・ 5 ・
 
 
 
 
 
 
 
「おいこら、無能将軍」
 がす、と椅子を蹴られて衝撃で眼が醒めた。
「…………鋼の? 仕事は終わったのか」
「超特急で終わらせたわ! 何アルの手ェ握ってほのぼの寝てんだテメェ」
「ああ」
 いつの間にか眠っていたらしい。
 ロイはまだ寝息を立てているアルフォンスに抱えられていた右腕をそっと引き抜き、凝った背中を伸ばした。窓からは早朝の仄白い光が差し込んでいる。
「何時だ?」
「7時前」
「………すっかり寝てしまった」
 アルフォンス君が温かいからつい、と言うとエドワードは物凄く嫌な顔をした。
「アルに手ェ出したらただじゃおかねぇ」
「手を握って来たのはアルフォンス君だぞ。手を繋いで寝る癖を付けたのは君じゃないのか」
「………アルが? アンタの手を?」
「ああ」
 エドワードはむ、と眉を顰めて黙り込んでしまった。何だ一体、と首を傾げて見せると、朝から酷く不機嫌な兄はほとんど八つ当たりのようにロイを睨む。
「………アルがオレ以外の男の手を自分から繋いだことってないんだけど」
「ほう、それはそれは。兄離れが始まったんじゃないか」
「るっさい! そんなもんさせてたまるか!」
 我が侭者め、とロイが笑うと同時に声に気付いたのかアルフォンスがもぞもぞと眼を擦る。
「………兄ちゃん?」
「おー、アル。ただいま。んでおはよう………っておわ!?」
 ぱっちりと眼を開いたアルフォンスは満面の笑みを浮かべ、がばりと飛び起きると同時に兄へと飛びついた。ふいを突かれた兄はそれでもしっかりと弟を捕まえて、そのままどたりと床へと仰向けに倒れた。
「い……ててて」
「兄ちゃんおはよー。おかえりなさーい!」
「ってアル、お前な! いい加減でっかい身体してこれはよせっつったろー!? 突然だと兄ちゃん受け止め切れねーから!」
 兄の小言もどこ吹く風と言った幸せそうな笑顔で、えへへ、とその金髪に包まれた頭をすりすりと擦り付けているアルフォンスと、何だかんだ言いながらもとろけそうな笑顔でその頭を撫でているエドワードを見下ろし朝から仲がいいことだ、と肩を竦めて、ロイはカーテンを開けた。
「おはよーございます、ロイ」
 振り向くとアルフォンスと眼が合った。
「おはよう、アルフォンス君」
 微笑み合う二人にまだ弟に押し潰されたままのエドワードがちょっと待て、と低く呻く。
「ロイだと?」
「『General』と呼び難そうだったんでね」
「だからってなんでファーストネームだ!?」
「『マスタングさん』ではもっと言いづらいだろうが。アルフォンス君、朝食の卵はどうする」
「スクランブル−」
「了解した」
「無視すんなコラ」
「うるさいな。君は何がいいんだ、鋼の」
「オレもスクランブル」
「牛乳はホットか」
「いらねェ!」
「飲め。アルフォンス君に示しがつかん」
 すたすたと寝室を出て行くロイを追うようにもう背も伸びたからいいんだ! と騒ぐ声が聞こえていたが、無視して居間のテーブルへと散らかしたままだった書類を集める。
 それからキッチンを覗いてパンとベーコンと林檎を取り出し、冷蔵庫にきちんと牛乳が納まっているのを見てよしよし、と頷いたロイはついでに卵も取り出して、朝食を作り始めた。ようやく寝室から出て来たらしい兄弟が、エドワードが熾し直したらしいストーブの前で話をしているのが切れ切れに聞こえる。
「鋼の、運べ」
 呼ぶとへいへいと投げ遺りな返事と共に長い金髪をわしわしと掻き混ぜたエドワードがやって来た。
「君、臭いな」
「るせェ。風呂なんか入ってる暇があると思うか」
「………思うんだが、将軍に子守りをさせて朝食を作らせてその態度の国家錬金術師など君くらいのものだな。下の者が聞いたら憤死する」
「いやあ、アンタ嫌われてっから喜ばれんじゃねえの」
 しっかりとマグカップに注がれた温めた牛乳を発見してあからさまに顔を顰めつつ、エドワードはトレイに出来たての朝食を乗せて踵を返す。
「あ、将軍」
「なんだ」
 フライパンを拭き取っていたロイの背に、彼にしては扱く控えめでしおらしい声が掛けられた。
「その、サンキューな」
 振り向くと金髪のしっぽが壁の向こうに消えるところだった。ロイはふと苦笑を浮かべる。
 本当に、あの兄は弟には弱いらしい。
 
