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「おい!」 「帰りたまえ、鋼の」 「答えはどうした」 「答える義務はない」 エドワードは足音荒くその背を追う。 「イエスかノーか、一言だろうが!!」 「───何様のつもりだ」 苛々とした低い声が白い唇から洩れる。 「捕まっているフリはしてやれる、だと? いつ私が君にここにいてくれと頼んだ? 君は君の意志で勝手にやってきて勝手に許しを願って勝手にここにいるんだろう」 「全部オレのせいかよッ!!」 「違うのかね?」 ちらり、と一瞬落とされた呆れたような色を乗せた眼に、エドワードの中で何かがふつりと落ちた。 ロイはそんなエドワードに気付かず、再びすいと視線を逸らしてこれ見よがしな溜息を吐く。 「まったく、子供のお守りには忍耐がい───」 ひゅ、と、空を切る音に気付き反射的に身を捻ろうとした瞬間、左のこめかみに鈍重な痛みと衝撃が響いた。ぐらりと一気に視界が反転し、ロイはほとんど受け身も取れずに派手な音を立てて床へと倒れ込む。 機械鎧の右手を拳に握ったエドワードは、飛びつくようにその身体に跨った。生身の左手が襟に掛かり、半ば以上意識が飛んでいたロイの手がふらりと力なく空を掻く。エドワードの鋼の右手が、ロイの前頭部をがしりと掴んだ。 「動いたら頭潰す」 鋼の指の隙間から覗く黒い左眼が僅かにエドワードを見上げたが、それは再びゆらゆらと視線を揺らした。明らかに脳震盪を起こしている。 白目に赤が散っている。それに遅れてこめかみから頬骨に掛けて、みるみるうちに赤みを増して行く様を横目に、エドワードは軍服を裂くように上着を開かせた。冷たい汗を掻く胸に鼻先を寄せ、喉へと鋭く歯を立てる。ロイが僅かに引き攣った。 瞬間。 ひたり、とエドワードの左のこめかみを中心に、大きな手が金髪を包むように頭を掴んだ。堅く当てられるのは指の関節だ。しっかりと急所を確保している。 土で汚れたままの親指の腹が、強制的にエドワードの左の瞼を下ろし、その薄い皮膚の上から眼球を圧迫した。 「………君が私の頭を潰すのと、私が君の眼と脳味噌を抉るのはどちらが早いと思う?」 寧ろ優しく囁かれた声はまだ僅かに揺れ力はない。しかし金髪を掴む手には振り払えないだけの力が込められていて、エドワードはゆっくりと顔を上げ己が右手に半ば以上隠れたその顔を無表情に覗いた。 すっかり充血した白目に囲まれた黒い瞳が、静かに見上げている。 エドワードは無言で鋼の右手をどけ、上半身を起こした。まだ腹の上からは退かず馬乗りのままだ。ロイの手から力が抜け、するりと床へと落ちる。 「まったく、乱暴者め」 「軍人が言うな。───アンタが悪い」 「そうかね」 「そうだ」 ふ、とロイは短く嘆息した。その眼は閉じられている。 「頼むから、私に君を殺させてくれるな」 「殺す気だったのかよ」 「君が右手を退けなければ、君は今頃私の上で屍だ」 「………オレの方が早いよ」 薄く開いた眼が嗤っている。 「君にはひとは殺せない」 エドワードは鼻の頭へ皺を寄せた。 「バカにすんな」 「していない。どちらかと言えば褒めたんだ」 「どこがだよ」 ロイは怠惰な動きで持ち上げた左手で殴られた辺りを包む。 「………まったく、明日部下になんと説明しろと言うんだ? 忠告を聞かなかった罰か」 「なんだよ忠告って」 「仮にも佐官に就くのだから、身辺に用心を怠るなとね」 「………鍵のことか? 少尉が?」 「勘違いするな。あれは君のことは信用しているんだ。だから明日どう説明していいのか困っているんだろうが」 まさか飼い犬に手を噛まれたと正直に告白するわけにも行かない。 「誰が飼い犬だ」 「君だよ、軍の狗」 エドワードは唇を曲げた。 「やっぱ犯す」 「優しくしてくれ」 「強姦されようってヤツが言うセリフじゃない」 思わず軽口を応酬して、エドワードはつい笑った。 「やっぱアンタ、オレに甘いよ。そんなだからつい勘違いするんだ」 やっぱアンタのせいだ、と小さく続けて笑みのまま目を伏せたエドワードを見上げ、ロイは薄く微笑んだ。 「黙って勘違いしていればいいのに。恋愛など思い込みが全てだ。