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「最初は猫で。次は犬で。その次が猿で、次が……人間の死体で」
「……君がそう望んだのか」
 アルフォンスはまさか、と苦笑した。
「兄さんが勝手にやったことです」
「しかし君が抵抗すれば出来なかったことだろう。君も優秀な錬金術師だ。何をされるのか理解出来なかったということではないだろう?」
「将軍は兄さんだけの罪だと思いたくないのですね。ボクら兄弟は罪を分けるべきだと?」
 そんなつもりはない、と答えたロイにアルフォンスは僅かに酷薄な笑みを見せた。
 兄だけではなく弟も変わってしまった、とロイは思う。あれだけ潔癖で真っ直ぐな少年だったのに、これではまるで嫌みな大人だ。
 そのロイの心情に気付いたのか、アルフォンスはほんの少しばつの悪い顔を見せた。
「鎧のままでいたのならボクは今でも将軍の知るボクだったのだとは思いますけど、この9年、ボクは成長するこの子と肉体を共有していたんです。9年分、心も成長したんですよ。環境も環境ですし、多少擦れてしまったとしても仕方がないと思いませんか」
 ロイはそれには答えず、ただ疑問だけを口にした。
「肉体を共有とはどういうことだ」
「言葉のままです」
 アルフォンスはロイの態度に頓着する様子もなく、淡々とした口調へと戻る。
「この肉体には、ボクとこの子、二つの魂が納まっているんです。精神と肉体はひとつずつだけれど、そのせいで精神は軋むばかりだし、呼吸も瞬きのタイミングもボクら二人ではまるっきり合わなくて、多分あと数年も待たずにこの子は死んでしまいます。もちろん、そのままならボクも」
 アルフォンスは言葉を切り、浅く呼吸をして息を整え、再び口を開く。
「兄さんの奥さんは、ボクらの母さんにそっくりでした。……ボクは、兄さんが銀時計を返却する二年も前からもう、鉄の板一枚になっていたんです。兄さんの懐に仕舞われてどこへでも行けたけど、意識もおぼろげで、幾度も実験をしてはまた鉄の板に戻されて、いつリバウンドで兄さんが失われてしまうものかと不安に苛まれていて、だから兄さんが結婚すると言ったとき、ようやくあのひとはボクを忘れてくれるのだと───『死ねる』のだと嬉しくなったのを憶えています」
 それが、10年前。
 母親にそっくりな女に男児を産ませ、エドワードはその赤子の柔肌へと入れ墨を施して、そうしてアルフォンスの魂を移し替えた。
「しばらくはなんだか解らなかったんです。急に感覚が押し寄せて、……赤ちゃんの感じる世界というのは異質なものなんですね。慣れなかったし、昔にボクが感じていた世界とは全く違う気がした。それでも目が開くようになって舌がちょっと器用になった頃に、ボクはうっかり兄さんを兄さんと呼んでしまってあのひとを喜ばせてしまった。……それさえなければ、あのひとは早々にボクを鉄の板へと戻して、この子はおかあさんと一緒にあのひとの元を去ることが出来たのに」
 ふいに、げほげほとアルフォンスが大きく咳き込んだ。ロイは回り込み、まだ晒されている裸の背を撫でる。
 乾いて荒れた唇が、苦しいよ、と子供っぽい口調で非難した。
「もう少しだから、頑張って」
 アルフォンスは胸を宥めるように撫でながら囁く。ロイは眉を顰めた。
「……誰と話をしている?」
「この子ですよ、『アルフォンス・エルリック』。ボクがこうして話が出来るのですから、彼だって当然話は出来ます。ボクら、仲がいいんですよ」
 本当の兄弟みたいに、と皮肉げに嗤って、アルフォンスは大きく息を吐き手の甲で口を拭った。
「……すみません、大丈夫です。話を続けていいですか」
「ああ……」
 有難うございます、と微笑んで、アルフォンスはロイを見上げた。
「お願いがあるんです」
「………何かね」
 少年の指が首の後ろを押さえる。
「この錬成陣を、ほんの少し、爪の先程度で構いませんから、焼いてください。ちょっとでも形が崩れればそれでいい。目立たなければ目立たないだけいいんです」
 
