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 がちゃん、と受話器を置いたハボックはエドワードに視線を向けてハングアップして見せた。
「あー、こっちもダメだ大将。全滅」
「えー!?」
「タイミングが悪かったわね……」
「宿舎とか空いてないの、中尉」
「それがダメなのよ。仮眠室もいっぱいだし」
 そんなあ、と嘆いてエドワードはがっくりと肩を落とした。アルフォンスはその兄の隣で困ったねえ、と首を傾げる。
 
 丁度年に一度の終戦を記念する祭典の中日にやって来た兄弟は、最初こそ物珍しい大道芸や市に喜んでいたものの東方司令部に一歩踏み込んだ途端この日にやって来てしまった偶然を酷く呪う羽目になった。
 なにしろ終戦記念であるから軍部が中心となって祭典を取り仕切らなければならず、つまり東方司令部が要であり、必然的に司令官であるロイ・マスタング大佐とその部下は猫の手も借りたいほどに忙しく、猫の手よりはマシだとほとんど人権を無視した扱いでなし崩しに細かな作業やら使いっ走りやらに駆り出された兄弟は夕刻を大分過ぎてようやく解放され、それから宿の手配をしようと電話を借りればどのホテルもいっぱいで、軍御用達のホテルですら一部屋の空きもなく、それもそのはず軍主体の祭典であるから他地方からの軍関係者が大勢訪れているこの期間、むしろ軍管轄の施設のほうが部屋は埋まっているのが道理だ。
 その上聞けば宿舎もホテルからあぶれた下士官たちで埋め尽くされ仮眠室は休日返上で出勤している東方司令部の軍人たちで溢れ、そこここのソファはマグロのような男どもでごった返し、従ってエドワードがゆっくり息をつける場所などない始末。
 
