「─────ッ、」 強く引いた唇の奥で、痛々しく喉が詰められた。左手を床に縫い止められたままエドワードはゆっくりと下肢を呑む熱に小さく瞳を眇め、苦痛を示す閉じられた瞼を見上げる。ゆらゆらと揺れた黒髪を伝って、ぽつりと汗が落ちた。 手を添えて、腰を引き落としてやったほうが多分、楽なのだ。それは解っている。 けれど捕らえられていない鋼の右手は放られたままぴくりともしなくて、生身の左手も喩えその力無い熱い手に手首を戒められていなかったとしても動かなかっただろう、とエドワードは思う。 「…………っ、ふ……」 体内に欲を全て呑み込み、はあ、と安堵したように息を吐いて瞼を上げた黒い眼が金色を映した。ロイはふと、困ったように微笑する。今日初めて見る笑みに、けれど見たことのない色を見つけてエドワードは瞳を歪める。その子供に構わず、男の指が目元を辿った。 「眼を閉じていろと言ったろう………」 「………なんで、」 ふ、と、甘やかに笑う、そんな顔はエドワードは知らない。 まるで遠いような、別の誰かのような、───恋をしているような。 「見つめられていると恥ずかしいじゃないか……」 「………何、馬鹿言ってんの」 「馬鹿とは酷いな」 くすくすと笑う様に膨れ上がる違和感に、エドワードは眉を顰めた。 「………酔っぱらってる?」 「いいや。……酒の臭いでもするか?」 「しねえけど………」 口籠もり、エドワードは僅かに視線を泳がせてそれから握力のほとんどない掌の下から左手を奪い返した。その手を伸ばしてあまり乱れてもいない半分ほどボタンを外しただけのシャツに指を掛ける。 途端、弾かれた。笑みと共に全ての表情が抜け落ちる。 「触るな」 「………突っ込まれといて、何、今更」 「違うな、俺がしたいだけだと言ったろう。君にして欲しいなどとは言っていないし、させるつもりもない」 濡れた体内から感じる脈が、早い。唯一触れることを許されている粘膜は快感に疼くのに、けれどエドワードはそれを突き上げる気にはならなかった。 弾かれ宙を彷徨っていた指が、ゆっくりと下ろされる。 「………何、誰でも良いって?」 「まさか」 ふ、と、小さく笑んだそれは先程の蕩けそうな、どこか幸せそうなそれとは違う。 「誰彼構わず性欲処理に付き合わせるほど飢えてはいないつもりだ」 激したわけでもなくどちらかと言えば静かな物言いであるにも関わらず、微かに息が乱れ語尾が掠れる。頬は紅潮しうっすらと汗を掻いているのが見て取れるほどだと言うのに、微かに顰めた眉は苦痛を示す。 は、と、一際大きく、整えるように息を吐いて、ロイはさら、とエドワードの腹を撫でた。 「………子供を犯すのは気分が悪いが」 「─────、」 「君ならお互い様だからな………」 うつむき加減の黒髪の合間から、夜色の眼が冷ややかに覗く。 「………報復ってこと?」 肯定を求めるようなその眼に、エドワードは口内が乾いて行くのを感じながら呟いた。己の掠れた声が鼓膜を打ち、同時にまざまざとあの嵐の音を思い出して血の気が引く。 ああ、こら、とロイが嘲笑った。 「萎えるな………馬鹿者」 締め付け揺らされて、驚くほど強く水音が響いた。体内に熱を放ったわけでもないのに自ら解しただけのそこはもう充分に濡れていて、わざと煽っているのか小さく喘ぐその様に素直に煽られ直ぐに力を取り戻す雄に、エドワードは酷く居たたまれなくなって唇を噛む。 「う……っ、」 行為を終えた後のように熟れた体内に締め付けられ揺すられて、エドワードは食い締めた歯の合間から呻きを洩らした。欲と熱に潤んだ、けれどどこか冷ややかな眼を覗くのが嫌で右腕を瞼の上に押し付け視界を遮ると、鋭くなった聴覚に乱れた息遣いが届く。ゆっくりとした律動は、それでも酷くエドワードの熱を煽る。 は、と強く息を吐き、エドワードはこれが終われば話を聞いてもらえるのだろうかと考えた。それからそれは随分と可能性の低い甘い考え方だと思う。 