 
 
 朝食を取り終わり顔を洗って、今日はどうすんの、と聞くエドワードにもう帰る、とロイは早々に腰を上げた。
「帰ってもう一度寝直してちょっと仕事をしてまた寝る」
「………デートとか言わないわけ」
「いつ呼び出しが来るか解らないのにご婦人とデートなど出来るか。今月はもう暇がない」
 玄関口でふうん、とつまらなそうに耳を掻く兄の横で、ふと眉を下げたアルフォンスがロイの袖を掴んだ。
「帰っちゃうの?」
「ああ。またな、アルフォンス君」
「…………」
「今度は暇なときに遊びに来るから。君がリゼンブールへ帰ってしまう前に一度どこかへ行こうか」
「おい、ひとの弟ナンパしてんじゃ………」
「いいの!?」
 兄の文句は弟の満面の笑顔で遮られた。エドワードの苦虫を噛み潰したような顔を見て笑いながら、ロイはアルフォンスの手を袖から離し、頭を撫でた。
「またな」
「またね、ロイ」
「さっさと帰れこの放火魔」
「その躾の悪い口を燃やしてやろうか」
 まったく、と肩を竦めて手を上げ、門扉まで歩いたロイはふと足を止めた。振り向き、ぱちぱちと眼を瞬かせている兄弟を見る。
「そうだ、鋼の。アルフォンス君なんだが、多分彼は………」
 
 君が思うより、ずっと多くのことを。
 
 しかしそう続けようとしたロイは、ふと言葉を切った。
 兄の横で、眩しげに眼を細めて微笑んだその顔が叡智に満ちていて。
 
 ゆっくりと唇が動く。
 
「………なんだよ。アルがどうしたって?」
「いや、何でもない」
「は?」
「またな、鋼の錬金術師。またな、………アルフォンス・エルリック」
 もう一度片手を上げ、ロイは今は何の花もない小さなアーチを潜り石畳を踏んだ。きっと兄は不可解そうな顔をして、無邪気に手を振る弟を見ているのだろう。しかしロイはもうそれ以上を告げることはしなかった。
 
 ───内緒ですよ、マスタング少将。
 
 と。
 笑みにゆるやかにカーブした唇が、ゆっくりと声のない言葉を刻んだので。
 
 悠久の薄闇を彷徨う幼く無垢な青年が、ただひとりでその闇を掻くことを決めたのなら。
 愛しく想う人々に、その闇を背負わせたくないと言うのであれば。
 
 僅かにでもこの自分に覗かせてくれたその闇を、隠し通す共犯者となることなど容易い。
 自ら闇を背負えるようになるまで、彼はただ無垢に微笑み、愛しく想う人々を欺く。
 優しい嘘だ。
 優しい裏切りだ。
 
 だから、とロイは呟く。
 
 私は君に気付かれぬよう、離れた場所から君の支えとなろう。
 
 ────かつて、君の兄にそうしてやったように。

 
4<<

 
 
 

■2004/6/6

ロイアルもいいですよね!(節操なし)
からっぽちゃんはアルがみんなに愛されるといいなあという妄想のもとに出来ています(駄目妄想)。
ところでハガレンって冷蔵庫は一般家庭にあるものなんで、す、か……?(疑問)

NOVELTOP