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「なあなあなあ、ちょっと起きろって大佐。起きてオレの話を聞いてくれよ」 タイミング良く(悪く?)強盗事件の最中にやって来たがためにいいようにこき使われ事後処理の雑用に使いっ走りをさせられくたくたに疲れて仮眠室で爆睡していたはずの最年少国家錬金術師の声とゆさゆさと肩を揺するその遠慮のない仕草に、ロイはむーと唸って毛布を頭まで引き上げた。 「………起きてから聞くから君もまだ寝ていろ……」 「いやいいからオレの話を聞けってば」 「私はさっき寝入ったばかりなんだぞ……眼は開かないし頭は働かないし耳は開店休業だ」 「いいから起きろってば」 「自分のベッドへ戻れ」 「ここで騒いだら他のひとに迷惑だろ」 「私に迷惑を掛けるのはいいのか」 「アンタくらいしかまともに聞けるヤツがいないんだよ」 「弟なら快く聞いてくれるぞ寝る気がないなら仮眠室にいるな出て行け」 「だからアルには話せないんだっつーの。じゃなきゃなんでアンタなんかに」 「アンタなんか、とは聞き捨てならんな」 徐々に目覚めて来た怠い身体をのろのろと起こして、ロイは深く溜息を吐いた。 「………本当に寝入ってからまだ30分しか経っていないじゃないか。勘弁しろ……」 銀時計を確かめて呻くが、お構いなしの子供はのそりとベッドに乗り上げのし掛かるように顔を近付ける。その会話するには近過ぎる距離にロイは思わず上半身を仰け反らせた。 「……なんだ。男に乗られる趣味はないが」 「あのさあ、さっき夢見たんだけどさ」 「ひとの話を聞け。ベッドから下りろ、気色悪い」 「アンタこそオレの話を聞けよ。夢見たんだよ」 爛々とした黄色い眼はやけに熱っぽく輝いていて、なんだこいつ寝惚けているな、ともう一度溜息を吐いたロイは解った解ったと頷いて子供の肩を押し遣り強制的に距離を取らせる。子供はロイの膝を跨いだままその足に座り込んだ。 「で、何がなんだって?」 「夢だよ夢」 「だから何の夢だ。悪い夢でも見たのか」 たしか悪夢はひとに話すと消えるとかなんとか、と続けると子供はふん、と鼻を鳴らした。 「なにそれ迷信? アンタそういうの信じてんの」 子供の声を手を振ってトーンダウンさせ、ロイはぼそぼそと返す。 「ジンクスと言え。信じてはいないが軍には多いんだ、ジンクスの類は。で、私に聞かせたい夢というのは何だ」 「ああ、うん。アルがいなくなる夢見たんだけどさ」 「なんだ、それで不安になったのか? 幼児か君は。アルフォンスならいるだろう、その辺に。まだ後片付けでも手伝ってるんじゃないのか」 「いやそうじゃなくて、死んじゃう夢見たんだけど」 「紛うことなき悪夢だな。今私が聞いてやったんだから正夢にはならない、安心して自分のベッドへ退去せよ」 「だからジンクスなんかどうでもいいんだって。じゃなくて、あのさ、オレって本当にアルを錬成したのか?」 「は?」 そこで初めてロイはまともにエドワードの目を覗いた。熱に浮かされたかのような色の濃い眼は一応焦点を結びロイを見つめているのに、見られている気がしない。自分を通して別の何かを、ここではないどこかを見ているかのようだ。 「………何を言っている?」 「だからさ、有り得なくないか、魂を錬成なんてさ」 「それは……、」 眼を瞬かせ、それからロイははっと気付いて半ば以上開かれていた仕切りのカーテンから顔を覗かせ他のベッドを確認した。上下合わせて八つあるベッドのうち五つが埋まっていて、そのうち二つはカーテンが閉められ眠っているのかどうかも確認が出来ない。 「鋼の、来い」 「え、なに。答えてよ」 「いいから来い」 子供の襟首をつまむようにして己の上から退け、ブーツをいい加減に履いて上着も脱いだままロイは仮眠室を出た。ぐいぐいと腕を引かれた子供はどこに行くんだ答えろ、と喧しく文句を垂れている。 「なあ、なんなの一体。どこ行くんだよ」 「少し黙れ、チビ」 「誰が豆粒ドチビだッ!!」 「言われたくなかったら黙れ」 まったく夢遊病の気でもあるんじゃないのかこいつは、と内心で溜息を吐きながら、ロイはほとんど出払っている司令室を横切って執務室へとエドワードを放り込んだ。後ろ手に鍵を掛けてコーヒーメーカーへと向かい、ぽかんとしている子供を放置したままコーヒーを淹れる。 「君も飲むか?」 「え、いらない。ていうかなんでわざわざ」 「なんではこっちのセリフだ馬鹿者。あんなところで魂の錬成が云々などと口にするな。捕まりたいのか君は」 「え」 「人体錬成は人道的な禁忌なばかりではないんだ、法で禁じられているんだぞ」 ロイはじろりと子供を睨む。 