彼の気持ちを聞いて、自分の気持ちを話して、雁字搦めになっているわけをひとつずつ解きほぐして、───多分、寂しく思ってくれた恋人に、謝罪を。 ああでも、とエドワードは熱い息に乾く口の中で呟く。 謝罪をしたいのに、これ以上傷付けたくないのに、ここまでさせているのは───自分だ。 怒っている、のならまだいい、のだが。 ふいに、首筋にさらりと黒髪が触れた。エドワードは思わず腕をずらし眼を開く。間を置かずに肩口に額が押し付けられて、むっと強い熱の気配が頬を擽った。 「たい、さ、………アンタ、なんか熱くねえ」 手首に添えられた震える指も熱くて、思わず硬く冷たい右手を首筋に添えるとびくんと大きく身体が震えた。その拍子に手首から離れた指が床を小さく乾いた音を立てて掻く。 「………触るな」 エドワードはびくりと右手を離した。囁いた声は熱に掠れて、けれどそれでも強く拒絶を示す。 しかし身体を支えることが出来ないのか、触るなと言う割にロイは倒した上体をエドワードに預けたままだ。 快感が過ぎるのが不快なのか、小さく息を吐いて再開された腰の動きはやはり緩慢だったが内部は熱く熟れて、律動のたびにエドワードへと絡み付く。エドワードは息を呑み、ちかちかとする視界をぎゅっと目を瞑って堪えた。立ち上る体臭に性感が煽られて、ちらりと不審に思ったが押し寄せる快楽の波にすぐに思考の合間に隠れてしまう。 「………ッ、ふ……」 「大佐、ちょ……も……ッ、」 ぞくぞくと腰を上る痺れの波に耐え兼ね、限界を訴えて首を振る。触るなと拒絶されるだろうかと思いながらも咄嗟に両腕を伸ばして肩を掴み押し遣ろうとするが、逆に深く呑まれて強く強く締め付けられた。エドワードは息を詰める。肩に添えた指がその白いシャツに皺を刻み力を込めたが、ロイは何も言わずにただじっと動かずにいた。 荒い息遣いだけが室内に響き、達し終えたエドワードがごく、とひとつ唾を呑んで息を整えるとそれを合図にしたように伏せていた男が身を起こした。そのままなんの躊躇もない動きでずるりと結合を解く。 ちら、とエドワードを見た疲れたような、けれどまだ目元に艶めかしく色を乗せたままの双眸がふっと困ったように瞬いた。しかしその一瞬だけ険の抜けたような表情から何かを読み取ろうとする前に、ロイは立ち上がりふらりとよろめきながら居間を出て行く。視界を一瞬横切った白い足に、先程体内へと放った精が伝ったのが見えた。 「………………、」 しばらくぼんやりと天井を見上げ、床を伝わって水音が響く頃になってエドワードはようやくずるずると上体を起こした。途端つ、と両頬をなにかがくすぐり、思わず指で拭いそれからはは、と小さく乾いた笑いを洩らす。 「………なに泣いてんだオレ」 そうかだからあんな顔したのか、と先程の困ったような眼を思い出して、エドワードはもう一度小さく笑う。 子供を泣かせてしまったと、そう思ったのだろう、あの男は。 エドワードはのろのろと衣服を整えた。吐精後のけだるさなのかべっとりと肋骨の内側になにかが張り付いたように身体が重い。粘状の疲労に溜息すら吐けず、点々と床を塗らす情交の残滓にちらりと眼を向けエドワードは緩慢な動きで袖で拭った。 (…………怪我、) なかったかな、と小さく呟く。無理矢理のように身体を繋げ、どこも痛まなかったわけはない。 しばらく膝を落としたままぼんやりとしているとバスルームの扉が小さく開閉する音がして、きしきしと廊下が鳴った。濡れ髪をタオルで拭いながら戻ったロイは、エドワードを見つけるとあからさまに片眉を上げる。その顔は血の気が引いたように白いのに唇だけがまだ赤々と色を残して、エドワードはその不審そうな視線に噛み付くよりも先に眼を瞠り立ち上がった。 「なんだ、もう帰っていいぞ。用はなにも、」 「大佐、アンタ身体大丈夫か」 詰め寄り腕を掴むとロイはむっと眉を顰めた。しかし掴んだ腕の冷ややかさとまるで湯の気配のない身体に、エドワードは瞠った眼を吊り上げロイを見上げた。 「───水浴びかよ! 