「………なんだこれは………」 ソファの上で膝を抱えてちょこんと座っていた小さな塊は、眉を吊り上げ頬を膨らませた不機嫌な顔でちらりとこちらを見ただけであいさつもしなかった。 「あ、大佐」 その隣に座ってしきりに宥めるように話し掛けていた大きな鎧が、慌てたようにがしゃんと立ち上がる。 「よかったー、じゃああの、コレお願いします」 「は?」 これ、と指差された幼児は小さな手でその大きな指をぺちぺちと叩いている。 「アルっ! にいちゃんを指差すヤツがあるかよ!」 少々舌っ足らずの甲高い声が喚いて、鎧の少年はああごめんよ、と慌てて両手を上げた。 「じゃあ兄さん、ここにいてね。大佐……このおじさんが相手してくれるからね」 「おじさんて君、」 「なんだよアル! どっか行くのか!? オレも行くよ! 知らないオッサンといるのなんかヤダ!」 「オッサンて……」 口の悪い子だな、と溜息を吐いて、それからロイはあれ、と首を傾げた。そろり、とアルフォンスを見上げて小さな金髪を指差す。一筋の髪の毛がアンテナのようにぴんと立ったその頭は、無論見覚えのあるサイズではないのだが。 「………アルフォンス君? 君には国家錬金術師のお兄さんの他に、こんな幼い兄もいたのか?」 「いえあの、」 アルフォンスは恐縮したように肩を竦めて、てへ、と笑った。 「兄さんなんです、コレ」 「コレって言うな!」 「だから、兄が二人いるんだろう? 長男はどこに行った?」 「いや、だから、これが兄さんなんです。ボクら正真正銘二人兄弟です。コレ、エドワード兄さんなんです、大佐」 まじまじと見下ろすと、むくれたままの可愛くない顔をして金色の吊り目の幼児はぷいとそっぽを向いた。 「………私の知っている鋼の錬金術師は15歳で、豆とは言え取り敢えずコレよりは大分大きかったように思うんだが、記憶違いかな」 「いえあの、だからちょっと縮んじゃって」 「縮むって」 「朝起きたらこんなだったんです。色々調べてみたけど原因解んなくって、仕方ないからロックベルのばっちゃんのとこに預けて戻す方法探そうかと思ったんですけど、リゼンブールに行く前にイーストシティの図書館も調べて行こうかなって。だからその間預かってください」 「決定事項かね。しかし生憎だが私はまだ仕事が」 「大丈夫です、ホークアイ中尉に許可とりましたから」 「……子守などしたことがないんだが」 「ボクだってしたことないけどここ数日なんとかなってました。大丈夫、生意気ですけど頭いいから」 「生意気な子供の世話などしたくないんだが………」 「生意気ですけど、素直ですよ」 ロイは黙り込んだ。 「………素直な鋼のなど気持ちが悪くはないかね」 「三歳になったばかりなんだそうです」 「無視しないでくれたまえアルフォンス」 鎧の少年は無視したままマイペースに説明を続けた。 「記憶も三歳のときまで戻ってます。なんでこんなとこにいるのか全然解ってませんから最初怖がるかもしれないので宥めてください。ボクがアルフォンスだってことは信じてませんけど、でもボクには懐いてます」 苦労しました……となんだか遠くを見たアルフォンスにその苦労をこれから私にさせようというのか、と肩を落として、ロイは嫌そうに幼児を見た。 「………何故私にお鉢が回ってきたのかね。ハボックあたりでも構わんだろうに」 「え」 いやだってそれはほら、と困ったように声を潜めてぼそぼそと言う少年にロイは呻く。 「解った、解ったから言うな」 「すみません」 「錬成の失敗かなにかなのか?」 なんだか解らないままに不穏な空気を感じているのかアルフォンスとロイを交互に見上げていた幼児のアンテナを摘みながら尋ねると、ぺち、と手が払われた。 「あっこら、兄さん!」 「触んじゃねー!」 すみませんとぺこぺこと頭を下げるアルフォンスにいいから、と片手を上げて、ふむ、とロイは顎を撫でた。 「なんだか面倒臭そうだなあ」 「面倒臭いとか言わないでください……もし戻らなかったらボク10年くらいは兄さん育てなきゃいけなくなるんですから。