結局一頻り悪戯をして叱られた。 嫌なら抵抗すればいいのにどうして許すのか不思議だ、と思いつつ、すっかり機嫌を損ねてバスタブの縁に寄り掛かり目を閉じているロイの背を石鹸を泡立てた海綿で拭い、エドワードはなあ、と声を掛けた。寝惚けた声が「んー」とか「むー」とか返される。 寝てんのかよ。 そりゃあ寝ていていいとは言ったけれど。 「髪も洗う?」 「………あー……洗えるのか?」 「子供んときにはよくアルの髪洗ってやってた。あいつ器用な癖に頭洗うの下手なんだ」 「じゃあ、よろしく……」 「りょーかい」 こいつほんとに眠いんだな、と思いつつ膚から泡を流し、エドワードは立ち上がりバスタブの縁へと腰掛けてロイを引き寄せ、己の右足へと寄り掛からせた。膚に食い込む左足は触れないよう避ける。 「目ェ瞑っててね。あと溺れんなよ」 「溺れさすな」 「子供かよ」 「眠い……」 しょーがねーな、と笑ってエドワードは黒髪を丁寧に濡らし、手の中で石鹸を泡立てた。ひとの髪を洗うなど久し振りだ。機械鎧に髪を挟まぬよう注意しながらゆっくりと洗い上げる。微かに届く呼吸は規則正しくて、どうもすっかり寝入っているらしいロイにエドワードは苦笑する。 こんなだから中尉が苦労すんだよなあ。 狡くて汚くて嘘吐きな大人の癖に、妙なところが子供のようだ。それとも男はみんなこんなものなのだろうか、自分を含めて。 綺麗な形の頭蓋骨にアルフォンスの小さな頭を思い出す。この男もこれでは脳味噌が足りないのではなかろうかと思うほど小さな頭をしているが、さすがにまだ子供だったアルフォンスほどではない。 指に触れる割に長い黒髪は柔らかで癖がなく、同じように柔らかではあったけれどどちらかというと羽毛のような、まだ産毛から脱し切らないようだった弟の髪とは違う。 「大佐、ハゲそうな髪してるよな」 細くて柔らかい髪の生え際を指で拭いながら軽口を叩くが、ロイは答えない。やはりすっかり眠っているようだ。 エドワードは黙ってシャワーヘッドを取り、緩くコックを捻って顔に降り注がないよう気を遣いながら泡を流した。バスタブの湯に泡が溶けて行く。 なんだか胸が苦しい、と、エドワードは思った。 アルフォンスに会いたい。 あの優しい、いつまでも幼い声が聞きたい。 音を立てながら首を傾げる仕種は肉体を有していた頃にはそうは見せなかったものだ。 肉体があった頃よりも幼く優しくなった口調で、仕方がないなあ、兄さんは、と笑う。 ああ、あのからっぽになってしまった弟は、何故あれほどに許すのだろう。 どこで慈悲を手に入れたのだろう。 肉体を持っていた頃はもう少し意固地で、もう少し利己的な、少しばかり心の優しいだけの普通の子供だったように思うのに。 「…………鋼の」 声に気付いてはっと見下ろすと、闇色の目が膝に頭を預けたまま見上げていた。伸ばされた指が頬を撫でる。 「どうした? 情けない顔をして」 なんでもない、と言い掛けて、エドワードは口を噤んだ。ロイを見つめる。 「………アンタのせいだ」 「なにがだ」 「アンタがオレを許すから」 変なことを考えてしまったのだ。 似ても似つかないこの男を見て、アルフォンスを思い出してしまった。 ロイは眼を細めた。 「………拒絶して欲しいのか?」 頬に触れていた手が伸び、後頭部を包んでゆっくりと引き寄せた。エドワードは素直に身を屈めて上向いたその唇に口付ける。顎に形のいい鼻が触れて、思わず笑ってしまった。 「これ、キスしにくい」 「………だな」 ロイの肩を押しやり、バスタブに身を沈ませ膝で立つ。まだどうも半分眠っているようで身体を弛緩させているロイの顎に手を添えて唇を落すと、筋肉しかない硬く細い腕が腰を抱いた。 緩く啄むだけのキスを終えて瞳を覗くと、まだ眠気を乗せたままのそれを瞬かせてロイは眩しげにエドワードを見上げた。 