結局30分ばかり余計にアルフォンスを待たせ、帰りがてら女性に人気があるという異国料理店で食事を取り、共に帰宅したのが一時間前。 突然の留守番と突然の臨時同居人にアルフォンスはしばらく戸惑っていたようだったが、幸い幼児のように愚図ることも泣くこともなく素直に手を洗い、うがいをし、着替えの在り処やリネンの在り処を教えてロイの入れた薄めた紅茶を飲み、眠くなる前に風呂だ、と言うとやはり素直にバスルームへと案内してくれた。 本物の子供もこれくらい素直なら子育ても楽だろうになあ、とやったこともない子育てに思いを馳せながら、ロイはシャワーヘッドを手に取った。 「さ、流すぞ。眼を瞑りたまえ」 「はーい」 アルフォンスは慌ててぎゅっと眼を瞑り、それでも足らずに両手で顔を押さえた。 鎧の姿でいたときもそうだったが、大きな身体に似合わない仕種が微笑ましい。 ロイはついつい頬を緩め、これが庇護欲というものかな、と考えながら金髪の泡を流した。丸めた白い背にくっきりと肩甲骨が浮いている。アームストロング中佐が言っていたように多少体重は増えたようで肋骨は目立たなくはなっているが、それでもあまりに痩せぎすだ。消化器官の働きがまだ大人の身体を支えることができるほど発達していないらしく、この体格に必要なカロリーを摂取することが困難なのだと以前知り合いの医療スタッフから聞いた。 たしかに吃驚するほど少食ではあったな、とロイは夕食を思い出す。もう少し栄養価の高い、少量で事足りる食事を選んでやるべきだったか。 「よし、終りだ」 ぷは、と止めていた息を吐いて顔を拭うアルフォンスにタオルを被せわしわしと軽く拭いてやる。 「自分でやるー」 「ん、そうか」 浴槽から出て不器用に身体を拭く様を眺め、拭き切れずに水の滴る背を軽く拭ってやってパジャマを着せる。ボタンを止める様も辿々しい。まだ肉体の使い方に慣れないのだろうか。 ストーブで暖めていたリビングへ戻り、わしわしと髪を拭く。さっさと乾かしておかなくては風邪を引かせてしまう。そうなればあの兄に何を言われるか解ったものではない。 「ボク自分で髪拭けます。しょーぐんも着替えてください」 「後で風呂を借りるから、そのときでいい」 「ダメ。カゼ引くから」 びしょぬれ、と濡れたワイシャツを引っ張られ、ロイは苦笑する。 「解った。風呂を借りて着替えてくるから、ちゃんと拭いておくように。ストーブの近くにいるんだぞ」 「はあい」 アルフォンスは言われた通りにストーブの前へと座り込み、ごしごしと被ったバスタオルで髪を拭いている。その仕種を確認し、ロイはバスルームへ向かった。 軍隊生活が長いせいか普段もそう長風呂でもないのだが、いつにも増して烏の行水で戻るとアルフォンスはストーブの前に座り込んだまま何やら熱心に絵を描いている。産毛のような髪は半乾きで、ロイはこら、とその形のいい頭を掴むように手を乗せた。 「髪が乾いていないぞ」 「ごめんなさあい」 口では謝りながら、アルフォンスは眼を上げない。ロイは仕方ないな、と落ちていたタオルを掴んでアルフォンスに被せ、わしわしと拭いた。ぐらぐらと揺れる頭にアルフォンスが抗議の声を上げる。 「描けないよー」 「もう少し乾かしてからだ」 うー、と不満そうに呻くアルフォンスの声を聞きながら、ロイはふと『お絵描き』を見る。 その独特の、円陣。 「錬成陣じゃないか。何を造るつもりなんだね、アルフォンス君」 ぷは、と止まったロイの手の中のタオルから顔を出したアルフォンスは、いつでも遠慮なく見開かれている大きな金の眼を輝かせて笑った。 「けんじゃのいし」 一瞬、息が止まった。 「………なんだって?」 「けんじゃのいしを造るの。それでね、兄ちゃんをなおしてあげるんです」 ロイは即座に駄目だ、と否定し掛けた言葉を飲んだ。アルフォンスは邪気の無い顔で笑顔を失ったロイを見上げている。僅かに怯えの色がその眼に宿ったが、何か叱られるのだろうか、と、そう不安になっただけだろう。自分の発言の意味を理解しているわけでは、多分ない。 ロイはアルフォンスに向かい合い、胡座を掻いた。 「兄さんは知っているのか? 君が賢者の石を造りたがっていると」 「兄ちゃんにはナイショです。ビックリさせるんだもん」 「内緒か……」 そうだろうな、と口の中で呟きロイは額を抱えた。あの赤い輝きの代償を知っているエドワードが、最後の最後までそれをせずに人体錬成を成功させる術を探し続けていたあの青年が、弟のこの望みを知った上で放置するとは思い難い。 至高の輝きの底に無数の命の怨嗟を敷くあの石をこの無垢な青年が求めることを、エドワードは決して赦しはしないだろう。 たとえ今のこの白い手が何も出来ない無力な手であったとしても、望むことすら拒否するはずだ。 無垢な望みの上だとしても、アルフォンスが汚れることをあの兄は由とはしない。 かつて彼ら兄弟は、無邪気で無垢な愛を真っ黒な罪で塗り潰したのだ。 しかし困ったな、とロイは呟く。どう説明したらいいものか。 「………しょーぐん?」 「うん」 首を傾げるアルフォンスの顔を覗き込み、ロイはその眼を見つめた。 「賢者の石がなくても兄さんを直してあげることはできるんじゃないかね?」 「えー……でも………」 「君の兄さんは石の力を借りずに君を元に戻したんだぞ」 「でも」 アルフォンスは唇を尖らせる。 「はやくなおしてあげたいんだもん」 うーむ、と唸り、ロイは腕を組んだ。 「急がば回れと言ってだね、つまり急ぐときほど慎重に物事を運ばねばならんということなんだが、大切なことであればあるだけ近道ばかりを探すのは愚かなことだよ、アルフォンス君」 「でもはやくしたほうがいいでしょ?」 「まあそうなんだが……とにかく」 ロイはぽん、とアルフォンスの頭に手を置く。 「賢者の石はね、アルフォンス君。お伽話なのだよ。造れないのだ」 「嘘」 「本当だ。錬金術師とて人間だ。人間の手で造り出せるものには限界があるのだよ。賢者の石はひとの手に余る」 「………嘘だもん。造れるもん」 ロイは見る見る意気消沈する青年の手を取り、軽く振った。 「せめてもう少し大人になるまで待ちなさい。賢者の石にまつわる事々を知るには、君はまだ幼い」 「知ってます………。にんげんがたくさん必要なんでしょ」 ロイは骨張った手を握ったままアルフォンスを凝視した。俯いた青年はゆらゆらと軽く上体を揺らし、歌うように呟いた。 「賢者の石。天上の石。哲学者の石。冶金石。錬金霊液。ティンクトゥラ。第五原質。赤い石状、もしくは粉状、もしくは液状。原材料は複数の人間。ただしその場合出来上がる石は不完全。永久に完全な物質として君臨する賢者の石は未だ現れてはいない」 ロイは空気を求めて息を吸う。乾いた喉が微かに鳴った。 |
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■2004/5/21 |
人間を材料にせずに賢者の石を造るのは不可能であるという前提でお願いします。原作でこれからどうなるかは解らないのですが。まあパラレルということで。←免罪符のつもり? |
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