いつものハーブの香りのする居間へと僕と軍人さんを通して、アルフォンスはお茶を淹れて来るから、と席を外した。僕はちらり、と向かいへ座って書棚へと目を向けている軍人さんを見た。 ふ、と視線が返される。 「何かね?」 「……えっと、アルフォンスに一体、何の用があるんですか? アルは軍隊の仕事を何か」 「悪いが、機密だよ」 僕は俯く。嫌などろどろとした気持ちが胸の底にタールのように落ちていた。 「……アルフォンスに人殺しなんかさせたら、ただじゃおきませんから」 軍人さんはふと眉を寄せるようにして笑った。苦笑というのだと思う。 「そんなことはさせない。というよりも、そんな権限は我々には無いよ。あのひとは自分のことは自分で決めることが出来る。君の父上やお祖父様、そのまたお祖父様よりもずっと長い時間を生きているひとだぞ。……我々には到底及ばない叡智をお持ちだ。あのひとは賢者で、自由人なのだよ」 僕はまじまじと軍人さんを見た。 もちろん僕だって、アルフォンスが物凄く長い時間を過ごして来たひとだというのは知っている。けれどあの子供のような声と優しい態度とときどき本当に子供のように拗ねたり悪戯したり僕らと一緒に駆け回ったりする姿を知っているから、この軍人さんがアルフォンスをとても尊敬しているらしいということがぴんと来ない。 「軍人さん…ええと、少佐さんは」 「レオだ。レオナルド・ロイ・マスタング」 「………ロイ・マスタング?」 なんだか聞いたことがある気がする。たしか歴史のテスト、で、 「ロイ・マスタング!?」 思わず叫んで身を乗り出してしまった僕に、レオナルドと名乗った軍人さんはにやにやと嗤って見せた。 「ほう、やっぱりうちのじいさまは有名人だ。こんな田舎の子供まで仰天させる」 「………って、やっぱりあのマスタング大総統ですか!? もしかしてアルフォンスの知り合いだったって言う大総統って…!」 「うん、うちのじいさまだ。曾じいさんだがね」 ロイ・マスタング、という名前は歴史のテストでは必ず出て来る。大人なら知らない者は無い、と言うだろう。 何しろこの国が今よりももっともっと小さかった頃、周囲の国を攻め、ときに手を組み、そうしてじわじわと国を広めて今のように安全で強固な大国に仕立てた立役者なのだ。昔々、といってもほんの100年か200年くらい前まで、この国は小さく、周囲の大国に脅かされて、いつでもきな臭い噂が立ち、多くのひとが戦争で命を落としていたのだと言う。 もちろん今でも軍の力はとっても強いし戦争もあるけれど、それでも僕も僕の父さんも、この国の国土が焼かれた経験は無い。 いつだって戦争は他国で行われていて、僕らの愛するこの国は、焦土となることはない。 そういう環境にするための礎を築いた大総統だ。そのひとの、曾孫。 「………あれ、でも、たしか今の大総統もマスタングって言うんじゃ」 「うん。うちの親父殿だね」 「じゃ、大総統の息子さんなんですか?」 「そうなるね。だからこの年で佐官なんてものにつけるんだが」 七光りだ、と笑った顔はまったく卑屈ではなくて、なんだかしたたかなひとだな、と僕は思った。 「………そんな偉いひとが、ひとりでこんなとこまで来ていいんですか?」 「プライベートだし、佐官と言っても私は名ばかりだしね。まあ誘拐して大総統を脅そうなんて考える馬鹿もいなくはないが、親父殿はそうなればちゃんと見捨ててくれるだろうから」 「……………」 偉いひとって解らない。 「で?」 「は?」 「さっき何か言いかけただろう」 ショックで忘れていた。 僕は慌ててああええと、と椅子に座り直した。 「えーと、レオ……さん、は、アルフォンスとはいつからお知り合いなんですか?」 「赤ん坊の頃からかな」 僕はぱちぱちと目を瞬かせた。 「え? だってアルは、ずっとリゼンブールに」 「住んでいるのはリゼンブールでも、あのひとは時折中央くらいまでなら出て来るよ。でなければこの屋敷にある古書はどこで購入すると言うんだ。最後の錬金術師殿の目でなくては、あのひとに役に立つ本は見付けることが出来ないからね。まあ、中央よりも遠くの、一両日で帰れない場所へは出て来たがらないが。