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「え?」
 眉を跳ね上げたエドワードに、ソファに歩み寄ったロイは固まった猫を抱き上げて答えた。
「死ぬんじゃないかと思っていたんだ、なんとなく」
「だ───」
 エドワードは毛を逆立てる勢いで肩を怒らせきりきりと目尻を吊り上げた。
「だったらなんで独りで家にほっとくんだよ!!」
「職場に動物を持ち込むわけには行かない」
「何で! 中尉の犬はいるじゃんか!!」
「私が許しているんでね、犬は繋いでおけばいいし。だが、私が持ち込むわけには行かないよ。猫はどこでも歩き回るから仕事にも差し支える」
「けど病気の猫を───」
「待て、鋼の。こいつは昨夜までは何も患ってはいなかったんだぞ」
 エドワードは怪訝な顔をした。
「はぁ? アンタ今死ぬと思ってたって言わなかったか」
「言った」
「………健康な猫がそう簡単に死ぬかよ。子猫ならともかく」
「正確には健康そうに見えた、かな。私の気付かない病を持っていたのかも知れないし」
 猫の定位置らしい毛布を敷き込んだバスケットに死骸を収め、その籐の棺ごとテーブルへと上げてロイは続けた。
「だが、あるだろう、鋼の。死相というものが」
「………あるだろうとか言われても」
「ああ」
 ロイはふと振り向き唇を歪めるようないつもの笑みを見せた。
「そう死に立ち会ったことはないか」
 エドワードはばさばさと金髪を掻き混ぜる。目を反らした先のズボンに、猫の毛が付いていた。多分ロイの黒いコートにも猫の毛が付いている。
「猫とか犬なら、よく看取るけど」
「ほう?」
「アルが拾ってくっからさ」
 雨で震えていたからとか親がいないみたいだったからなどと理由をつけては猫や犬を拾うアルフォンスだが、きちんと自らのテリトリーを確保してしたたかに生きている野良を拾って来ることはない。弟が拾って来るのはまだ自らの力で生きては行けない仔か、病や飢えで酷く弱ったものだけだ。
 だから拾いはしたものの結局助けることが出来ないことも多く、アルフォンスの手の中で子猫や子犬はよく死んだ。
 アルフォンスはタオルで瀕死の小さな命を包み込み、ごめんね冷たいね、と小さな声で謝りながらその鋼の身体で小さな生き物を撫でることもせずにただじっと悲しそうに、その命が尽きるのを見守った。
 だからエドワードは、生身の左手を弟に貸してやることを厭わない。
 温かな体温で弟の手の中の小さな生き物の命が尽きるまで撫で続ける兄に、アルフォンスはやはり小さな声でごめんね、と謝る。
 
 ごめんね兄さん、嫌だよね。死んでしまう子を、死んでしまうまで撫でているのなんて。
 
 バカだな、アル。謝る必要なんてこれっぽっちも無いってのに。
 優しい優しい、慈悲の深い天使のような、死神のような───弟。
 
 オレの、アルフォンス。
 
 ぼんやりとしていたエドワードは、脱いだコートを椅子の背に掛けるロイの動きではっと目を瞬いた。青い軍服はいつものように隙なく身に付けられているが、ほんの僅かに襟が弛んでいる。どれだけ慌てて駆けて来たんだ、とエドワードはふと眉尻を下げて情けなく微笑んだ。
 きっと、大切にしていたに違いない。看取ってやりたかったに違いないのだ。
 独りで死なせてしまうなど、本当はしたくなかったに違いない。
 なにしろこの男は、自らが所有する者に対しては底抜けに懐が深く、甘く、執着が強い。
「………なぁ、大佐」
「ん?」
「悲しい?」
 ロイはふと視線をエドワードへ向けた。ポケットへ片手を差し込んだまま、もう片手で襟をくつろげる。
「悲しいというか、寂しいな」
「いつから飼ってたんだよ。前来たときはいなかった」
「二ヶ月くらい前からかな。出先でハボックが轢いてね。大した怪我ではなかったんだが、黒猫だし縁起がどうのとファルマンが言い出して、それを聞いてフュリーは怖がるしで」
「……あんたが引き取ったのか」
「これだけの美人だからな」
 ロイは固まっている猫の顎をくすぐるように撫でた。
「野良とは思えない美形だろう?」
 にやり、と笑うロイにそうだなと頷いて、エドワードはするりとポケットから抜かれた手に白い手袋が握られているのを見た。火蜥蜴の刻印に瞬きをする。
「………え、ちょっと、大佐」
「なんだ」
 言いながら手袋を右手へと嵌めたロイにエドワードは慌てて立ち上がり手を伸ばす。
「待て! なにを───」
 ばきん、と、指が鳴った。
 飛び散る火花がちりりと音を立てて短い距離を走り、ぼん、とまるで破裂するような音と、その妙に軽い音には似合わない派手な火柱が籐の棺の上へ立つ。火の熱に煽られて、ロイの黒髪がざわりと舞った。
「テ……テメェ、なにを……!!」
「………何を怒っているんだ、鋼の」
 怪訝そうに眉を寄せて向けられた視線は平常だ。怒りと混乱で拳を握ったまま立ち尽くすエドワードに更に眉間の皺を深くしつつ、ロイは綺麗に残っている毛布をそっと壊れ物でも扱うかのように抱き上げた。がしゃがしゃ、と音がして、毛布の中の消し炭が砕ける。
 そのまますたすたと窓際へと寄り窓を開き、毛布を外へとはたこうとしたロイを今度はきちんと間に合ったエドワードが組み付くようにして止めた。
「やめろよ!! せめてちゃんと埋めてやれッ!」
 
