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「お? エドじゃねえの」
 ぺん、と後頭部を叩きスクエアフレームの奥の目を細めて笑うと、子供は吊り上げていた険のある金眼を丸く瞠らせた。
「珍しいな、お前がこんなとこ。なんか用事か、ん?」
「ヒューズ中佐、丁度よかった」
「ん?」
 カウンターの奥からほっと肩を落とした受付嬢と渋面のまま後頭部を撫でている子供と交互に見、ヒューズは首を傾げた。
「なに?」
「アンタに用事があったんだよ。けど、アポイントとってねーだろとか言われて」
「そうなんですよー、この子だったら終業までここで待ってるとか言うし、名前はって訊いても答えないし!」
「っせーな! 子供扱いすんじゃねー!!」
「なにそれ、子供じゃん」
「っせバーカ!」
「馬鹿って言うほうが馬鹿なの!」
「ちょ、ちょっと待てこら、ディジーも大人げないこと言っちゃいけませんよー。ほらテメエも謝れ、エド。名前くらい素直に名乗れ」
 ぼふ、と頭を包んだ大きな手に押し付けられて渋々頭を下げ、なにやら不機嫌らしい子供は上目遣いに受付嬢を睨んだ。
「エドワード・エルリックと申します! スミマセンデシタ!」
「なによ全然反省して……、」
 ん、と固まった受付嬢がエルリック? と首を傾げる前に、子供の肩を掴んでくるりと回れ右をさせてヒューズはそそくさとその場を立ち去る。
「あ、ヒューズ中佐!」
「なんかあったら館内放送よろしくねーディジーちゃん!」
 子供の腕を引き、慌てて廊下を過ぎがらがらに空いている中庭へと出る。酷くいい天気だ。
「さーてどうしたのかなーボク、なに駄々捏ねてるのかなー」
 壁際の奥まったベンチに座らせ、隣に腰掛けながら巫山戯た口調で問うとエドワードはむっと顔を歪めて目を逸らした。口の中でなにやらぶつぶつと文句を言っている。
「おい、エド? なんだっつーの、俺に用事なんだろ。俺も暇じゃあないのよー」
「………大佐んとこには毎日電話する暇あるくせに」
「おお、今日の第一回目は今さっき終えて来たぞ!」
 胸を張りにひひ、と笑ってヒューズは髭を生やした顎を撫でる。
「そういやなんか覇気がなかった気がしないでもねえな。お前、あっちに行く用事あるなら様子見に行けよ。風邪でも引いたのかもしんねえし」
 ちらりと横目に見遣るとこちらも覇気のない様子でつまらなそうに足下を見ながら、子供はふーんと曖昧な相槌を打った。ヒューズは薄く片目を細める。
「そういや、アルはどうした? 喧嘩か、ん?」
「………なんで解んの」
「喧嘩でもなきゃ常に一緒にいんだろうがよ、お前らは」
「……………」
 はあ、と深く溜息を吐いて再び俯いてしまった金髪に、ヒューズはこれは人生相談かなにかか、と僅かに姿勢を正す。
「なんだ、深刻な喧嘩か?」
「……………。……愛想を尽かされた気がする……」
「アルに?」
 こく、と頷く仕草も力無い。
「あいつはどこで待ってんだ? 図書館か?」
 エドワードは緩く首を振り、それからふっと思案して曖昧に頷いた。
「多分、図書館」
「多分ってなんだ、多分って」
「…………昨夜帰って来なかった」
「はあ?」
「出てったきり帰って来なくて、いくらなんでもって朝方に探しに出たけど見つかんなくて、ホテル戻ったらすれ違いだったみたいで部屋に書き置きがあって、図書館にいるから用事が済んで予定がはっきり決まったら来いって……それまでは来るなって」
「ふーん?」
「……頭冷やせってことだと思うけど、なんか、……会いたくないみたいだから」
「言い付け通りにしたのか」
 無言で頷く子供にこれは喧嘩というより一方的に怒らせて猛省中なわけだ、とヒューズはこりこりと額を掻いた。
「んで、原因は」
「………え?」
「アルを怒らせた原因だよ。仲取り持って欲しいんじゃないのか?」
 上げられた金眼がぱちり、と瞬いた。その眼の下にくっきりと隈が浮いていて、一睡もしていないだろう子供にこれだけ心配するならすぐにでも図書館へ駆けて行って謝ってしまえばいいものを、と内心で苦笑する。
「ほら、早く吐いちまえ。さっきも言ったが俺も暇じゃないのよ」
「え、いや、別にそういう用件じゃ、」
「照れるな照れるな」
「照れてねぇし」
「ばつが悪いのは解るがな、」
「いやアンタなんにも解ってないから。そうじゃなくて、そっちはいいんだって、別に誰かにどうにかして欲しいなんて思ってねぇから」