「いくら寝惚けていたからといって迂闊な真似をするな。君が捕まれば弟も無事では済まんぞ」 エドワードはぱちぱち、と緩く瞬いて、それからこくりと素直に頷いた。 「うん、ごめん」 「……………。どうしたんだ鋼の、熱でもあるのか」 「なにそれ」 「君が素直だと気持ちが悪い」 「そうかよ」 け、と毒突くように言い捨てて、エドワードはソファへ歩み寄りどかりとひっくり返るように座った。 「おい、ソファが傷む」 「そしたら直してやるよ」 「なんでもかんでも錬金術に頼るのはよくないぞ」 「あ、なんかオレの師匠みたいなこと言うね、大佐。オットナー」 「ああそうだな大人だよ。だがうきうきと子守り出来るほどは人間が出来ていないんでね、さっさと話を済ませようじゃないか。私は寝たいんだ」 「誰が子供だよ」 君だよ君、と指差して、ロイはどさりと向かいのソファへと沈んだ。 「大佐、ソファが傷むぜ」 「そうしたら君が直すんだろう。いいからさっさと簡潔に用件を述べたまえ」 「ああ……だからさ、オレは本当にアルを錬成したのかって」 「言っている意味が全然解らない」 「まんまだろ」 「まだ寝惚けているのか」 「寝惚けてねーよ、むしろ寝惚けてんのはアンタじゃねーの」 「そりゃあ寝惚けもするさ。一日半ぶりに寝たと思ったら30分で叩き起こされたんだから」 はー、と溜息を吐き両手で顔を擦り、ロイは手を伸ばして執務机から無地の紙を一枚つまみ取り、ワイシャツの胸ポケットから万年筆を出した。 「アンタペン差したまま寝てたの? インク洩れて汚すぞ」 「差しているのを忘れていたんだ」 「ボケ老人?」 「あーもうやる気がなくなったさっさと出て行け報告書は明日で構わないぞ弟はしばらく借りるよ彼は君と違ってよく働くから役に立つ」 「すみませんでした大佐殿! アルは返してくださいあれ以上働かせないでくださいいたいけな14歳なんです児童保護法に違反しますから!」 「ふざけたことを言い出した割に現状認識はちゃんと出来ているようじゃないか」 「まあな。んで、何すんの」 ロイはテーブルへと広げた紙へとさらさらと構築式を描き出す。脇に添えられた印はアルフォンスの血印で、エドワードは僅かに眉を顰めた。 「………何する気?」 「これをどう見る」 「どうって、アルの血印だろ。アルと鎧の仲立ちだ。これ自体には大した意味はねぇよ」 「ふうん、そうなのか」 「そうなのかって」 呆れた眼で見上げたエドワードに、ロイは軽く肩を竦めた。 「人体錬成は専門外でね。正直この印を見ても私には意味が解らない」 「……んじゃ、こっちの構築式は何」 「私なりに考えてみた魂の構築式だよ」 へえ、と小さく呟いて、エドワードは紙を手に取りまじまじと眺めた。顎に添えられた左手の親指が、ゆっくりと唇をなぞる。 「………これじゃ駄目だぜ、大佐。なんにもならねぇ。大体アンタこの構築式で何を代価にするつもりだ?」 「なにも」 金の眼が構築式から外れ、ロイを見た。 「なにも?」 「そう、なにも」 「……材料がなきゃ造れないぜ、大佐。錬金術は魔法じゃないんだ」 「では魂はなんの属性を持つものなんだ? 水か? 火か? そもそも物質なのか? 物質でないのなら何によって構成されているものなんだ? この世に存在する───錬金術で可変可能なものはすべて原子で出来ている。魂はそれに当て嵌まるものなのか?」 「当て嵌まるよ」 頷きもせずに言って、エドワードは紙を手放した。ひらりと舞った印の施された用紙はテーブルの真ん中へと着地する。 「当て嵌まらないものはこの世界には存在しない。錬金術は万能じゃないが、それでも世界の素を解明している。錬金術の基本は世界の基本をなぞっているし、それは存外シンプルだ」 「それでは魂の元はなんだ? 原子なのか? それは何という元素だ?」 「それは解らない。名のないものだから」 言って、エドワードは僅かに口を噤んだ。 「………口で説明出来るものじゃない、あれは。魂の構築式は」 「書き表せないのか」 「無理だ」 エドワードは両手を見つめる。 「オレ自身が構築式となってこの両手を円環として、それで初めて可能なんだ。オレたち生き物の肉体は魂の元素を抱いてはいるけど、それをこの世の名で呼ぶことは出来ない。……少なくとも今の科学では、未だ」 「では、君の弟は生きているんだな」 「勿論だ。あいつはちゃんと人間の、」 はた、と口を噤んだ子供に、ロイは唇を歪めて嗤った。 |
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■2004/11/17
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