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「……あなたの昔の写真を見ました」
 テーブルの上にはワインが一本と三分の一ほど赤の注がれたワイングラスが乗っている。
 アルフォンスの用意したささやかな食事を終え、レオナルドはそのワイングラスの縁を撫でてランプの明かりに鈍色に光る鎧を見た。
 がしゃり、と鎧が首を傾げる。
「ボクの写真? ロックベルの古いアルバムの中にしか残っていないと思いましたけど」
「曾祖父の遺品から1枚だけ出て来たんです。鋼の錬金術師殿から譲られたようですね。あなた方兄弟の写真でした」
「へえ……あのひとがそんなものを」
 『あのひと』がアルフォンスの兄を示すのかレオナルドの曾祖父を示すのか解らないまま、青年は薄く笑んだ。
「エドワード・ロックベルはあなたによく似ている」
 アルフォンスは肩を竦める。
「どうも父よりも母の血が強く出ているみたいですね、顔立ちに関しては。色は……あの金色の眼は、どう見たって父の、ホーエンハイムの血なんですけど」
「レモン色のあの髪はロックベルのものですか」
 ふふ、と鎧は笑う。
「そうですね、ウィンリィとすっかり同じ色です。白いのに日焼けしても赤くならない丈夫な肌も」
 鎧はうっとりと続けた。
「ボクが残せなかったものがきちんと残って行くことに喜びを感じるのは、ボクがまだ人間の証拠なんでしょうか」
「………あなたは人間ですよ、マイ・ウィザード」
 アルフォンスは嫌だなあ、と子供のように声を上げて笑った。
「ボクは科学者です、魔法使いなんかじゃありませんよ」
「いいえ、私にとってはあなたは魔法使いに他ならない。私に世界を知らしめ、流れを知らしめ、個を個として知らしめてくれた、何も知らないただ傲慢なばかりの子供を導いてくれた、あなたは確かに魔法使いだ」
 アルフォンスはふー、と苦笑の息のような声を洩らした。
「もう、会うたびあなたはそればかりだ」
「私は軍人などではなく、魔法使いの弟子になりたかったのですよ、アルフォンス」
 レオナルドは炎の暗い明かりの下で揺らめく影のような鎧を見る。真摯な眼差しは赤色に近い。
「今でも、あなたが許してさえくださるなら、いつでもこの紺青の衣など脱ぐつもりでいるのです」
「レオ」
 アルフォンスが咎めるように名を呼んだ。
「心にもないことを言ってはいけないよ」
「本気ですよ」
「……その本気の眼差しで嘘を吐けるところは、曾お祖父様からの遺産なのかなあ、レオ。あのひともしたたかなひとだったから」
 アルフォンスはやれやれ、と言うようにかぶりを振った。
「キミはキミのお父さんよりもおじいさんよりも、ロイ・マスタング大総統にそっくりだ」
「兄弟のうちでは誰よりも似ていないと言われますが」
「それはねえ、レオ。キミがあのひとにそっくりな証拠だよ」
 アルフォンスの赤く輝く眼窩が僅かに瞬く。
「あのひともね、本性を隠すのがとても上手いひとだったから」
「私は本心から言っているのです、マイ・ウィザード」
 アルフォンスはゆっくりと身体を傾けるようにして首を傾げた。
「……もし本心だとして、なにかに祈り尽くす習慣のないマスタングの家のキミが、ボクにそれほど傾倒するのはなんなのだろうなあ。やっぱりイシュヴァールの血なのかな」
 ふとレオナルドは眉間に皺を刻んだ。炎の下で赤みが強い茶の眼を細める。
「私はイシュヴァール人ではありませんよ。宗教国家を築くなど、戯言ばかりの連中などでは」
「キミのお母さんもお祖母さんもイシュヴァールの血が入っているし、キミも半ば以上イシュヴァールの遺伝子で出来ているんだよ」
「それは単に、混血の結果です。私がイシュヴァール人であるということにはならない」
「あのねえ」
 アルフォンスは可笑しそうにふふふ、と笑った。
「どんな思想と文化を持つ人種かなんて、そんなことはどうでもいいことなんだよ。そんなものはね、育つ環境によって左右されるものなんだ。ただ重要なのは、その遺伝子。遺伝子がキミを決定して、左右する。遺伝子の元には思想も文化も民族も無くて、ただベクトルがある。遺伝子こそが次の世代へキミを運ぶ」
「………遺伝子が生き物の本体だと?」
 違う違う、とアルフォンスは手を振った。
「生き物は……脳が進化して心を得た人間は、経験や感情やその年月を全て含めてそのひとなんだ。だから肉体と精神と魂全て揃えて、それが本体。遺伝子は、その本体の情報を次代へ繋ぐ、キミの素かな」
 ボクにはもうないものだよ、ときしり、と鎧を軋ませ首を傾げたアルフォンスを、レオナルドは瞬きもせずに見詰めた。
 ゆっくりと唇が開く。
「────人体錬成」
「……………」
 レオナルドは膝へと手を突き、心持ち身を乗り出した。
「……そういう、錬金術があると」
「誰から?」
「曾祖父の遺品のメモから」
 アルフォンスはしばし黙り、やがてふー、と溜息のような声を吐く。
「………キミが遺品を譲られたの?」
「誰にも理解できなくて放置されていたので、引き取ったんですよ、書斎ごと」
「そう。……嫌だなあ、どうしてそういうことするかなあ」
 きちんと焼却してから逝って欲しかったよ、と苦笑を滲ませたアルフォンスに、レオナルドは微笑を返した。
「急だったと聞きましたから」
「うん、暗殺だったもの」
「………まだ調査は続いているようです」
「もう犯人だって生きちゃいないよ。どれだけ経ったと思ってるんだろうねえ」
「官憲の仕事ですから」
 アルフォンスは肩を竦めて、ワインボトルを手に取るとそっとレオナルドのグラスへ注ぎ足した。
「……それで、キミは、人体錬成で何がしたいのかな、レオ」
「あなたの身体を」
「いらないよ」
 まるで答えを知っていたかのように即答に即答で返し、アルフォンスはかぶりを振った。
「いらない。老いる肉体が無くても、成長する精神が無くても、ボクは自由だ」
「けれどあなたは遺伝子を切望している。人間らしい、当たり前の熱を求めているのではないですか」
「熱、というものがどういうものだったのか、ボクにはもうよく解らないから」
「しかし、アルフォンス」
「レオ。鳥が羽撃くために飛ぶわけではないことを知っている?」
 レオナルドは面食らったようにぱちぱちと瞬いた。
「……移動するためや敵から逃げるためや、餌を摂るためですか」
 うん、そう、と頷いて、アルフォンスは膝に両手を置いた。
「だから、鳥が自由だと言うのはひとの感傷。鳥はいつだって、命を繋ぐことに縛られて飛んでいる。けどボクは、羽撃くために羽撃いている鳥みたいなものなんだよ」
 レオナルドは無言で視線を落とし、ワインの赤を見る。母の瞳と同じ色だ。
 
