二人で話をしてもいいか、と訊いたマスタングと名乗った軍人に、師匠はしばらく難しい顔をしてから眉間の皺を解かないままにひとつ頷き承諾した。庭へと出て行く軍人について行きながらふと振り向くと、師匠はふっと表情を和らげてアルフォンスの背を押した。
 アルフォンスは慌てて庭へと駆け出、強い日差しに額に手を翳していた軍人の腕をそっとつつき木陰のベンチを指差した。
「あの、あの木の下に。ダブリスは暑いけど、今の時期は湿気はあんまりないから日陰は涼しいんです」
 顧みた顔は酷く青くて、アルフォンスは途端に師匠を思い出す。身体の具合がよくないのではと考えながら今度はそっと腕を取って引くと、男は杖を突きながらゆっくりと付いて来た。片足を引き擦る様に、これでは退官したほうがいいんじゃないのかと考える。
 実際、掴んだ腕は恐ろしく痩せていて軍人とは思えないほどだ。
 ちらちらと顔を仰ぎ見るアルフォンスに気付いたのか、男は頬を崩し微笑んだ。涼しい風の通り抜ける日陰に入り勧められたベンチに腰掛けた男の額にすうと汗が浮かぶ。
「ちょっと大怪我をしてね、少し身体が鈍っているんだ。足もまだ完全に癒えていないだけだよ」
「その、眼は」
「ああ、これもそのときのね」
 軽く眼帯の上から左目を押さえて、男──ロイはアルフォンスを見つめた。ひとつしかない闇色の眼が、まるで値踏みでもするかのように瞬きもせずアルフォンスを縫い止める。
 再び、小さく胸が痛んだ。
 アルフォンスは息を詰め、それからそっと視線を外してロイの隣へと座る。
「………あの、マスタング准将、は、その、ボクのことを」
「ああ、知っている。君の兄は私の下にいたからな」
「兄さんが? 軍人の?」
 ロイは静かに頷いて、ジャケットの内側へと手を差し込み懐中時計を掴み出した。銀色のそれは傷だらけで、けれどアメストリス軍の紋章がはっきりと浮き彫りにされている。
「国家錬金術師の……」
「そうだ」
「錬金術師なんですか」
「ああ」
 アルフォンスは男を仰ぎ見る。
「………ボクが鎧だった頃を、知っているんですね」
「ああ、よく知っているよ」
「ボクらの罪も」
「全て承知だ」
 そうなんだ、と呟いて、アルフォンスは再び銀時計に眼を落とした。馴染みのない時計だ。兄が持っていた、とは聞いているけれど、アルフォンスはそれを憶えていない。
 無骨な男の手の中の、負けずに無骨な銀の時計とそれから下がる銀鎖。
 銀鎖がゆら、と揺れて、音を立てて男の手からこぼれその膝を打つ。男は無言でそれを見つめているアルフォンスを見つめていた。
 
 また、胸が軋む。
 
 アルフォンスは引き攣るように呼吸した。
「ボクはあなたを憶えてない」
「……ああ、そう聞いているよ」
「全然憶えていないんだ。自分が鎧だったなんてことも憶えていないし正直有り得ないって思うし、母さんの錬成に失敗したのだって信じられないし、兄さんがいないことだって本当は半信半疑なんだ。でも、師匠もウィンリィもみんな歳を取ってて、ボクだけがそのままで、なんだか取り残されたみたいな気がして、兄さんならこの気持ちを落ち着けてくれるのかもしれないって」
「……それで、兄を取り戻したいのか」
「違う違う!」
 アルフォンスは慌ててかぶりを振った。
「違うんです! ボクはただ兄さんに会いたいんだ、それだけなんだ。だから、ボクのせいで兄さんが消えてしまったというんなら、兄さんを取り戻せるのはボクしかいないってそう思って……」
 俯いたまま膝に拳を当てて叫ぶように吐露するアルフォンスの背を、大きな手がふいに撫でた。アルフォンスは弾かれたようにロイを見上げる。
 ロイは真摯に、ひとつ頷いて見せた。
「君が兄を慕っていることはよく解っている。私に弁解する必要はない」
「………あ、」
 ごくり、と唾を飲み込み乾いた唇を舐めて、アルフォンスはくらくらと眩暈のする眼をしばたたかせた。
「ご、ごめんなさい、なんだかボク……」
「構わないよ」
「………ボク、あなたを憶えていないのに」
 否、憶えていないのではない。
 
 知らない、のだ。
 
 そしてそのことが酷く胸を軋ませているのだと、アルフォンスは気付いた。
 彼を知らないこと、が、それが、とても。
(とても、悲しい)

 
 
 
 
 
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■2006/3/9

初出:2004.11.16

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