閑静な住宅街だった。官舎、というのだろうか。区画の入り口には憲兵が立っていて、アルフォンスは握りしめてくしゃくしゃにしてしまった手紙を紹介状代わりにその家へと辿り付いた。
 
 屋敷、と呼ぶには小さく簡素な家だ。
 リゼンブールには憲兵が二人いるだけで軍との関わりの薄い田舎だったから、アルフォンスは軍人のことはよく知らない。けれどそれでも、将軍という肩書きを持つ人間がごく一握りで、普通は貴族もかくやと言うほどの財を得て豪奢に暮らしているらしいことは知っている。
 だが、この家は。
(住所間違えた、わけじゃないよね……)
 『マスタング准将』は有名人らしく、その名を出しただけで憲兵が丁寧に教えてくれたのだ。だから万が一手紙の住所が間違っていたとして、ここが彼の住居であることには間違いはないはずだった。
 アルフォンスはしばし門扉の前で逡巡したが、巡回している憲兵に不審な眼で見られていることにはっとして、意を決して敷地へと踏み込んだ。数歩で辿り付く玄関の扉は古びていて、獅子らしきレリーフが浮き彫りにされている。アルフォンスはそれを見ながらノッカーを叩いた。
 しばらく待っていると扉の向こうに気配がして、ノブが回った。瞬間、唐突に回れ右して駆け出したくなった自分を叱咤して、アルフォンスはぎゅっと目を瞑りうつむくだけにとどめる。
 ゆっくりと、扉が開いた。
 
「…………、」
 
 微かに驚愕を込めた沈黙があった。アルフォンスは肩に込めた力をそのままに、そろりと目を開く。視線の先に、柔らかく動きやすそうな編み上げのショートブーツを履いた、足。
 ───小さな。
 アルフォンスはぱちぱちと瞬き、顔を上げその足がスカートを履いているのを確認するに至って弾かれたように家人を見上げた。
 美しい、女性だった。
 化粧の薄い顔と、薄手の服の上からはっきりと解るバランスのとれた肩の線から、少なくとも毎日編物ばかりをしているような女性でないことは解った。おそらくは軍人だ。けれどそれでも彼女はアルフォンスの想像する女性軍人の像よりも遥かに美しく、また優しげに見えた。その大きな茶の眼が、驚いたようにあどけなく瞬いたせいかもしれない。
「………アルフォンス君?」
「は……はい」
 思わず肯いたアルフォンスに、彼女は淡雪が溶けていくように、ふわりと微笑を浮かべる。
「ああ、やっぱり。エドワード君と同じ髪と眼をしているから、もしかしてと思って」
「あ、の……兄さんのことを」
「ええ、知っているわ。あなたのことも」
 え、と瞬いたアルフォンスの腕を一見やんわりと、けれど見た目よりも大きく硬い掌で掴み、彼女はリザと名乗った。
「あ、あの」
「どうぞ、入って。准将に会いに来たのでしょう?」
 逆らえない強さでアルフォンスを引き込んで、リザは扉を閉めた。
「待っていて、今お会いになれるかどうか伺ってくるわ」
「伺って、って……」
 
 もしかして寝付いてしまっているのだろうか。
 
 そういえば無理を押した様子でダブリスにやって来てからまだ三日と経っていないのだ、と気付いて、アルフォンスはふいに帰りたくなった。しかし閉じられた扉はアルフォンスの退路を絶ち、少年はただ立ち尽くす。くらり、と軽くめまいがした。
 
 ───綺麗な奥さん、だな。
 
 部下かも知れない、と考えつつも、けれどそれが一番しっくり来るような気がした。つい先日の強い日差しに煙る地での邂逅が、ふいに夢のように霞んでいく。
(あのひとは、ちゃんと生きているひと、なんだ)
 誰にも取り残されず、正しい時代を、正しいひとと共に。
 
 白昼夢のような邂逅は自分だけの錯覚であったのだと、アルフォンスは手紙を胸に押し付けた。
 
 ああ、また。
 
(置いて、行かれた)

 
 
 
 
 
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■2006/3/9

初出:2004.11.29

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