 その現状を再確認し、天井を仰いでエドワードは再び嘆いた。
「あーもークソ、ここ来る前に先にホテル取っておくんだったー!」
「いや、どっちみち今日飛び込みで部屋取ろうってのが無理なんだから、同じだ同じ」
「………散々アンタたちにこき使われたいたいけな兄弟に労いのひとつもないのかよ、少尉」
「誰がいたいけだって?」
 真顔で問われてうう、と呻き、エドワードは硬い事務用椅子に腰を下ろした。
「しょーがねーなー……どっかで朝まで時間潰すか」
「けど兄さん、疲れてるんでしょ? 少しは眠らないと」
「ベッドどころかソファも空いてねーんじゃしょーがねーだろ」
「寝袋借りられないかな」
「ああ、いいかも。少尉、寝袋ある?」
「あるはずだが残ってるかどうか」
 は? と首を傾げる兄弟に煙草に火を付けながらハボックはちょいちょいと廊下を親指で示す。廊下へと顔を覗かせた兄弟は、ごろごろと転がるみのむしの集団にげんなりと肩を落とした。
「考えることは同じなんだな、みんな……」
「てゆーか、どうしてこのひとたちうちに帰らないんだろ……」
「疲れて帰る気力もないんだろ。明日も朝早くから出勤なんだろうし」
 ああでも困ったどうしよう、と顔を見合わせた兄弟の背に、呑気な低い声が掛かった。
「では私のうちに来るか?」
 振り返った兄弟に、黒いコートを羽織りながら執務室から現れたロイがにやりと笑う。
「働き者のいたいけな兄弟に、一夜の宿を提供するにやぶさかではないが?」
「って、何アンタ帰り支度してんだよ。中尉たちが働いてんのにサボる気か」
「………君はどれだけ私を働かせれば気が済むのだね、鋼の」
 半眼になったロイを取りなすように、リザが苦笑を浮かべた。
「大佐はここ四日詰めておられたのよ。だから今日は是非とも帰っていただいてゆっくり休んでもらわないと使い物にならなくなってしまうから」
「使い物って、中尉……」
「あ、そうなの。そっか、潰しちゃったら困るもんね。使い減りするにしても長持ちさせないと」
「……鋼の、君ね」
「明日も出て来ていただかないと困るから、よければエドワード君とアルフォンス君、大佐が遅刻せずに出てこれるように見張ってあげてくれるかしら」
「………………」
 沈黙してしまった上司にくつくつと笑い、ハボックが立ち上がった。
「車出しましょうか、大佐」
「ああいや、構わんよ。歩いて帰るから」
「でも」
 ロイはぽん、とエドワードの肩とアルフォンスの腕を叩いてにっこりと笑った。
「優秀な護衛が二人も付くからな、大丈夫」
 ふむ、とくわえ煙草を揺らし兄弟を見て、ハボックはんじゃ、と敬礼をした。
「お疲れ様っした」
「ああ、お疲れ。中尉も」
「はい、お疲れ様です。お気を付けてお帰りください」
「出来れば緊急呼び出しはないほうが有難いんだが」
「努力はしますが、受話器を外しておいたりしないようお願いします」
「……アンタ呼び出しが嫌で受話器外してたりすんのかよ……」
「そんなことはしない。中尉、誤解を招くような言い方は」
「故意でないとしても電話が繋がらないのなら同じことです」
「……………」
「……もしかして部屋、散らかってるんですか、大佐。それで電話が埋まっているとか」
 事情を察したアルフォンスが恐る恐る尋ねるが、いやウンまあそれほどでも、と誤魔化す口調で言ったロイは半ば強引に兄弟の腕を取った。
「では行こうか、二人とも」
「あ、はい」
「じゃ、中尉、少尉。また明日な」
「おう、大佐頼むな」
「寄り道させないようにお願いね」
「……君たちは私をなんだと思っているんだ……」
 この場で最も地位の高い大人の言葉は綺麗に無視される。溜息もなくがくりと項垂れた黒髪に、アルフォンスはくすくすと笑った。
「相変わらず仲いいですよね、みなさん」
「………そう見えるなら良かったよ」
 溜息を吐きながらの司令官と子供たちが出て行くのを見送って、ハボックはさて、と呟き伸びをした。
「中尉、先に休んでくださいよ」
「いいわ、まだ片付けなくてはいけない書類もあるし。少尉こそ先にお休みなさい。パレード後の交通整理が済んでからがあなたの出番でしょう」
「……って、いつの間にかうちの部隊の仕事になってンですね、深夜の見回り……」
 リザはぽんとハボックの腕を叩いた。
「あなたの采配を信用していると言うことよ」
「そりゃどうも。……そういや大佐もここ三年くらいは祭り期間でもちゃんと帰ってくれるようになりましたね」
「任せておいても問題ない、と思ってくれているんでしょう」
 ひっひ、とハボックは肩を揺らして笑い、短くなった煙草をつまんだ。
「そりゃ光栄っスね」
「そう思うならなおさら休みなさい、少尉。期待を裏切るような真似はしないこと」
「はいはい、了解です、マム」
「返事は一度」
「イエス・マム」
 ぴ、と背筋を正し敬礼をして、再び肩を揺らして笑うとハボックは司令室を出て行った。
 そういえばどこで休む気なのかしら、と考えながら、リザは書類の束を手に広報部へと足を向けた。
 
 
 
 
 