リゼンブールを愛しておられるんだね」 「はあ……」 「祖父も父も私も、あのひとが名付け親だよ」 「………はあ」 なんだかとっても面妖だ。 それが顔に出たのか、レオさんは片方だけ眉毛を上げた。そんな顔をしても崩れないくらい整った顔なのだ、と僕は今更に気付く。都会のひとの顔だ。 「何を変な顔をしている」 「いや、だってアルフォンスって子供みたいだから、なんだかそんな、凄く偉いおじいさんみたいなこと言われてもぴんとこなくて」 「何を今更……君の名前がエドワードだと言うのなら、君の名付け親もあのひとだろう」 「は?」 ぽかんとした僕が問いただそうとしたとき、「お待たせしましたー」と言ってアルフォンスが現れた。 「ごめんね、お湯もなかったから時間掛かっちゃったよ」 「いえ、お気遣いなく」 さっきまでのにやにや笑いや呆れ顔が嘘のような澄ました顔に戻り、レオさんは差し出されたカップを受け取った。呆然としている僕にも湯気の立つカップを渡してくれながら、かしゃん、と首を傾げたアルフォンスが少し笑う。 「マスタング少佐は面白いひとでしょう、エドワード」 「え?」 「このひと、子供の頃からこうなんだよ。飄々として、人を食ったようなことばかり言うんだ。マスタングの血筋かな」 翻弄されちゃダメだよ、と笑うアルフォンスに、レオさんは苦笑して僕に悪戯っぽくウインクして見せた。 それから1時間の間、僕らはいろんな話をした。 レオさんはファーストコンタクトのひんやりした怖さは嘘だったみたいに軍人さんとは思えないほど愉快なひとで、アルフォンスと話をしたくて来たとか言うからてっきり難しい話を聞かさせるものだと退屈を覚悟していた僕は、お腹が捩れる程たくさん笑わせてもらった。 そうして窓の外が薄くオレンジ色に焼ける頃、僕は夕食だから、と言って帰ることにした。 「送っていかなくて大丈夫?」 「平気平気。また明日来てもいい?」 アルフォンスは申し訳なさそうに肩を竦めた。 「ごめんね、まだ仕事が残っているんだ。それに、このひとをイーストシティまで送って行かなくちゃいけないから」 「いや、構いませんよ、ひとりで」 「なに言ってるんです、あなたに何かあったらお父さんも胸を痛めますよ。そろそろ立場を自覚して、来るのは構いませんけど、腕の立つ部下の一人や二人くっつけて来てください」 「いや、イーストシティに部下を待たせていますから、本当に」 「だからここまで連れて来なさいと言ってるでしょ、以前から。待ち惚けさせちゃダメです。客間はあるから、一人二人増えたって構いやしません」 「…………はい」 ぺこん、と頭を下げたレオさんとぷんぷん、と言った様子の迫力のない怒り方をしているアルフォンスを見比べて、やっはり面妖だなあ、と僕は思った。 「……あ、ねえ、アル」 僕はふと思いつき、断られるのを承知で口に出して見た。 「僕もイーストシティにくっついて行っちゃダメ?」 「ええ? 学校は……ってああ、明日日曜日か」 「うん。……ダメ?」 アルフォンスはレオさんを見た。 「構いませんか?」 「ええ、私は」 アルフォンスは頷いて、あっさりと「いいよ」と承諾した。 「ただしちゃんとお母さんとお父さんに了解を得てね。明日の朝に迎えに行くから」 「え、いいの?」 「いいよ。エドワードもそろそろリゼンブールの外のことも知っておいたほうがいいと思うし」 僕は思わず手を叩いて喜んでしまった。アルフォンスがくすくすと笑う。 「帽子は被るんだよ」 「はーい!」 「今日は早く寝てね」 「うん! じゃ、僕帰るよ。また明日ね、アル、レオさん」 「うん、気を付けて」 「おやすみ」 二人に手を振って、僕はばたばたとアルフォンスのお屋敷を飛び出した。外はオレンジ色の優しい光が満ちていて、ああ明日も天気がいいみたいだ、と僕はとても嬉しくなった。 |
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■2004/6/30 長いよー終わらないよー(とほー)。
相変わらず見通しが甘いです。
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