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「間に合わなかったんだ」
「アンタが?」
「私が間に合っていれば少尉の部下は死なずに済んだし、少尉も怪我をせずに済んだ」
「………でもそれはアンタのせいじゃないだろ?」
「ああ、不可抗力だ。ちょうど視察に出ていたんだ」
 こつ、と額を合わせると漆黒の瞳が伏せられた。自嘲のようだ、とエドワードは思う。
「………アンタのせいじゃねーだろ?」
「そうだ、私のせいではない。最善を尽くした結果だ」
「テロリストは殺したの?」
「勿論だ」
 焼き尽くした、と微塵も声色を変えずに答えたロイに、エドワードは眉を寄せた。ロイが苦笑する。
「君がそんな顔をすることはない。それとも人殺しといるのは嫌かね?」
「アンタが人殺しなのは知ってるよ。たくさん殺したから英雄なんだろ。今更だ」
「ならそんな顔をするな」
 額が離れ、肩口に押し付けられる。
「ひとの焼ける臭いを嗅いだことは?」
「ねぇよ」
「ものによるが、ミートパティのにおいがするぞ。しばらく肉が喰えなくなる奴もいる。一気に炭化させればしないが」
「………オレもうしばらくハンバーガー喰えない」
 うえ、と舌を出してわざとらしく呻くとロイは肩を震わせて笑った。
「錬金術師だろう。死体を喰っている自覚を持ちたまえ」
「るっさいな。そういう問題じゃねーだろ」
 エドワードは溜息を吐き、それで? と促した。ロイはしばし沈黙する。
「………だからどう、と言うことではないんだが」
「なんだそりゃ」
「情緒不安定なのかな」
「アンタが?」
「私も人間だぞ」
「けど、焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐が?」
 エドワードはロイの顎に指を添えて上向けた。
「違うだろ。アンタ仕事でひとを殺すのなんか実はなんとも思っていないんだろ。仕事は仕事で、殺人じゃねェと思ってんだろ?」
「……殺人罪ではないな。戦争で作戦通りに殺す分にはなにひとつお咎め無しなのと同じだ」
「罪じゃねェなら構わないとか思ってるだろ、マスタング大佐。あんた根っから軍人だもんな」
 皮肉げに言って、エドワードはロイの濡れた髪を掻き上げた。
「ハボック少尉の部下って、アンタの部下でもあるんだろ」
「…………そうなる、かな」
「バーカ」
「何で馬鹿だ」
「バカはバカだからバカっつってんだろ、バーカ」
 エドワードはロイの額へキスを落す。
「………いい奴だったのか?」
「え?」
「少尉の部下」
 ふ、と息を吐いたロイは僅かに微笑んだ。
「いい奴だったよ。ちょっと騒がしいくらいだったがね」
「そっか。……寂しくなるな」
「………そうだな」
「ちゃんと少尉を慰めてやれよ」
「ああ」
 エドワードは黒髪を両手で引き寄せ胸に当てた。
「アンタはオレが慰めてやるからさ」
「………ああ」
 持ち上げられた手が、慰められているはずなのにエドワードの背を宥めるように撫で、そっと身体を引き剥がした。
「そろそろ逆上せそうだ」
 に、と笑った顔にエドワードは笑い返す。
「だな。出るか」
 
 
 
 
 