 アルフォンスにはない、遺伝子の力。
 
「………遺伝子から解放されている、のですか」
「命からも死からも、流れからもね。ボクはボクの好きなときに好きなところへ行ける」
 アルフォンスはうっすらと笑んだ。声は無く、レオナルドにはその微笑みは伝わらない。
「………ボクはボクの愛しているひとのところへ、いつだって寄り添える」
 それに、とアルフォンスは続けた。
「そもそも、人体錬成は不可能なんですよ」
 レオナルドが顔を上げた。訝しげな色を双眸へと浮かべている。
「ボクも兄さんも、散々その手立てを探したんです、マスタング少佐。けれど方法は無かった。理論と現実の溝を埋める最後の一ピースは見つけられなかったんです」
「………鋼の錬金術師とその弟君を持ってしても、ですか」
「ボクはともかく、兄さんは本当に天才でしたから、あのひとに出来なかったということは多分もう誰にも出来ないということなんだと思います」
 アルフォンスは微かに軋みながら僅かに身を乗り出し、レオナルドを覗いた。
「マスタング少佐」
「………はい」
「あなたは国家錬金術師制度を復活させたいのですね」
「……………」
 アルフォンスはどこか可愛らしく首を傾げたまま続けた。
「この100年、あなた方は目覚ましい進化を遂げた」
「………兵器のことを言っておいでですか」
「文明のことを言っているんです。兵器も含めて」
 アルフォンスは軽く肩を竦める。
「昔ならライフルも通さなかったボクの身体ですけど、今あなたのホルスターに入っている自動拳銃は一発でこの鉄板を撃ち抜くだろうし、今や国中のどこを探しても電気と電話と電波のない地域はない。どの家庭にも電話とラジオとテレビと冷蔵庫と洗濯機はあるし、大抵の家に自家用車はあるし、飛行機のチケットはどんどん安価になっていくし、列車は二日で国の端から端まで走るし、………あなた方は、ボタンひとつで遠く離れた国を爆撃することが可能だ」
「……………」
 アルフォンスはふ、と小さく笑う。
「錬金術なんかいりませんよ、マスタング少佐。そんなものはなくても、この国とあなたのお父さんの軍隊は、世界で一番強いんです。錬金術は忘れられた。それは錬金術が文明に追い付かなかった証拠です。……過去の遺物は、ボクのような過去の遺物が抱えてるくらいがちょうどいいんです」
 レオナルドはゆるゆるとかぶりを振る。
「私は、本当にただ、魔法が」
「錬金術は魔法じゃない、科学です。それも古い、今の文明からすれば酷く時代遅れの」
「しかし」
「マスタング少佐」
 アルフォンスは厳かに告げた。
「ロイ・マスタングの遺した錬金術に関わる全てを、誰にも見せず、早急に処分してください」
「─────」
「……それは、あなたのためにならないものなんです。錬金術は、人間の手に余ります」
 レオナルドは赤の強い眼を眇め、唇を噛んで俯いた。
「………了解しました、最後の錬金術師殿」
 アルフォンスは微かに鎧を軋ませ、微笑った。

 
 
 
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■2004/6/30
殲滅戦の英雄の息子や孫がどうしてイシュヴァール人(混血)と結婚しているのかと言えば、それはもちろん政略結婚だからです。血を混ぜて同一の民族として取り入れてしまうのはいい手ですというか基本です。また、大総統自らが自分の家系にかつての敵を迎え入れることで和解の象徴としたりもしています(この時点での大総統はイシュヴァールの混血ということになりますし)。
イシュヴァールに限らず、他国民・他民族との混血は進んでいるということにしています。原作でも既に混血が進んだ国みたいですけどね。髪も目も肌も有色から白色まで色々だ。
エターナル・フリーはこういう話に関係ない設定が多いです。全然検討していないのでいい加減な設定ですが。

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