「市場に寄ってもいいか?」
「いーけど…なに買うの」
「食材」
 エドワードはぱちぱちと眼を瞬かせる。
「ってアンタが作んの? どっかで食ってけばいいじゃん」
「今日今この時間でどこのレストランに空きがあると言うんだ」
 ぐるりと周囲を見回したアルフォンスが、ああ確かに、と頷く。
「もうそろそろパレードが始まる時間なんだね。凄い人混み」
 夕暮れにきらきらと色とりどりのモールと豆電球が輝いている。行き交う人々は着飾り、かと思えば喪服も多く混じり、そうかこれはただの祭りではないのだった、とアルフォンスはひとり頷いた。
 東部内乱の記録上の終戦記念日を最終日に控えた1週間、この街は追悼と平和への祈願と復興の喜びとを交えて、沸き立つ。
「……リゼンブールでも今日はお祭りかなあ」
「多分な。学校で劇やって、教会で聖歌隊が歌ったりとか」
「ばっちゃんはシチュー作るんだよね」
「そうそう」
 背中に兄弟の言葉を聞きながら、ロイはコートのポケットへと手を入れた。ああそう言えば大佐、と、その姿勢のいい背にアルフォンスは可愛らしい子供のままの声を掛ける。
「さっきハボック少尉が車出しますかって言ってましたけど、いつも車で送り迎えしてもらうんですか?」
「いや、いつもは徒歩だ」
 兄弟は顔を見合わせ、足を早めて大人に並んだ。
「え、じゃあどうして? こんなに混んでるんだから今日は車のほうが時間掛かりそうなのに」
「そういやアンタ、護衛がどうのとか言ってなかったか?」
 ロイは軽く肩を竦めた。
「人出が多いからな。暗殺や誘拐を企まれても防ぐのが難しいということだ」
「って、アンタ暗殺されるよーなことしてんの」
「軍人で階級が高いというだけで充分な理由だよ。まあ、イーストシティは比較的治安はいいし、テロリストも最近は大人し」
「アル」
「うん」
 ロイの言葉を最後まで聞かず、目配せをした兄弟は場所を入れ替えて大人を挟む。車道側のアルフォンスはぴったりとロイへと寄り添いその姿を高い建物の目から隠し、歩道側へと陣取ったエドワードは路地を鋭い目付きで睨み歩いた。
「………おい、大袈裟だな。本当に護衛などする必要はないぞ。別に雨でもないし自分の身くらいは」
「アンタが今怪我したり死んだりしたらオレらが困るの! 頼むって言われたんだから責任問題だろーが!」
「大佐、広場通るの止めましょう。通りを回って市場に行って、あとは真っ直ぐおうちに」
 やれやれ、とロイは肩を竦めた。
「過保護だなあ」
「というか、危機感なさ過ぎです、大佐」
「軍人の暗殺なんて日常茶飯事だろーが」
「おや、随分と詳しいな」
「普通に新聞読んでりゃ解るっつーの。アンタ恨み買ってる自覚がないのか」
「なに、私のやり方は綺麗なものだよ」
「嘘吐け。汚い手ばっかり使ってるくせに」
「失礼だな、実力さ」
 にんまりと笑う大人にエドワードはうんざりとした顔を見せた。その二人を見下ろしてアルフォンスは小さく笑う。
 人混みを縫い通りを横切り、市場へと向かうとロイは迷わず一軒の露天を覗いた。
 野菜と香辛料の並ぶ店先で忙しなく客の相手をしていたおばちゃんがロイに気付き、親しげに両腕を広げて見せる。
「おや、マスタング大佐! 久し振りじゃないか、また外食ばかりだったんだろうあんた」
「ちょっと忙しくてね、うちで料理する暇がなくて」
「ダメだよ、忙しいときほどちゃんと食べないと。今日の献立は何だい? 今年は天気が良かったからね、どれも良い出来だよ。去年は暑過ぎて中身からからの野菜ばっかりだったけど」
「そうだな、……何が食べたい、鋼の」
 にこにこと楽しげに中年女性と話すロイをぽかんと見ていた兄弟は、唐突に話を振られて狼狽えた。
「え、えーと、何作れんの、アンタ」
「難しくないものなら大抵は」
「あれ、誰だい、大佐。……まさかあんたの隠し子」
 わざとらしく声を潜めたおばちゃんにロイははは、と笑った。
「こんなに大きな子供はいないよ、さすがに。知り合いの子供たちを一晩預かることになってね」
「子供たち?」
「ああ、兄弟なんだ。ちなみにこっちの小さいのが兄貴で」
「ちっさい言うなーッ!!」
 飛びかかり掛けたエドワードの襟首を慌ててアルフォンスは掴む。おばちゃんは大きな目をさらに見開き、「へえー」と感心したような声を上げてアルフォンスを見上げた。
「こーんなにでっかいのにこっちの子より年下なのかい」
「あ、はい。14歳です」
 えへへ、と兄を片手にぶら下げたまま頭を掻いたアルフォンスに、おばちゃんはおや声は可愛いねと笑う。
「そうか、子供たちがいるんならそうだね、パイシチューでもどうだい、大佐。オーブンはまだ壊れていないよね?」
「あまり調子は良くないがね」
「だから早く修理しなよって言ってるのに。かまどの事故は怖いよ、火事になってからじゃ遅いんだよ」
 言いながら野菜と茸とチーズを見繕い袋に詰め込み、牛乳瓶とパンを添えておばちゃんは差し出した。受け取ったロイが紙幣を渡す。
「釣りはいい」
「おや、じゃあこいつをおまけだ」
 アルフォンスとその弟にぶら下げられたままのエドワードにぽんぽんとオレンジをひとつずつ渡して満面で笑い、おばちゃんはひとつウインクをして見せた。
「大佐をよろしく頼むよ、坊やたち」

 
>>2

 
 
 

■2004/9/3

かなり見切り発車なので不安…(びくびく)。
内容がタイトルを裏切らなければいいんですが。裏切ると短いと思いますが裏切らなければそこそこの長さになると思います。こそっと連載。

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