君の気が済むまで思い込んでいればいい」 「………アンタがオレを好きだと言ってくれれば、ずっと思い込んでいられる」 ロイは子供の我が儘に困ったような、曖昧な笑みを浮かべた。 「どうしても言わせたいのか?」 「うん」 「嘘は吐きたくないんだが」 エドワードの金の眼が泣きそうにロイを見下ろした。 「───いいよ、嘘で。言えよ」 ロイは深く深く息を吐き、両腕を伸ばして子供を抱き寄せ、乱れた金髪の落ちる首筋へと顔を埋めた。体温が混じる。 耳元に吐息のような囁き。 「君を愛しているよ」 頬に黒髪を感じながら、胸に広がる真っ暗で重い液体のような熱にエドワードは苦く笑う。 「嘘吐きめ」 「言わせたのは君だ」 「ひとのせいにするのも上手い」 エドワードは頭を上げて白い顔を覗き込み、ゆるりと冷たい唇へ口付けた。互いに眼を覗いたまま舌を差し込むと、冷えた口腔が迎える。 「………具合大丈夫?」 「大丈夫なわけがなかろう」 「口の中冷たい」 「まだ星が飛んでる」 「そっか」 吐息の掛かる位置で呟いて軽く啄むキスを落とし、エドワードは身を起こした。 「ベッド行こう。ここじゃ背中痛いだろ」 「その前に風呂」 「駄目。今すぐしたい。愚図るならここで犯す」 「横暴だ」 「愛してんだろ、オレのこと。少しは言うこと聞けよ」 ロイはやれやれ、と肩を竦めた。 「言質を取ったつもりか」 「起きられないならここでするけど?」 まったく軽口を叩く暇もない、とぼやき、ロイはのろのろと身を起こした。白く血の引いていた顔から更に血が落ち、紙のような色の額を抱えて震える息を吐く。 「………手加減くらいしろ、馬鹿者」 「怒らせといて無茶言うな」 「あそこまで沸点が低いとは思わなかった」 「短気で悪かったな」 立ち上がったエドワードがロイの腕を引く。 「ベッドまで頑張れ。すぐだから」 「抱えて運ぶくらいの甲斐性は無いのか。あ、豆には無理か」 「誰が豆だ! ほんっとここで犯られたいみたいだなテメェ!!」 「勘弁してくれ、疲れる」 言いながらエドワードの背を押し、ロイはそれでも幾分しっかりした足取りで廊下に向かった。 「おい、寝室はあっち」 「風呂」 「だから!」 「愛しているから少しは言うことを聞いてくれ」 一度嘘を決めたせいか滑らかに発言される愛の言葉にエドワードは眉を顰め唇を結んだ。その表情にロイはくっく、と軽く喉を鳴らして笑う。 「自業自得だぞ、鋼の」 「知ってる。いいんだ、嘘で」 「そんなに自棄になるな。恋愛などそもそもほとんどが嘘と勘違いだ」 「そういうことはっきり言われたら勘違い出来ねーだろ。保身かよ」 「何の保身だと言うんだ」 エドワードは薄く笑い、ポケットから取り出した鍵を二本の指でつまみ、揺らして見せた。 「これ、オレがもらっていいの?」 「………欲しいのか?」 「くれないなら勝手に作る」 ロイの頬に苦笑が浮く。 「君にやろう。落とすなよ」 頷いたエドワードはロイの腕を掴み、ぐいと引いてバスルームの扉を開いた。 「一緒に入る」 「………あのな」 「好きだよ、ロイ」 見上げた顔には満面の笑み。 しかしその金色の眼は笑ってはおらず、ただただ凍えるように光るばかりだ。 「オレのは嘘じゃねーからな」 言って背を向け、衣服を脱ぎ始めたエドワードは、その小さな背を見下ろしながら壁へ寄りかかったロイが、苦く歪めた口元を掌で隠し聞こえない溜息を吐いたのを知らない。 まったく、子供のお守りは面倒だ。 嘘の吐き方を知らない子供のお守りなど。 ロイはもう一度溜息を吐き、ボタンの飛んでしまった軍服とシャツに眉を顰めながら上着を脱いだ。 |
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■2004/6/24 お互いの気持ちに齟齬があることを許せるようになるのはいくつくらいからなんだろうなあ。深読みしないと意味が解らないものを書くのはいい加減やめろ。と言う話。
ところで怪我したのに風呂入っちゃ駄目です大佐。あ、歯車を回そうとしたのはエドです。回ったかどうかはご自由にどうぞ。
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