結構切実な事態なんですよ」 「まあ私はこのままでも構わんが……」 「少しくらい元に戻ってほしいとか思ってあげてくださいよ、せめて……」 うう、とさすがに兄が不憫になって俯くアルフォンスに冗談だ、と真顔で言って、ロイはぐしぐしと金髪を撫でた。途端ぎゃんぎゃんと喚く幼児は無視をしてアルフォンスを見上げる。 「まあ、仕方がないな。夜は引き取りにくるのか? でなければ私はともかく、コレ自体がストレスで辛いんじゃないかと思うが」 「人見知りしてるように見えますけど警戒しているだけです。結構人懐こいからそれは大丈夫だと思います。出来れば数日預かってほしいんですけど……毎日顔は出すし電話もしますけど」 「私は仕事が」 「中尉がせっかくだからこの際まとめて休み取ってくださいって」 「まったく休めないだろうが。育児休暇じゃないかこれでは」 「まあまあ、チャンスだと思ってくださいよ。兄さんが三歳児なんですよ。元に戻ってから記憶が残るかは怪しいですけど、でも今のうちに色々刷り込みしておけば後で使えるかもしれないじゃないですか」 「君結構言うよな」 暴れる幼児の腕を掴み力比べをしながら淡々と会話を進め「無視すんじゃねえ!」と怒鳴らせてロイはにやりと見下ろした。 「ま、なんにしても中身は鋼ののようだ」 「そりゃそうですよ、兄さんですもん」 じゃあよろしくお願いします、とぺこりと頭を下げて兄さんいい子にするんだよ、と顔を覗き込みがしゃんがしゃんと執務室を出て行く少年を、ぱっと立ち上がり追い掛けようとした幼児をロイはひょいと抱えた。 「アルフォンスは用があるんだ、迎えにくるまでおとなしく……ってあた、いたたこら、」 べちべちと暴れる腕に顔と言わず胸と言わず叩かれて、けれど放せば飛び出して行って司令部内で迷子になるのが目に見えていたため、ロイは問答無用で肩に担ぎ上げた。 「あれ、大佐お帰りですか」 「帰っていいという話だったからな。ハボック、車を出せ」 「え、俺まだ仕事が」 「私にコレを担いで家まで帰れというのか」 腰と足を押さえられているせいで腕しか自由になる部分がない幼児は先程から離せ離せと喚いてどかどかとコートに包まれた背を殴り付けている。かと思えば髪を引っ張りそれでも放さないと知るとあんぐと口を開けて耳へと噛み付き掛けた。ハボックが慌てて引き剥がす。 「た……大佐、大丈夫ですか? 怪我させたり怪我したりしないでくださいよ」 「子供に手を上げるほど短気ではないし、青痣くらいは覚悟しているさ。なんにしても鋼のだろう? おとなしいわけがない」 はー、と幼児の猛攻から逃れて溜息を吐き、ロイはさっさと廊下を歩き出した。幼児を抱きかかえたままハボックが慌てて後を追う。 「なんでまたアルはあんたを指名ししてったんでしょーね?」 「暇そうに見えたんじゃないか」 「いや、さすがにそれは……」 「お前も中尉も今は手が離せないでいるからな、中尉にそう聞いたのかもしれんよ。確かに私は抱えていた仕事が手を離れたばかりで多少余裕はあったしな」 「ああ……まあ、そうっスね。事情が解ってまとめて休み取れそうなのも大佐くらいですか」 そう言うことだ、ともう一度溜息を吐いて、ロイはちらりとハボックに抱えられてむくれたまま、けれどおとなしくしている幼児を見た。随分な態度の違いだ。 アルフォンスと引き離したせいで嫌われたかな、と考えながら、ロイはぼさぼさになってしまった黒髪を指で梳いた。 「こら! おとなしくしろ!」 先程ひっくり返した牛乳にまみれたシャツを脱がされ、新しいシャツを袋から取り出している隙に逃げ出そうとしたところを掴まった。引っ掻き傷だらけの手の甲とぼさぼさに乱れた髪の男は時折大声で怒鳴るもののエドワードに手を上げる様子はない。とりあえずそういう意味では怖くはない。 怖くはないが、しかしそれとこれとは話は別だ。 アルフォンスを探さなくては、と思った。リゼンブールに連れて帰ってくれると言っていたのに、こんな見知らぬ男のところに置いて行くなんて反則だ。 