 それでボクは死ねます。
 
 ロイはじっと少年を見下ろした。青年と同居する少年は、緑の目を瞬かせ、妙なリズムの呼吸をしながらロイを見上げている。
「………それは、私に君を殺せということか」
「もともとボクは10歳のあの日に死んでいるんです。罪にはなりませんよ」
「そういうことではないのだよ、アルフォンス君」
「解っています。酷いお願いだとは思うんですけど、他に頼めるひとがいないんです」
「………自分で、とは考えなかったのか」
 アルフォンスは肩を竦めた。
「自殺では傷が大きくなり過ぎそうですし……兄に気付かれては元も子もないんです。せっかく、この子が完全に一人で服を着替えることが出来て一人でお風呂にも入れて、兄さんがまじまじと身体を見ることがないまで待ったのに、怪我をしていると解ったら兄さんはすぐ異変を感じるでしょう。………そうしたら、あのひとはまたボクを錬成するかもしれない」
 初めて、アルフォンスが絶望のような、恐怖のような色を見せた。ぶるりとひとつ身震いをする。
「………そんなこと、耐えられない。兄さんがまた、あ……あんな、」
 悲鳴のように鳴る喉をごくりと上下させ、アルフォンスはかぶりを振った。
「可笑しいですか、将軍。……ボクは、こんな風になっても、兄さんをどれだけ軽蔑してもこの子にどれだけ同情しても、それでもあのひとをあいしているんです。しんでほしくない。いきていてほしい。しあわせになってほしいんだ」
 
 ───もう、ボクのことなんか忘れて。
 
「………あれは君を忘れはしないだろう。君を捨てて、彼の幸せはない」
「解っています。だから、今まで待ったんだ」
 アルフォンスは奇妙なほど清々しい笑みを見せた。
「この子とずっと計画を練っていたんです。時を待っていた。……この子には、ボクが今まで体験したことを、思い出せる限り教えてあります。あとはこの子が、ほんのたまにそれらを懐かしがるふりをして、『兄さん』と囁いてやればいい。それであのひとはもう、どれだけ疑っていたとしてもこの子をボクだと信じるしかなくなる」
 ロイは深く溜息を吐いた。
「ずっと、そんなことを考えていたのか」
 死ぬ、ことを。
 アルフォンスは瞳を細めた。
「もういいんです。ボクがいては、兄さんは幸せにはなれないのだから」
「君がいなくてはあれは幸せにはなれない」
「だからこの子を残します。この子は大人になったら兄さんの元を去りますが、それでもこの子にとってはあのひとは父親ですから、絆が切れることはない。兄さんは、もしかすると少しくらい正気を害するのかもしれないけれど、それでも……むしろそのほうが、幸せに生きることが出来るのかもしれない。あのひとは根っからの学者ですから、」
 
 少し、おかしいんです。
 
「………昔はそうでもなかったよ」
「そうでしたか? ボクにはもう、よく解りません。ボクもちょっと、おかしくなっているようだから」
 ロイはアルフォンスを見つめる。少年と青年の納まるその瞬きの多い眼は穏やかで、この二人がすっかり決心を固めてしまっているのが痛いほど解った。
 そっと錬成陣の入れ墨に触れると、びくんと身体が震える。
 ロイは無言でポケットから発火布を取り出した。
 アルフォンスは綺麗に澄んだ笑顔を見せた。
「有難うございます、将軍」
 ロイは手を伸ばし、その薄い瞼を押さえてそっと瞳を閉ざさせた。
 
 
 
 
 