 短期間でも家族だったんだろ!?
 
 ロイはエドワードを見下ろし、僅かに瞠った目を瞬かせた。
「………なるほど、埋めるという選択肢もあったな」
「はぁ!? ふざけんなバカ!」
「ふざけてなどいない。風に流してやろうかと思ったんだ。この辺りはちょうどいい川もないし」
 ぽかんと口を開け、エドワードは絶句した。
 水葬、は、まだ解らないでもない。死人の灰を水に流す、というシーンのある甘ったるい恋愛映画を昔母親と観たことがあったし、エドワードは小説のようなものには興味は無いが、そういう物語もあるらしい。
 火葬もまあ、解る。戦場では腐るばかりの遺体を焼却してしまうと聞いたし、実際ウィンリィの両親も、そうやって小さな壺に納まる骨になって帰って来たのだ。
 だが、煤を風に流す、など。
 しかもこんな街中で。
「………アンタ、なにか間違ってる……」
「そうか?」
「埋めてやれよ。手伝うから」
「………じゃあ、裏庭だ」
 すたすたとキッチンへ向かうロイに裏庭があったのか、と呟きながらエドワードは続いた。
 勝手口から出、階段を下りた先には本当に小さな、しかも手入れのされていない庭があった。辛うじて地面がある、と言う程度だ。
「どこに埋める?」
「君の好きなところでいい」
「……んじゃ、ここかな」
 エドワードは日当たりの良さそうな、何故かイチジクが大きく枝を伸ばす下を顎で示し、ロイに許可を得るように首を傾げて見せた。ロイは毛布を宝物のように両手で抱えたままひとつ頷く。
 頷き返したエドワードは、ぱん、と手を合わせ地面に手を突いた。ばきんと音がして一瞬で穴が掘られ、その縁に土が盛られる。
 その穴へロイは毛布の中の、すっかり炭と煤とになってしまったかつての美猫をかしゃかしゃと撒いた。
 すっかり撒いてしまってから、錬金術は使わず二組の手で周囲の土を落とす。ああ軍服が汚れる、先に着替えさせればよかった、と考えつつ、エドワードは落とし終えた土をぽんぽんと叩いた。
 
 さて、臨時の墓守としてはこの後どうするべきなのか。
 
「鋼の。神は信じるか」
「そんなもんはいねェ」
 そうか、と頷いたロイに、思わず即答してしまったエドワードは僅かに思案してからその白い顔を窺った。
「………アンタは?」
「いるだろう、と思う程度だ。信仰は持っていないな」
 だから今祈るべき言葉もない。
 ロイはふと苦笑する。
「まあ、猫に神など関係あるまいがね」
「………それもそーだ」
 エドワードは手をはたいて土を落とし、同じように土を落として毛布を持ち立ち上がったロイを見上げる。
「墓石はどうする」
「イチジクでいいだろう」
「そっか」
 そういえばそもそもこの男は風に流そうとしていたんだった、と気付き、エドワードは馬鹿なことを訊いた、と肩を竦めた。
 なんだか疲れた。
「家へ入ろう、鋼の。手を洗って、紅茶を淹れてやるから」
「その前に着替えろよ。………つか、オレ帰る」
 さっさと家へ入ろうとしていたロイが振り向いた。
「それは珍しい」
「……なんかアルに会いたい」
「アルフォンス君に泊まると言って来なかったのか?」
「じゃなくて、会いたい」
 ロイは僅かに黙りエドワードを見つめたが、それはほんの数瞬のことだった。
「そうか。とりあえず手くらいは洗いなさい。泥だらけだ」
 勝手口からキッチンへと入ってしまったロイを追って家へと飛び込み、エドワードは軍服が汚れるのも構わずにその腕を掴む。背後で勢いよく引かれた扉が酷い音を立てて閉まった。

 
 
 
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■2004/6/23
長くなったので残りは日付け変わってから。
あ、前回ランプ辺りからエドの恋愛初期症状は落ち着いて来てます。過渡期。

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