馬鹿じゃねえのかアンタ!! ちゃんと風呂入り直せッ!!」 「…………君に命令される筋合いはないな」 ゆっくりと、決して乱暴ではない仕草で腕が解かれる。 ロイはエドワードを押し遣り溜息を吐きながら落ちてしまったタオルを拾った。 「もう帰れ」 「………話を」 「先程も言ったな。私にはない」 振り向きもせずにソファへと向かい、どさりと座り込んでロイは軽く追い払うように手を振った。 「ああ、鍵は捨てられないのなら置いて行け。それからもう二度と来ないことだ、傷付いた顔をして見せるくらいならな」 「大佐、」 「鋼の」 ちらりと見た真っ黒な眼が、薄く酷薄に笑んだ。 「───しつこいぞ。正直、子供のお守りはうんざりなんだよ、もう」 「……………、……怒ってるか?」 そっと囁くように尋ねると、ロイはくつくつと喉を鳴らして笑った。 「いいや、別に。ただうるさいだけだ」 だからもう行け、ともう一度手が振られて、背けられた顔のその輪郭を見てエドワードは知らず知らずに鳩尾を押さえた。 言わせているのは、オレだ。 本当にただうんざりとしているなら、ロイは決して触っては来ないだろう。解りやすく簡単な行為と言葉でエドワードを傷付けて───その実身体にはひとつのダメージも残さずに、そうして追い払おうとしているその手を掴んでしまいたいのに、 ───掴んでしまえるはずなのに。 どうしてこのひとはこれほど自分を慈しんでくれるのだろう。 掴めるはずの手を掴む方法が解らない。気持ちを返してやれないまでも───弟の言ったように、彼がどのように自分を想ってくれているのだとしても、それでもエドワードがこの男を好きでいるのには変わりはないのに。 ああでも、とエドワードは小さくかぶりを振る。 そんなことは多分、この男は疾うに知っているのだ。 知っていてなお、エドワードを突き放すほうを選んだのだ。 ───それが、この自分のためになることだと、そう信じてしまったのだ。 だから、もう。 エドワードはゆっくりと踵を返した。 「………じゃあな、大佐。色々、……ごめん」 酷く重い足を引きずり、ゆっくりと床を踏む。正直な身体は今すぐにでも身を返して男の元へと戻り抱き締めたいと訴えていたが、それを堪えてじっと瞬きせずに足を進めた。 ぱたん、と小さく音を立てて居間の扉を閉め、玄関へ向かう。重い音を立てる扉を閉じ、一度振り向き少し待つが、追ってくる足音はしなかった。 エドワードは未練がましい自分に嘆息しポケットを探って鍵をつまみ出し施錠して、それから鋼の指に力を込めた。真鍮の鍵がゆっくりと僅かに歪む。 その僅かに歪んだ鍵がもう鍵穴に入らないことを確認して、エドワードは再びそれをポケットへと滑り込ませた。 多分、もう二度としない恋の。 しるしを一生持っていられるとは思わない。 けれど今はまだ捨てることが出来なくて、ポケットの中の鍵を軽く握りエドワードはゆっくりと階段を降りた。 路地には誰の姿もなく、見上げた明かりが灯ったままの窓から想い人がこちらを覗いているということもなくて。 エドワードは踵を返して、軽く背を丸めたまま暗い路地を辿った。 ───こんな夜にひとりで出歩くと攫われるぞと、冗談めかしたように笑った過保護な男がもう心配をしてくれなかったことに気付いて、ああもしかして本当は嫌われたのかもしれない、と思う。 「………はは、そりゃそうだ」 あれだけ散々に振り回して、それでもまだ好かれていると信じているなんて思い込みも甚だしい。 エドワードはもう一度小さく笑って、軽く首を振り前を向き、大通りの街灯を目指して歩を進めた。 |
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■2005/11/3 う…受が強姦てどうかな……。
ところで普通に犯罪なんじゃないでしょうかこれ。
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