 
「ほんっと悪かったな、将軍。迷惑掛けちゃって」
「いや」
 迷子の息子を青くなって探し回っていたエドワードは、ようやく見つけたアルフォンスの肩を抱いてひとしきり叱ったのちにロイへと苦笑を見せた。ロイは眩しげに瞬いて、その親子を見つめる。
「こちらこそ悪かったね。アナウンスでもすればよかった」
 どこか掠れた声で言うロイにはは、と笑って、エドワードはアルフォンスの頭を押さえた。
「ほら、迷惑掛けたんだから謝りな、アル」
 アルフォンスは素直にぺこりと頭を下げ、小さな声で、静かな呼吸で「ごめんなさい」と呟いた。エドワードが満足げに瞳を細めるのを見遣り、ロイは執務机から立ちもせずに苦笑を浮かべる。
「何か思い出したか、物珍しかったかしたのだろう。あまり叱ってやるな」
 エドワードは肩を竦め、時計を見上げた。
「んじゃ、そろそろ帰るよ。予定が決まったら連絡くれよ。いなくてもフロントに伝えといてくれればいいから」
「ああ、そうしよう」
 けほ、と小さく咳をしたロイに、エドワードが片眉を顰める。
「なに、風邪? アルに移すなよ。こいつ身体弱いんだ」
「ちょっと噎せただけだ。…心配くらいしろ」
「なんでアンタの心配しなきゃなんねーんだよ」
 毒突き、ふんと鼻を鳴らして青年は扉を開く。
「ほら、アル。行くぞ」
「うん」
 続く言葉に音はなかったが、唇が確かに「兄さん」と動き、エドワードは瞬きをして息子を見遣るとまるで蕩けそうな笑みを浮かべてその痩せた手を握った。
「じゃーな、将軍。風邪なら治しとけよ」
 振り向きもせずに片手を上げて息子の手を引き去った青年の、硬い足音は絨毯に吸い込まれて聞こえない。
 ロイは深く息を吐き、もう一度けほ、と咳をして目を瞬き椅子へ深く沈んだ。
 
 背中の真ん中の、火傷がじくじくと痛む。
「………背中が痛いです、将軍」
 自分の声が、自分のものではない口調で小さく咎めるように囁く。ロイは薄く嗤った。
 
 背の、焔で焼き付かせた血印から、ゆっくりと体液が流れたのが解る。
 
「ちょっと火力を、間違えたかな………」
「無茶をするひとだったんですね」
「おや、知らなかったのか」
 身体の中のアルフォンスが、ロイの喉と肺と口を使って小さく溜息を吐いた。ロイは薄く笑み、開いていれば瞬きを繰り返す眼を閉じ肘掛けに頬杖を突いた。
「………近いうちに、君に相応しい器を見つけてやろう」
「死なせてくれてもいいじゃないですか」
「私に預けた命だろう? 私の好きにさせたまえ。死んだのだからと思えば構うまい」
 アルフォンスが自嘲のような笑みを洩らした。喉の奥が響くように鳴った。
「ボクは10歳のあの日から、ボクのものであったことなど一度もない」
 ロイは浅く乱れる呼吸を吐きながら、ゆっくりと唇を歪ませた。
 
「君を君に、返してやろう」
 
 深く、引き攣る息を吐く。
 
「君は君、アルフォンス・エルリックのものだよ、アルフォンス君」
 
 あの兄のものではなく、誰のものでもなく。
 
 アルフォンスは薄く嗤って、ロイの首を横に振る。
「ボクはもう、あなたのものですよ、マスタング将軍」
「それは光栄だ。いい拾い物をした」
 くすくすと笑ったアルフォンスは、ふっと沈黙した。ロイはまだ瞳を閉ざしている。
 ロイとアルフォンスは、瞼の裏に蛍光色のような緑がちらついているのを二人で眺めた。
 あの子の魂の情報がボクに焼き付いたんですね、と、小さくアルフォンスが呟く。
 だから多分、アルフォンスの魂の情報もまるで女の残り香のようにこの身に残されて行くのだろうと、ロイは少し愉快な気分で考えた。
 
 瞼の裏で踊る緑は、神経に障る輝きを見せている。

 
 
 
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■2004/7/15
兄さんが28、9才くらいで。てことは大佐は40過ぎです。ほだされてないでダメオヤジから息子引き離して保護しろよ四十路。と思わないでもない。ダメ中年。このひとも学者なのでダメなひとです。
ところでやっぱりこの話はエドアルに分類するのは間違ってますか。……後で変えるかもしれない。

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