「君の髪も洗ってやろうか」 「洗えんの?」 「昔付き合っていた女性の中に美容師がいてね、彼女に教わったから割と上手いぞ」 あーそー、とエドワードは口許を歪める。 「女の髪洗ってやってるわけだ」 「全員ではないさ」 「………あんた今彼女何人いんの」 「さあ……向こうがどう認識しているかによる」 たらしめ、と溜息を吐いて、エドワードは座り込んだ。 「んじゃ、お願いしまーす」 「承りました」 「途中で寝んなよ」 「努力する」 信用ならねえなあ、と笑いながら、エドワードはゆっくりと広がった石鹸の香りに深呼吸をした。長い指が思ったよりも力強く頭皮をマッサージする。 「うわ、気持ちいー。ほんと上手いな、大佐」 「だから上手いと言ったろう」 長い金髪を苦もなくさばきながら洗う手際に感心するが、よく考えれば普段女性の髪を洗っているわけだから、長い髪には慣れているのだろう。 まったく本当に女性好きする技ばかり持っている男だ。嗜好はノーマルで、キスが巧くて、髪まで洗える(多分セックスも巧い)。身体をマッサージさせても上手いのではないだろうか。 それでいて地位があり金があり整った容姿を持つのだから、これはモテないわけがない。時折見せる間の抜けた部分もまた女性の庇護欲をそそるのだろう。 「ほんと、たらしだよなー」 「なんだ、急に。妬けるか?」 「うん」 素直に頷いたエドワードに、ロイはわはは、と笑った。 「それは光栄だ」 「そろそろオレだけにしない?」 「馬鹿な冗談を言うな」 「冗談じゃないんだけど」 ロイがぺち、と後頭部を叩いた。 「自分ができないことをひとに求めるな」 「ひっで。オレは大佐だけだっつの」 「アルフォンス君がいるだろう」 エドワードはぐ、と言葉に詰まる。ロイは楽しそうに続けた。 「幼馴染みの、えー、ウィンリィちゃんだったか、彼女もいるな」 「なんでウィンリィだよ!」 「自覚がないのがまた悪い。君は結構気が多いほうだと思うぞ」 「アンタほどじゃねェよ!」 「そうでもないさ。私は深入りはしないから」 「………それはオレよりマシなのか?」 ぼやくエドワードに笑い、ロイはシャワーコックを捻った。 「君の髪は丈夫だなあ。大して手入れしていないだろうに綺麗だ」 「そう?」 「ああ。でも枝毛がある」 「あ−、最近揃えてねーから」 シャワーを止め、ロイは軽く金髪を絞ってタオルを巻く。 「はい、お疲れさまでした」 「さんきゅー。気持ちよかったー」 「それはよかった」 「また洗ってくれる?」 「気が向いたらな」 「アンタ気まぐれだからなあ」 言いながら立ち上がり、エドワードは身を屈めてロイの額に自らの額を寄せた。暗闇色の眼を覗き、ゆっくりと口付ける。大人しく口付けを受けているロイの閉じた瞼を見、エドワードは呼気の触れる位置で囁いた。 「でさ、大佐。今日はどうしたんだよ。何かあった?」 瞼が開く。光彩まで漆黒の瞳は恐ろしく深い穴のようだ。 「…………昼にテロリストによる攻撃があって」 「うん」 「ハボック少尉の部隊の奴がひとり死んだ」 「……………」 「奴もそこそこ怪我は酷いが、まあ命に別状はない。一週間ほど入院することにはなりそうだが」 「……それでアンタまでへこんでたの?」 いや、とロイは口角を吊り上げて嗤った。焔を錬成する瞬間のような笑みだ。 「軍隊などにいればいつ誰が死んでも不思議はない。落ち込んでいるのは少尉だ。奴は部下思いだからな」 エドワードはゆっくりと両腕をロイに回す。 「それで?」 促すと微かに溜息のように息が吐かれた。 |
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■2004/6/18
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