優しくてちょっと厳しい、けれどどこか母を思い出す仕種を時折見せる弟と同じ名前でエドワードを兄さんと呼ぶあの大きな鎧に早く会いたかった。 「こら!」 がし、と腕を掴まれた。こうなってはそう簡単には振りほどけない。 「離せよ!」 エドワードは腕を滅茶苦茶に振り回した。ぼかぼかとあちこち殴り蹴りを入れても、男は腕を放してくれない。 「離せってば! はーなーせッ!」 「ッ、」 ばちっ、と指先が顔を弾いた。途端僅かに緩んだ手から腕を取り戻し、エドワードはどたばたと居間を一直線に抜けた。廊下に飛び出てまろびながら玄関まで駆ける。振り向いても男は追ってこない。 「…………あれ?」 玄関先に立ち、しばし背後を窺って居間から誰も出て来ないことを確認し、そろそろとドアノブに手を掛ける。そうしてもう一度振り向くが、やはり男は追ってこない。 「…………」 エドワードはそろそろと足音を忍ばせて廊下を歩き、そうっと開きっぱなしだった扉から中を見た。男は先程と同じ場所に座り込んで、エドワードの新しいシャツを膝に乗せたまま片手で目元を覆い俯いている。 「……なあ、」 恐る恐る声を掛ける。けれど男はぴくりともしなかった。エドワードは困って眉を下げ、そうっと及び腰で男に近付く。 「なあ、……いたかったのか? オトナなのに泣くなよ」 ぼそり、と男が何か呟いたようだった。エドワードは聞き取ろうと顔を近付ける。 「聞こえなかった。なに?」 がし、と、腕が掴まれた。ぽかんと見上げたエドワードの眼に、まだ左手で左目のあたりを押さえたままの男が、にやり、と嗤ったのが映る。 「───捕まえた」 「って、」 エドワードはこれ以上ないほど金の眼を瞠り、ぽかんと顎を落とした。 「ず……ずっけえ! ずっけえー!! ウソ泣きなんてオンナのするもんなんだぞー!!」 「どういう認識だ、それは。大体泣いてなんかないだろう。君が勝手に勘違いしただけだ」 言いながら今度は暴れ出す前にすんなりと手を離し、男はシャツをまだ上半身裸でいたエドワードに渡して立ち上がった。 「一人で着れるか? 着れないなら少し待っていろ」 「え?」 すたすたと出て行ってしまった男を見送り、少し迷ってからぱたぱたと後を追い掛けて廊下に出ると、洗面所のほうから水の音がした。慌てて駆けて行き覗き込むと、男が水で眼のあたりを洗っている。 「なあ、ケガしたのか? 大丈夫か?」 「うん?」 棚に畳んであったタオルをとり濡れた顔を押さえながら振り向いて、男は少し笑った。 「いや、ちょっと爪が引っ掛かっただけだ。それより君、爪が伸びているだろう。アルフォンスだとあの身体だからな……爪が触らないから気付きにくいのかもな」 ぶつぶつと言いながらタオルを下ろし晒された左眼のあたりは、幾筋かの傷が赤くミミズ腫れのように僅かに腫れている。それ自体は大したことがないように見えたが、左眼の、本来白いはずの部分が酷く充血していてエドワードは仰天した。掴んでいたシャツを握ったまま駆け寄り、膝に縋り付く。 「なあなあ! 眼ェ大丈夫なのか!? 見えなくなったりしないか!?」 「え?」 「びょういん行こ! 大丈夫お医者さんはこわくないから!」 ごめんなごめんな、と何度も謝るとぱちくりと黒い眼を瞬かせて、男はくつくつと喉を鳴らして笑った。大きな手がぐりぐりと金髪を撫でる。 「大丈夫、放っておけばすぐ治るし、別に眼が見えなくなったりもしない」 握り締めていた真新しいシャツをエドワードの手から取り、しゃがみ込んで着せながら男はなるほど、生意気で素直ね、と呟き笑った。 「……何笑ってんだよー」 「いや、───君はいい子だな、エドワード」 ぽかんと間近にある男の顔を眺め、エドワードはむうとむくれた。頬が熱い。 「なんだよ急に。変なヤツ!」 悪口を言われているはずなのに、男は楽しげにくつくつとまた笑った。 |
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■2005/8/2
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