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「鋼の。扉が傷む」
「なんでとか訊かねーの」
「『なんで』」
 鸚鵡返したロイに、エドワードは眉を吊り上げた。ロイは小さく溜息を吐く。その仕草がまた癪に障る。
「オレが帰っても寂しくねえの? 今日くらい人恋しくなったりしねーのかよ」
「別に」
「薄情者」
「たかが猫だ」
「でもアンタの猫だ」 
 エドワードは腕を掴む手に力を込めた。
「寂しいんだろ。………いて欲しいって言えよ」
 ロイはふ、と息を吐く。
「アルフォンス君はどうするんだ。私がいてくれと言えば、君はここにいるのか? ……アルフォンス君の側ではなく、私の横に」
 エドワードの金色の瞳が僅かに和らぎ腕を掴む手は弛んだが、代わりに壁に突かれていた右の機械鎧がロイの左腕に伸ばされ、ゆるりと捕まえた。
 それだけで答えを得たように思い、ふいに迫り上げた怒りにロイは表情を失う。
「────なんて馬鹿だ、君は」
「馬鹿とはなんだ」
「馬鹿で駄目なら愚か者だ。───貴様がそれほど愚かだとは知らなかったな、エドワード・エルリック」
「………なに言ってんだテメェ……」
 ロイは子供の両腕を振り払い、軍服の襟を正した。その襟も汚れるが、冷ややかな穴のような眼で見下ろすロイに既に隙はない。
「恋愛と目的とどちらを取るかと尋ねられたら、君はどちらを取るんだ」
「はァ? そんなバカなこと訊くヤツはいねーよ」
「解った、もっと端的に言おう。───私とアルフォンス君、どちらかを選べと言われたら君はどちらを選ぶんだ」
 エドワードは目を瞠り、怒りに頬に血を昇らせた。
「バカにすんな!! 訊かなきゃ解んねーのかよ!? アルに決まってんだろ!!」
「そうだな、当然だ。………だからさっさと帰れ、鋼の錬金術師。馬鹿なことを言っていないで」
「何がバカなんだよ!? 好きなヤツが落ち込んでるときに一緒にいてやりたいって思うのはそんなにバカかよ!!」
「アルフォンス君に会いたいのだろう。そちらを優先しろ」
「………アルだって一緒にいてやれって言うに決まってる」
「彼は優しいからな」
「アイツに好きなヤツが出来たとしたら、きっとアイツもそうする」
「彼はそれでいいんだ。だが君は違う。君は彼に責任があるだろう」
 エドワードは口を閉ざし、ロイを見上げた。険しい眼が僅かに窺うような色を乗せる。
「責任……?」
「そうだ、責任だ」
「………あんな身体にしたことかよ」
「それだけではない」
 ロイは瞳を細める。
「彼は君の所有物だ」
「アルのことをそんな風に言うな」
「君は彼の創造主だ」
「アルは人間だ!! 造り物みたいに言うなッ!!」
「彼には君しかいないんだ。君には生涯、彼を手の内に握っておく義務がある。同時に彼を生かす責任も」
 
 生殺与奪を握るのだから、せめて愛せ。
 生涯懸けて、全存在を懸けて。
 
 あの鋼の棺で解放を待つ、魂ばかりの子供の足下に跪け。
  
「そうでなくては君はただの暴君だ」
「い……われ、なくても」
「なら帰れ。こんなところにいるんじゃない」
 エドワードはぎり、と奥歯を噛みしめた。握り締めた鋼の手がぎしぎしと軋む。
「アンタを好きでいちゃいけないのかよ」
「……そんなことは私がどうにか出来ることではない」
 エドワードは微塵も表情の崩れない恋人を睨み上げた。
「出来るだろ」
 ひとつ、子供が大きく息を吸った。
「ちゃんと振れよ」
 じり、と半歩足を踏み出し、エドワードはほとんど怒りのように興奮に持っていかれる意識の中、僅かに剥離した薄く冷静な部分で考える。
 
 どうして今、こんな話になってしまっているんだろう。
 それはもちろん、ずっと答えは欲しいと思っていた。
 けれど口にはしなくてもロイは自分を好きでいてくれるようだから、もうしばらくそれに安穏と甘えていたくて、今日だって、そんな甘い幸せが欲しくて。
 
 ほんの僅かの。
 刹那の。
 
 ああ、でも、それは。
 
(アルにはない幸せだ)
 
