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「が、君の兄はその問いを予想していなかった。あれだけ頭が働く小僧のくせに、なんとも愚かなことだ」 アルフォンスは項垂れたままロイへと首を巡らせた。ロイはアルフォンスに視線を置いたまま、独り言のように続ける。 「君とすれば当然の問いだと思うがね。肉体と精神と魂、生き物を生き物とする要素全てが揃い知恵を備える人間でも、自己の証明は難しい。証明の手立てを考えて考えて考え過ぎて、精神を壊してしまう者もいるほどだ。だからもし私がエドワード・エルリックだったとして、君を本物だ、と言い切る自信はない。慰め半分に本物のはずだ、とは言えるが」 「……………」 「だがこれは言える」 ロイは講議でもするように白手袋に包まれた人指し指を立てた。 「君をアルフォンス・エルリックだと証明することは非常に難しい、不可能だとも言える。だが、君が人間の魂を持つことは確実だ」 「………人間、ですか」 「ああ」 ロイはにこりと微笑んだ。 「自己の証明を求めるのは人間だけなのだよ、アルフォンス・エルリック。知恵を持たない獣はね、自己の証明など必要としない。人間の中にも獣と呼ぶべき愚かしい連中はいるものだがね」 アルフォンスは無言で答えたが、何か思い当たることでもあったのかしばし思案した後、こっくりと頷いた。ロイはこつん、とその鎧の腕を叩く。 「アルフォンス・エルリックという名はただの記号だ。君は君そのままで、今思う気持ちや今ある記憶を抱いて生きて行くしかない。───君だけでなく私たちにも言えることだが」 「はい」 「現世というものは何にしてもしがらみが多い。そうは思わないかね、アルフォンス君」 アルフォンスはあはは、と笑った。 「でもボク、生きてて嬉しいです」 「それはよかった」 明るい声ににっこりと微笑んだとき、通りの向こうから恥じも外聞もない調子の怒鳴り声が響いた。 「ッあー! この放火魔ッ!! アルになにしてやがるーッ!?」 凄い勢いで駆けて来る小さな少年に、ロイは思わずおお、と感心する。測れば軍記録を抜くのではないだろうか。 「人聞きが悪いな、鋼の。ちょっと話をしていただけだ」 「るッさい!! 俺のいねぇとこでアルに触るな話し掛けるなアルを見るなこの変態!」 「………私のどこが変態なんだね」 ぐいぐいとロイとアルフォンスの間を押しやって距離を取らせたエドワードに、ロイはやれやれ、と肩を竦めて溜息をついた。 「いつもこんな具合なのかね、アルフォンス君」 「い、いや、いつもはこんなには……」 「アルも! こんなの相手に和んでんじゃねーよ!」 「こ、こんなのって兄さん、大佐に失礼だろ!」 「なんだよ、こんな無能大佐の肩持つのか!?」 「そういうことじゃなくて! ちょっとボクの愚痴聞いてもらってただけなんだから!」 「愚痴ってなんだよ」 ぐ、と詰まったアルフォンスとその弟を僅かに不安そうな色を滲ませて睨んでいるエドワードを、まあまあ、と片手を上げて宥め、ロイは立ち上がった。 「私とアルフォンス君の秘密だよ、鋼の。男の嫉妬は醜いよ」 「し、嫉妬ってなあ!?」 「違うのかね?」 しれっと返したロイに「違うわーッ!」と叫び蹴りを入れようとしたエドワードの襟首を、アルフォンスが慌てて掴む。その変わりない様子にくっくっと笑い、ロイは階段を降りた。 「さて、私はそろそろ帰ろう」 「おー、さっさと帰れ! こんなとこでサボってんじゃねぇ!」 「君も中央を出る前には一度くらいこっちに顔を出したまえ」 「誰が行くかッ!」 喚くエドワードを無視してロイはアルフォンスに目を向ける。 「アルフォンス君も。ほら、いつかの小犬、ホークアイ中尉が引き取ってすくすく育っているんだ。さすがに中尉が躾けているだけはある、随分と賢そうだぞ。見に来るといい」 「あ、はい。有難うございます」 「無視すんなーッ!」 「兄さんうるさい」 弟の無慈悲な一言に撃沈したエドワードに笑い、ロイはでは、と片手を上げて踵を返した。多分そっぽを向いているエドワードを片手に掴んだまま、アルフォンスは手を振っているだろう。 ロイは振り向かずにただ笑った。 アルフォンスを見るな、か。 (あれは気付いているんだな) 中央司令部へと向いながら思わず笑みが洩れる。 自分にとって──多くの錬金術師にとって、彼の弟がどれだけ興味深い存在なのか、エドワードは少なくとも心の奥底では気付いているのだろう。だからこそ、不死身だとは言われつつも小さな錬成陣ひとつ傷付けただけでこの世から消えてしまう儚い絆で命を繋ぐ弟を、こんな旅に同行させているのだ。 軍人に──他の錬金術師にアルフォンスの存在が知れてしまったことで弟の無事はリゼンブールでは確保出来ないことになった、と判断したのだ。目が届くところに置いておかなくては不安なのだろう。 無論、彼が国家錬金術師となるために初めて中央を訪れた日に、からかい半分に脅した言葉も効いてはいるのだろうが。 だがあんな脅しは実のところ大して意味はない。 人体錬成を行ったことを知った上で国家錬金術師に推薦し、あまつさえこれほど長い間報告もせずにいたことが知れればロイもただでは済まない。だから当然、自ら進んでエルリック兄弟のことを報告などするはずはない。 