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「ドアは静かに開けて静かに閉めるものだ」
 ノックもなしに執務室の扉をばん、と勢いよく開けばん、と勢いよく閉じたエドワードに、まるで教師のような口調で教師のようなことを言ったロイは顔を上げもしない。エドワードは答えず、どかどかと足音荒く書類の積み上がる執務机へと向かい天板に両手を突き歩いて来た勢いそのままで飛び乗った。はらり、と数枚の書類が床へと落ちる。
「………鋼の。机に乗るんじゃない」
「ロイ・マスタングさん」
 苦々しい口調での小言にも答えずにほとんど棒読みでフルネームを呼んだエドワードを、ロイはぽかんと見上げた。
「は、はい?」
 思わず敬語で返事をする。机の上へ正座した少年は瞬きもしない大きな切れ上がった瞳でロイを見下ろしている。
 エドワードの口が開かれた。
「アンタが好きです。オレと付き合ってください」
「……………はい?」
 ぽかん、と間抜けな顔でエドワードを見上げたロイの手から、万年筆がかつんと落ちた。ペン先が机を叩きインクが飛び散るが、ロイはまだ呆然とエドワードを見上げたままだ。エドワードは無言でその万年筆を拾い脇に転がされていた蓋を閉めてぱしりと机へ戻し、インクを押さえるための薄紙で飛び散ったインクを拭き取ると再び膝の上へと手を突きロイを見下ろした。
「返事」
「は」
「返事は?」
 ああ、と上の空で呟いた女たらしは、ペンを持つ姿勢のまま固まっていた右腕をぽとりと落してやはり上の空のまま答える。
「ほ、保留させてください」
「解った」
 重々しく頷いたエドワードは小さな動きですとんと机から飛び下りて、くるりと踵を返すと入って来たときと同様荒い足音を響かせながら執務室を横切り、ばんと扉を開けばんと閉めて去った。
 ロイはしばし呆然と扉を見つめ、それからのろのろと髪を掻き上げる。
「……………ゆ、夢か?」
 そうか疲れているのかも、とあまりに非現実的な予想だにしなかった事態に現実逃避に走ったロイは、このとき即答で断らなかったことを後に後悔することになる。
 
 
 
 
 
 
「よー、大佐」
 2日ぶりに家へ帰れる、と2日で3時間しか寝ていないどろどろに疲れた身体を引き摺り司令部を出た途端背後から飛んで来たどうにも憎たらしい生意気な声に、ロイは気付かないふりをした。コートの襟を立ててああ寒い、と呟いて歩く。
「おいこら、無視してんじゃねーよ無能」
 がつんかつんと左右重さの違う足音を響かせて石畳を走って来た小さな子供は、コートのポケットへと手を突っ込んでロイと並んで歩き始めた。ロイは溜息を吐く。
 何でついて来るんだ。
「久し振りだな、鋼の。半年ぶりくらいか?」
「5ヶ月と4日ぶり」
「そうか。何かこっちに用事でも」
「書類出しに。ちょっと強盗捕まえるの手伝ったら東方司令部の管轄だっつってさー、報告書出せって言われちゃって」
「ふうん。正義の味方しているようじゃないか」
「まーね。軍がしっかりしてないからオレみたいな民間人が迷惑被るわけよ」
 そうか、と嫌味に答えず流したロイに、エドワードは不満げに唇を尖らせた。
「なんだよ、やる気ねぇな」
「察してくれ」
「女にでもフラれたか」
 ロイはふ、と鼻で笑う。
「まさか。ハボックでもあるまいし」
「酷ェ言い種。言い付けるぞ」
 ロイは澄ました顔で「どうぞご自由に」と言った。
「今ならまだアイツは司令部にいるぞ。ついでに報告書とやらはホークアイ中尉に渡しておいてくれたまえ。私は明日は呼び出しがなければ非番なんでね、明後日の処理になるが、そのくらいなら滞在できるんだろう?」
「うん、しばらくいるつもり」
 ロイは思わず少年を見下ろした。金色のつむじは以前会ったときとそう高さは変わらないように思える。
「珍しいな。いつもならそそくさといなくなるのに」
「用事があるからね」
「ほう? 何かめぼしい情報でもあったのかね。私のほうには何も入って来てはいないが」
「いや、今回はそれじゃなくて」
 夜の闇にも鋭く光る金色の眼がロイを見上げ、よく動く大きな口が控えめに開かれた。
「なあ、返事」
 ロイは眼を瞬かせる。
「何の?」
「前に会ったときの! 考えてねーとは言わせねーぞ。半年も猶予があったんだ」
「5ヶ月と4日の猶予だろう」
「充分だろ!」
 思わず軽口のように応酬し、それからロイは内心で首を捻った。
 