 だから、終わりにしなくてはと。
 そう──言うのか、この恋しい男は。
 
 アルフォンスを愛しているのなら、他を求めてはいけないと。
 心を分けてはならないと。
 
 エドワードはもう一度息を吸い、僅かに声を荒げて繰り返した。
「言えよ、嫌いだって! じゃなきゃ好きだって言え!!」
「───言って欲しいのか」
 即座にエドワードは右腕を伸ばし、整えられた胸倉を掴んだ。
「くだらねぇ話をするな。解り切ったことを訊くな。早く答えろ」
「………君は弟と散々くだらない解り切った話をしているように思えるが」
「アルの話ならオレはなんでも聞く。くだらなくても解り切ってても聞く。アルもそうする。オレたちはどれだけ話をしたって本当は全然足りない。全然遠い。せめて話をして顔を見せてやんなきゃ、───アルとアンタは違う。アンタとオレはアルとオレとは全然違う」
 どこか混乱した物言いに、ロイはふ、と溜息を吐いた。
「なら尚更、早く帰ってやりたまえ」
「答えないのははぐらかしたいからか? それとも解んねーのかよ? オレを好きか、と訊いてるだけだ。キスをして抱き合って、それでもオレには解んねーんだよ、ガキだからな! だから答えろ、言葉で言え! 是か非か、それだけで」
 
 ───いいんだ。
 
 ロイは苦々しく顔を歪めた。
「何故君の中にはいつも二択しかないんだ」
 エドワードは鼻で嗤う。
「アンタはオレよりずっとオッサンで経験豊富で恋愛の達人なのかも知れねーけど、ほんとの恋愛っていつからしてねーんだよ? 好きで告白した相手に、二択以外の答えは生殺しだ」
 
 オレはアンタに恋をしている。
 
「アンタはオレが好きか? オレと恋愛してるのか? なんでオレを許すんだ? ただなめてるだけか。そのうち心変わりするだろうって、軽く考えてるだけかよ」
「……それについては以前も答えた」
「ああ聞いた。オレの気持ちも何度も言ったよな。これに関しちゃオレたちはずっと平行線だ。多分オレが死ぬまで本当はどうなのか解らない。いくら言ったってアンタは信じないし、未来のことなんか解らない。だからこんな話は滅茶苦茶不毛だ。不毛な話はやめて、今訊いていることに答えろ」
「鋼の」
 静かに降る声は乱れない。表情には僅かに苦さがあるが、それもまた平常の域だ。
 
 この男は乱れない。
 少なくとも、自分には乱してやることは出来ない。
 
 エドワードは胸倉を掴んでいた手を緩めた。皺になった軍服が機械鎧の指の隙間をするすると抜ける。かしゃん、と落とした腕が小さく音を立てた。
「………解った。もういい」
 ロイが眉を顰める。
「何が解ったんだ」
「アンタがオレに恋してるわけじゃないってことが。…アンタにとっちゃオレはただの手の掛かるガキで、面倒見てやんなきゃならないだけで、オレがしつこいから付き合ってくれてるだけなんだよな」
「……鋼の」
「そんな声で呼ぶな」
 言って睨み、エドワードは頬を歪める。
「宥めんな。大人ぶんな。たった14しか離れてないくせに、親みたいなフリすんな。アンタはオレの親父じゃない。アンタはオレの保護者じゃない。オレには親も保護者もいらない」
 
 庇護してくれる存在など、そんなものは、ただ。
 酷く邪魔で、酷く重い。
 それだけだ。
 
 自分も弟も、この金属の手足と身体の重さで手一杯なのだ。これは誰にも肩代わりは出来ない。
 その上庇護など受けたなら、その優しい重さに潰れてしまう。
 
 だから、そんな優しい感情はいらない。
 ただ、焼け付くようなこの気持ちを向ける場所を明確にして欲しいだけだ。
 そうでなければ、さっさと踏み消してしまって去ればいい。
「決めろよ、ロイ・マスタング。───オレを手放すか、それとも握り締めておくか」
「君は私には握れない」
「でもフリは出来る。たまにこうして会うときだけ、アンタに捕まってるフリはしてやれるよ、大佐」
 ロイは僅かに困惑したような、大人が子供を諫める顔で片手で口元を覆い掛け、汚れていた掌に気付いたのかふとそれを見つめ、不意に身を翻した。

 
 
 
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■2004/6/24

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