子供とは言えあれだけ頭の良い少年だ、少し考えれば解るはずなのだ。確かにエドワードは弱味を握られている。ロイを陥れることは出来まい。だがそれはロイも同様だ。 共犯者のようなものなのだ、自分たちは。彼ら兄弟が共犯者であるように。 沈み始めた太陽を見ながらあの幼い兄弟を考える。以前はなかったことだ。 何故自分があの二人の犯した過ちに口を噤んだのか、ずっと疑問に思っていた。 人体錬成を行った、幼いながらも天才的な錬金術師。 黙って上層部に報告すればあとは上層部が軍にいいように拘束し、研究者に仕立て上げ、あの鎧の弟は研究所で興味深い錬成例として存分に研究されたことだろう。ロイはまあいくらか上層部へと名を売ることが出来ただろうし、それで仕舞いだ。面倒なことも、弱味を作ることもない。 だが自分はそれをしなかった。子供を庇うかのような自分の行動がどうにも解せなかった。 しかし親友を失って、初めてその理由を理解した。 同じなのだ、自分は。 できることなら禁忌を犯してでも、と考えてしまう人間だったのだ。ただエルリック兄弟の人体錬成の結果を知ったことと、単に彼らよりもずっと歳を食い自己の立場と野心と部下の立場がしがらみとなって実行出来なかっただけなのだ。 無邪気な子供であったなら、あの兄弟が母を錬成したように、ただ期待に胸を膨らませ同じことをしていたに違いない。 そして絶望を味わったに違いない。 その絶望は血の味がするだろう、とロイは思う。鉄錆の臭い、などという優しいものではない。生臭い、有機の臭い。どこかで口にした食べ物のような、それが腐っていくような、そんな憶えのある臭い。 原始の香。 だからこそ胸騒ぐ。だからこそ嘔吐する。 軍人として戦場に出ればどこにいてもある臭いだ。しかしそれを、笑顔を知る親しい人間から嗅ぐことはやはり辛い。 彼らの母は戻らなかったが、あの兄弟の新たな願いが叶えばいい、と思う。 勿論それでロイに得があるわけではない。彼らが身体を取り戻すために造り上げる理論は錬金術を大いに飛躍させるだろうが、禁忌の禁忌たる所以を身を持って知った彼らがそれを明かすとも思えない。 けれどそれでも、そうあればいい、と自らに似合わない甘い戯れ言だ、と感じつつも思う。彼らが子供だからだろうか。 それとも、自分と同じだからだろうか。 そしてその願いは果たされる。ロイはそう確信している。 彼らの野望は幾度も潰え掛けてきた。何故ならあの兄弟はあまりに不用意に多くの人間に秘密を明かし過ぎているからだ。 たとえばタッカー。あの男、あのまま生きて中央で裁判に掛けられていたのならエルリック兄弟の秘密を暴露し道連れにしなかったとは言い切れない。兄弟はその娘の死を悲しんだが、結果的に傷の男に救われたようなものだ。 また、その『傷の男』。 後わずか自分たちの到着が遅ければエドワードは殺されていたろうし、彼ら自身が言っていたように鎧をもう少し深く抉られていたのならアルフォンスは今いない。 他多くの事件に巻き込まれながら、そして秘密を知る者を広めながら、それでも彼らは生きて自由に動き回っていられる。すべての歯車が彼らを前へ前へと押し進め、守っているように思えてならない。 研究者としてあるまじき根拠だが、彼らはきっと神に愛されている。あの兄弟は神に嫌われているのだと信じ込んでいるのだろうが、もしかすると彼らの母親が神に頼み込みでもしたのだろうか。そんなことを考えてロイはまた少し笑う。 らしくない。 中央司令部が見えて来た。中尉にどう言い訳をしようか、と考えながら、ロイはもう一度空を仰いだ。 錬金術師が神に逆らう不届き者だと言う傷の男の言い分は、正しい。彼の神だけでなく、この国の神もまた、錬金術師を嫌うだろう。 だが、錬金術師は人間だ。 ひとが神に憧れてなにが悪い。 その大いなる威光の元へ惹かれて何が悪いのだ。 錬金術師は神の御元へ足を進める。 それを欲した、神父とは別の立場での神職者。 神の創りたもうたこの世界を解体し、すべてつぶさにこの目で見たいと、そう願った者の作り上げた学問だ。 ああ、でも自分には。 今はもうその道すら遠い。 (神がないのは私たち、血に手を染めた軍の狗だよ、鋼の) あの背伸びしている子供には面と向かっては掛けられない、子供へ向ける言葉でロイは口の中で呟く。 (君はその銀時計をひとの血に染めずにいられるといいのだが) 君はまだ、たった十五の子供なのだから。 |
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■2004/4/19
ロイ×アルだったんじゃ……!? 最初と最後で違う話になってしまうのは癖なのかもしれません(いや筆力不足です)。
ハガレンは大人がちゃんと大人の立場を保った上で子供を子供扱いしていて必要以上に肩入れしたり子供の都合に振り回されたりしないので大好きです。そういうとこは児童文学だよなあ。
もっとアルとロイは話をさせたかったんですが、それはまた次の機会に。兄がアルとの会話では語り切れないのと同じにアルも兄との会話では語り切れません。いえ、妄想が。
ところで原作のどこにも時間軸的に差せない話なのでパラレルということでお願いします(とほほ)。
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