 
 うつらうつらと眠り掛けて枕に背を埋もれさせているロイの髪を拭いてやる。ランプの淡い炎に照らされる膚が白い。まったく今日は手間の掛かる子供のようだ。
 エドワードに気が多いなどと言う割に、この男だって負けず劣らず気が多いのだ。
 無論、手駒がひとつふたつ欠けたところで立ち止まり膝を落すような男ではないのだろうが、それでもこうして気力を落してしまうくらいには。
(………何考えてんだろうなあ)
 許されている、とは感じる。多分好いてももらっているだろう。嫌いな人間の相手をこれほど根気強くしてくれる男では多分ない。そうすることでメリットがあるのならまた別だが、エドワードを受け入れることでロイが得る特権はなにもない。
 だが、エドワードに解るのはそこまでだ。
 この男の手の内に自分の居場所があるのかどうか、それすら謎だ。
 ひとつ解っているのは、自分の手にこの男は掴み切れない、ということだけだ。
 多分永遠に、この男を捕らえることはできない。
 自分が、この男に掴まってやれないのと同じに。
 ふいに鳴った電話にエドワードは思考を中断した。起こそうと上げ掛けた手が、むくりと身を起こした恋人の肩を叩き損ねて中途半端な位置で止まる。
 今まで眠っていたとは思えないほどしっかりした動きでベッドを降りて被ったタオルでざかざかと髪を拭きながら大股で寝室を出て行った後ろ姿をぽかんと見送り、エドワードは慌てて追い掛けた。
「ああ、………解った、うん」
 手櫛で髪を整えながら、短く返事をして受話器を放り出すようにして置いたロイは、再び大股で寝室へと戻って来た。夜着のボタンは既に外されていて、慌てて避けたエドワードの上に上着とタオルが降った。
「え、な、なに? どしたの?」
「仕事だ」
 いかにも訓練された、最小限の動作で軍服を身に付けながら振り向きもせずにロイは答えた。
「呼び出し? 明日非番だとか言ってなかった?」
「これがさっさと片付けば非番だな、昼には戻れるだろう」
「って、身体大丈夫? 疲れてんじゃねぇ?」
「ハボック少尉が出てこれないから人手が足りない。気力でなんとかする。疲れているのは他の者も同じだ」
 ぎゅ、と嵌めた手袋に火蜥蜴の錬成陣を見る。昼に人間を焼き尽くして来たばかりのひとを殺すための陣だ。手早く身に付けた軍服は一分の隙もなく整えられている。あれだけ慌てて着替えたら自分ならシャツが皺だらけだ、とエドワードは思った。
「鋼の、どうする、帰るかね? 泊まって行くなら泊まって行って構わない。私はいつ帰れるかは解らないから、帰るときには鍵を掛けて行ってくれたまえ」
「え、あ、………書斎見ていい?」
 ロイは片眉を上げた。
「構わないが、君の役に立つものがあるかは解らないぞ」
「でもどこになにがあるか解んねェから。アンタの書斎って結構稀少本多いし」
「では、好きにしなさい」
「待てるだけ待ってていい?」
 ロイはほんの僅かに頬を笑みに崩した。
「それも好きにしなさい」
 ばさ、とコートを掴み、ロイは大股で寝室を横切った。つい先程までは猫科の動物のようにしなやかで音の無かった足が、軍靴を履いた途端高らかに規則正しく踵を鳴らす。エドワードは慌てて後を追い掛けた。
「ではな、鋼の」
「おー、行ってらっしゃい……ってちょっと」
 さっさと出て行こうとする袖を慌てて引くと、怪訝な顔で見下ろされた。エドワードは背伸びをして首に両手を掛け、引き降ろして口付ける。
「気を付けて」
 ロイは僅かに目を細め、濡れた金髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて出て行った。
 居間の窓へ寄り、街灯の明かりに照らされる通りを見下ろすと既に公用車が停まっている。なんとも手早いな、と感心しながらその自動車へと黒い影が乗り込むのを見送り、エドワードはほっと息を吐いた。床に裸足の右足から熱が染みて行く。
 機械鎧の左足を鳴らし、エドワードは寝室へ戻りランプを掴んだ。ロイがライトスタンドではなくランプに火を入れ使う理由を聞いたことはないが、なんとなく解る気はする。
 多分、あの男は火が好きなのだ。
 無論エドワードも嫌いではない。都会ほど電気の通りが良かったわけではないリゼンブールで育ったから、夜の明かりはいつも炎に頼っていた。だからランプや暖炉の柔らかな炎の明かりは好きだ。
 けれどそれはロイの気持ちとは多分違う。
 書斎へとランプを運びながら、エドワードはまだ乾かない髪を掻き上げた。
(何、考えてんだろうなあ……)
 いい人間だとは思ったことはない。積極的に悪人であるわけでもないのだろうが、ロイの中には何か、エドワードやアルフォンスが抱えるものとは別種の、理解の及ばない闇がある。
 無論人間である以上闇を持たずに生きることは難しいのだ、とエドワードには痛いほどに理解出来ている。けれど理解が及ばない、とそのことが、時折酷く悔しくて、同時に酷く恐ろしくもあるのだ。
 そして恋しい相手を恐ろしい、と感じている自分に苛立つ。何もかも呑むことが出来ないことは解ってはいるが、それでも何もかも呑みたいのだ、本当は。
 けれどそうするには、まだ自分はあまりに幼いのだろうか。
 鍵を掛けてもいない書斎の扉を開く。埃と僅かな黴の匂いが心地いい。古い書の納められる書斎は好きだ。
 エドワードはランプを翳して整然と並ぶ背表紙を眺め、目を引いたタイトルを一冊引き出して大きな机へと向かい、座り心地のいい椅子へと身を沈ませた。
 
 ここの書を読み尽くしたとしてもあの男のことは解らないままなのだろうけれど。
 
 そんなことを考えながら重く堅い表紙を開き一行目に視線を走らせると同時に、エドワードの脳裏からロイが消えた。この瞬間だけはアルフォンスも母も、賢者の石も何もかもエドワードを邪魔することは出来ない。
 
 次にエドワードが顔を上げるのは、二時間半後、ランプの油が切れたとき。

 
 
 
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■2004/6/18
長いばかりで意味が解らない。もっとテーマを絞ったらどうだろうと思わないでもない。書いても書いても終わらないな−と思っていたらこんなことに。うーぬ。あんまエロくなくてすみません(そこか)。ギャグじゃなくってすみません。

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