「んじゃなによ」
 寝不足も相まってテンションに付いて来れないのか、うう、と唸って子供はひとつ嘆息し、姿勢を正した。
「紹介状書いてくれないかな、図書館宛に。銀時計だけじゃ閲覧できなかった閲禁図書があってさ、一応確認しておきたくて」
 ヒューズはぽかんと子供を見つめる。子供はすぐに居心地悪げに眉を顰め、赤いコートに包まれた身体を揺らした。
「……なに」
「いや、それは俺に頼むべきことなのか」
「他に知り合いなんかいねえし」
「じゃなくてよ、イーストシティに行ってロイに書いてもらえば済む話だろ。お前もあいつの顔見れて一石二鳥だろ」
「………一日無駄にするだろ」
「俺の終業まで粘るっつってたのはどこのどなただコラ」
 ぎむ、と鼻をつまむと痛ェ、と顔を顰めて子供は手を振り払う。
「何すんだオッサン!」
「あーなんだアレか、ロイとも喧嘩してんのかお前は。それで顔合わせたくねえんだろ」
「………してねえよ、そんなもん」
「あいつ元気なかったぞー寂しそうだったなーお前が一言怒ってねえよって電話してやればいいんじゃないかなーと俺は思う」
 白々しく耳を掻きながら言い、ちらりと横目で見遣ればエドワードは表情のない眼をじっと木陰に向けている。ヒューズは微かに唇を曲げた。
「どうした? 深刻か」
「………別に」
「俺の知らないうちに別れたか?」
 ぎくり、と強張った肩にヒューズはひとつ瞬いた。
「あらやだ図星?」
「………アンタには関係ない」
「なくないでしょ、ロイもお前も知人だぞ俺は。ついでにお前らのことも知ってんだからよ。それとも何か、お前らの仲って実は公認で誰も彼もが知、」
「ってるわけねーだろ馬鹿! アイツが困んだろ!!」
 ぶちりと切れた音がしたように錯覚する。ヒューズは膝に両手を突き肩を怒らせて足下に怒鳴る子供を見つめた。
「オレは別にアイツを困らせたいわけじゃねーんだよ!! もっとちゃんと、……もっと、……大事にしてやりたいけど、でも」
 掠れる語尾に、ヒューズはぽんぽん、とそのフラメルの十字の染め上げられた背を叩く。小さいながらに堅い背は、これからどんどん広くなっていくはずの、けれど今はまだ小さな子供のものだ。
「………ごめん、いいんだもう。終わったことだから」
「お前には終わってないように見えるけどな」
「終わったんだよ。終わらせないと。……少なくともアイツには終わらせないと」
「お前は終わらなくていいのか」
「………オレはいいの」
 ふ、と小さく息を零すように笑って、子供はちらりと眼を上げた。苦笑のような、奇妙に歪んだ眼の奥が濁る。ヒューズは呆れて軽く天を仰いだ。
「お前なー……なんだ、振られたんじゃないのか?」
「………オレが振ったんだよ。アイツがオレを振ったりできるんなら別れたりしてない」
「まあ、突き放せない奴だけどな。そこがいいとこなのよ。弱いとこだけど」
「……弱みはないほうがいいだろ、大佐もオレも」
「いいとこだって言ってんのに。かわいいもんだろ、馬鹿で」
「……………」
「お前さんそっくりー」
「どこが!?」
「お前も駄目だろ、身内。弱いだろう」
 むう、と不本意そうにむくれた顔が僅かに幼さを覗かせる。それに眼を細めて笑って、ヒューズはベンチに手を突いた。
「で、なんで振ったのよ?」
「………中佐には関係ない」
「あるでしょ、大有りだっての」
「なんで。野次馬?」
「バーカ。ロイのことなら関係あるの、俺は」
 むっと眉間が強く寄せられる。敵意を剥き出しにしたその眼光に人好きのする笑顔を向けて、ヒューズは首を傾げて見せた。
「ん?」
「……むかつく」
「別れた恋人のことで嫉妬されてもねえ?」
「むかつく!!」
「あー、ナルホドふうん? お前は終わらなくていいってそういうことか」
「別にそういうわけじゃねえけど、でも」
「お前馬鹿だなあ、エド」
 むっと口を開き掛けた子供の背をぽんと叩き、ヒューズは苦笑のような笑顔を見せた。
「大人になに気ィ遣ってんの」
「………別に遣ってねえけど」
「俺じゃなくて、ロイ」

 
 
 
 
 
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■2005/9/24
波を立てる。くろくぎんいろのうろこのひかる。

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