟きながら小さな錬成陣の周囲を指で撫でた。アルフォンスは無い感覚で、どことなくくすぐったいような奇妙な気分を感じて首を竦めるようにさらに視点を落した。猫の毛の残っている胴体の中。見つかる前に掃除しなくちゃ、とアルフォンスはくるくると自分の中を見回した。
「気分悪くないか?」
 兄が頭を引っ込めたので慌てて兜を付けながら、アルフォンスはうん、と頷く。
「どこもなんともないよ。平気」
「うわ、お前ぼこぼこ」
「兄さんが叩いたからだろー」
「馬鹿、ちげーよ。お前階段から落ちたんだよ」
 え? と呟いてあそこから、と指差された先を見ると、石の階段がある。改めて周囲を見回すと、どうやら階段から一番下の地下まで転がり落ちて、そこに蹲っていたようだ。
「お前が気絶するなんて有り得ねーよな? なんだろうな。……身体動くか?」
 アルフォンスはぐるぐると腕を振り、身体中を確かめ、放り出していた足を持ち上げてあ、と呟く。
「右足」
「うん?」
「なんか外れ掛け。変な音する」
「どれ」
 確認してあー、こりゃまずいな、とぶつぶつと呟きながら、エドワードはぱんと両手を打ち合わせる。その両手が右足へと触れ、錬成反応の稲妻が散るのを視界をしぼって眺めたアルフォンスは、なんの気なしにふと視線を上げてぽかんと動きをとめた。
「に……兄さん」
 直した足の確認をしていたエドワードは、つんつん、と頭を突ついた指をうるさげに払ってあんだよ、と返すが視線も上げない。
「兄さん!」
 アルフォンスの声がひっくり返った。驚いたエドワードは慌てて弟の顔を見上げる。アルフォンスは斜め上空を見つめたまま、あれあれあれ、と指差した。指差された先にはふわふわと漂う光の玉。
「こりゃあ……球雷? いや、リンが燃えてんのか」
「あれ! ボクあれ見て吃驚して落っこちたんだよ!」
「あー? なーにやってんだよ、アル。この先がカタコンベにでもなってんじゃねーかな。リンが燃えてんだよ多分。なに怖がってんだ、お前も科学者だろーが」
 ランタンに照らされる廊下の先の扉を示し、呑気にへーこんな綺麗な球体になるのかー、などと見上げている兄に、アルフォンスは悲鳴のような声であわあわと叫んだ。
「あの部屋扉閉まってるじゃない! それにこんな無人の館のどこに火元があるのさ兄さん!? ランタンはさっき付けたばっかりでしょ! っていうか、これのどこが火の玉ー!?」
「へ?」
「どこから見ても女のひとじゃないかーっ!」
 うわーん怖いよ兄さん! と喚いたアルフォンスをおおお、落ち着け、と改めて血の気の引いたエドワードが宥める。その兄弟に、どことなく陰鬱に響く女の声が掛けられた。
『怖いなんて言わないでよ酷いわね……』
「なななな、なんだ誰だ!?」
「うわ喋った!?」
『あら、そっちの子にも聞こえるのね。へー、やっぱり子供は感受性が……って、あら、ちょっと?』
「おばけだーッ!!」
『に、似たようなもののくせに何失礼な』
「逃げるぞアルッ!」
『待ちなさいよちょっとー!?』
 まろぶように階段を駆け上がるエドワードを、女の声を背に受けながらアルフォンスは慌てて追い掛けた。
『もうっ! ひとの話くらい聞けーッ!』
 弱々しく怒鳴る、何故か耳に寒い声が階段の下で殷々と響いているのを聞きながら、兄弟は館の暗く長い廊下を駆けた。
 割れた窓から大粒の雨が舞い込み、荒野を照らす雷光が見えていた。
 嵐はまだ納まらない。

 
>>2

 
 
 
 

■2004/4/25

アルの錬成陣(血印)に触れる行為がとてもエロいように錯覚。
兄エロいよ。この変態!←お前が変態だよ
続きます。そんなに長くはならない予定です。
ところで『嘲笑う』で『わらう』と読んでください。無理矢理。

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