「どうしたアル。元気ないね」
 いつもの修行をこなして日陰にひっくり返っていたアルフォンスに、唐突に師匠がそう言った。
「つ、疲れただけです…」
「なんだだらしない、いつものことだろう」
「い、いつもよりキツくなかったですか!?」
 同じだよ、と言いながらまだ大の字になったままぜいぜいと喉を鳴らしている愛弟子の擦り剥いた額にぺたりと絆創膏を貼り、師匠は隣によいしょと座り空を見上げた。アルフォンスはその明日の天気でも予測しているかのような顔を見つめる。
 
 記憶にある師匠より、大分年を取った気がする(勿論口に出しては言えないが)。
 
 アルフォンスの記憶では師匠のところで修行を終えたのはそれほど前ではないというのに、皆が皆懐かしそうな顔をしてこの修行の風景を見る。
 お使いに出ればエルリックのとこの坊やたちは三人兄弟だったのかと言われるし、アルフォンスであることを話しても冗談好きの少年だと笑われるばかりで記憶にあるよりもそれぞれに老けたかつての知り合いは皆、アルフォンスを新顔の子供として扱う。
 リゼンブールでもダブリスでも友達は皆年上になっていて、もう誰もアルフォンスと駆け回ることはしない。───ウィンリィで、すら。
 
 取り残された。
 
 その気持ちが強い。変わりなく扱うのはカーティス夫妻とメイスン、そしてピナコだけだ。
「こら」
 寂しさがこみあげてなんだか悲しい気分になっていたアルフォンスの頬を、つまむと言うには強過ぎる力で師匠の指がつねった。アルフォンスは悲鳴を上げる。
「い、いひゃいですへんへい!」
「また余計なことを考えているんだろう」
 まったく弱虫だねお前は、と言いながら師匠は手を離した。アルフォンスは涙目で頬を擦る。
「………だって、師匠」
「だってもくそもない。お前が今辛いのはお前が今こうして生きている、その代償なんだろう。乗り越えなくてどうする」
「………だって」
 アルフォンスは強い視線からそっと目を逸らす。
「だって、……寂しいです、やっぱり」
「そんなんじゃエドを取り戻すなんて夢のまた夢だよ」
「………兄さんもボクを置いていってしまっているのかな」
 師匠は眉を顰めた。視線を逸らしたままのアルフォンスはそれに気付かない。
「4年って、長いですよね、やっぱり。……14歳のボクなんてうまく想像できないし」
「それほど変わっちゃなかったよ。お前もともと少し大人びてるからね」
「魂だけで鎧になっちゃってたなんて」
「それでもお前はお前だったよ。まとも過ぎてびっくりしたくらいだ」
「………兄さんは、そういうボクを、アルフォンスだって思ってたんでしょ? 兄さんだけじゃなくて、みんな」
「馬鹿を言うもんじゃない、アル」
 女性にしては大きな硬い手が、アルフォンスの頭をわしわしと撫でた。
「お前はお前だよ。ちょっとくらい年が戻ったからってなんだっていうんだい。4年なんてあっと言う間さ。私なんて、見ていられなかったお前の4年を改めて見てられる機会を得れて、ちょっと得した気になってるくらいだ」
「得って」
 得だろ、と師匠は笑った。
「ロックベルさんとこのおばあさんもそう思っているかもしれないよ。…焦らなくてもね、アル。お前はあっという間に大人になってしまう。だから今、少しだけ子供でいることの何がそんなに悲しいんだ」
「………だって、みんな」
「まただってか。みんながお前を忘れてしまったわけじゃない、みんなまだ慣れないだけなんだよ。すぐに元通りに仲良くなれるさ」
 アルフォンスは黙り込んだ。その弟子を見つめ、師匠は小さく嘆息した。その溜息に、アルフォンスはぎくりと肩を震わせる。
「昨日の軍人のことか」
「…………」
「……まあ、鎧のお前しか知らない軍人どもとは元通りとは行かないかもね、お前のほうが」
 弾かれたように見開いた目を向けたアルフォンスを、師匠は瞳を細めて見下ろした。
「そうだろう? ……あっちはお前を知っている。だから付き合っていけば元通りにはなるかもしれない。さっきも言ったけど、お前大して変わっちゃいないんだからね。でも、お前はあいつらとは初めて会うんだ。……エド抜きで元通りになれるかと言えば、それはなれないだろうと私は思う」
「…………」
「けど、それになんの問題がある? これからも付き合って行きたいのなら、最初から、もう一度知り合えばいいだけの話だろう。お前にとっては初めての出会いであることは間違いがないんだ」
 師匠は微笑み、引き寄せた膝を抱いた。南部の日差しに身体を苛まれているのは昨日会った准将だけではない。むしろ、この暑さの厳しい土地に住居を定め今の時期には日々身体の休まることのない、彼女のほうが。
 そう言えば師匠は夏場はよく旅行に行くんだった、と気付いて、もしかして避暑だったのかもしれないとアルフォンスは思う。自分がここにいることで、彼女に酷く無理をさせてしまっているのではないかと。
 けれどそれを口にしたところで一笑に付されるか殴られるかするだけだと言うことは解っていたので、アルフォンスはただ沈黙をした。
(師匠のことなら解るんだけどな……)
 けれど大人になってしまった友達や、憶えていないあの准将のことは。
 
 ………解りたい、のに。
 
 アルフォンスはゆっくりと身を起こした。師匠が見つめている。
「……師匠。夏休みください」
「何だと?」
 アルフォンスはまっすぐに師匠を見上げた。怪訝な顔の中の黒く細い目はあの男と同じ色であるはずなのに、優しく、表情豊かに輝く。
 その虹彩にアルフォンスを映し込む師匠の双眸は、闇のようだったあの眼とは、違う。
 アルフォンスは低く、けれど真摯に宣言した。
「中央へ行ってきます」
 
 あの闇色の眼を、もう一度見るために。

 
 
 
 
 
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■2006/3/9

初出:2004.11.26

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