 ───返事。
 
(って何の?)
 寝不足の靄掛かる頭にはそれらしい記憶は浮上してこない。
「…………おい。まさか本当に憶えてないって言うんじゃ」
「すまん。解らん」
 ぽかん、と見上げた眼がきりきりと吊り上がり、それからふいに意気消沈するように顔ごと伏せられたのを見てさすがに少々気の毒になる。どんなことだったのかは思い出せないが、この少年がこれだけがっかりするということは少なくとも彼にとっては重要な話だったに違いない。
「すまん、鋼の。疲れていて頭が働かないんだ。後で思い出しておくから」
「………とか言ってまたどうせ忘れんだろ」
 うーん、とロイは呻く。その可能性は非常に高い。
 何故なら今ロイはこうしてきちんと眼を開き応対出来ていることが自分で不思議なほど眠い。多分帰ってベッドへ倒れ込み、睡眠を貪って目覚めればこの会話もほとんど忘れてしまうだろう。
 仕事上のことならどれだけ眠くともまず忘れることはないが、その他の、特に今のような勤務時間外での出来事となればそれなりに優秀なはずのロイの記憶力は途端サボる。
 しかしこの少年がもし女性であったのならきっと忘れはしなかっただろうから、男であったことが彼の不幸だ。
 そう身勝手に結論付けて、ロイは鋼の、とエドワードを呼んだ。
「もしよければもう一度言ってくれないか。何の話だったんだ」
「…………アンタの家に泊めてくれたらもう一回言う」
 ロイは眉を寄せた。
「アルフォンス君はどうした」
 エドワードは「あー」、と呟き苦い顔でがりがりと頭を掻いた。
「今日部屋取った宿に娘さんがひとりいたんだけどさ、その女がやたらアルに懐いちゃって、今はアイツ恋愛相談されてる真っ最中」
「……………」
「オレは邪魔みたいだったから出て来た」
「って、金を払って泊まっているんだろうに」
「うーん……まあ、いいよ」
 らしくもなく寛容なことを言ったエドワードは、ちょうどいいし、とぽつりと付け足した。
「ちょうどいいって何が」
「別に。オレそんなこと言った?」
 
 言ったじゃないか今。
 
 なんだこの白々しさは、とは思うものの眠気が勝ってもう世の中のあらゆることがどうでもよくなっていたロイはああそう、と頷くだけにした。
「まあ泊めてやるのは構わないが……」
「ほんと!?」
 まさかこの寒い季節に子供からベッドを奪えるわけもなし、せっかくの我家なのにソファか、と内心溜息を吐きながら断ることすら面倒でいい加減に承諾すると、エドワードは途端弾かれたようにロイを見上げきらきらと眼を輝かせてそれはそれは嬉しそうに笑った。
 
 ………弟と本日の宿を取られてそんなに凹んでいたのか兄。
 
 色々と不憫なヤツ、と内心で呟き、やたらに弾んだ足取りでついて来るエドワードを横目にロイは口許を覆った手の下でひとつ大欠伸をした。
 
 ああもう、眠い。

 
>>2

 
 
 
 

■2004/6/2

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