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 国家錬金術師ロイ・マスタング、またの名を焔の錬金術師。軍属してそれなり、官位はいまのところ大佐だが何年か後には将軍にはなっている予定。現在中央勤務。
 
 すっかり軍人としての振る舞いが板に付き麗しいご婦人方との甘い一時すら犠牲にして日々忙しく軍務に服しているわけだが、一応錬金術師である。人知れず研究などもする。研究なくして何のための研究費か。溜め込むような質の金ではないし、また若いうちから老後に備えるような堅実でつまらない平凡な男でもない、とロイは自身を評価する。
 いやもちろん、必要とあらば上役への賄賂に化けたりはするのだが。
 とはいえやはり仕事が忙しい。クビになることはなくとも今更こんなことで評判を下げるのも馬鹿馬鹿しいから査定のたびに適当な研究をでっち上げてはいるが、錬金術に没頭する、ということは今はもうない。時間がなくてそれどころではない、というのが正解だ。まあ自ら選んだ道だ、それはいい。
 しかしだからと言って、研究への情熱が失せたかと言えばそんなこともない。どこぞの鋼の小僧のように研究馬鹿なわけでもないが、興味の湧く対象を前にすると胸が踊ることはある。
 
 で、今。
 
 視線の先にその興味ある錬成例がちょこなんと座っている。
 
 
 
 
 
「アルフォンス君じゃないか」
 大きな身体を縮めるようにして、まさにちょこなんと言うのが相応しい様子で階段に座り込んでいた鎧の少年が、がっしゃんと音を立てて顔を上げた。
「あ、大佐。こんにちは」
「こっちに来ていたのなら顔くらい見せに来たまえ」
「はあ……ボクはそう言ったんですけど」
 兄さんが、と続けたアルフォンスに、ロイはやれやれ、と肩を竦めて首を振った。
「鋼のは相変わらずのようだね」
「大佐もお元気そうで。……サボってるとホークアイ中尉に叱られますよ」
「何を言う。れっきとした仕事だよ」
「おつかいですか?」
 首を傾げたアルフォンスに、ロイはははは、と脱力した笑いを返した。
「君に言わせると軍務がおつかいになってしまうんだな」
 アルフォンスはすみません、と頭を掻く仕種を見せる。照れ笑いの代わり、といったところか。
「まあ、用は済んだから後は戻るだけだがね。どれ、少しサボろう。中尉には内緒にしておいてくれよ」
 よいしょ、と隣に座るとどことなく居心地悪げに見下ろされる。この鎧の少年の兄とはどことなく共犯者めいた感情を持ってそこそこ親しくはしているが、そういえばアルフォンスと一対一で話をするのは珍しいかもしれない。アルフォンスにとっても軍人は兄を通して知り合ったようなものだろうから、人見知りするのも当然なのだろう。
 見た目に騙されはするが、これでいて彼はまだ十四歳だ。大人びていて感情の波もあまりなく落ち着いた印象はあるが、まだまだ子供だ。
「今日はエドワードはどうした? 君たちがひとりでいるのは珍しい気がするが」
「あ、図書館です。ボクもさっきまでいたんだけど、なんだか気が散っちゃって……」
 えへへ、とアルフォンスは声を立てて笑い、続ける。
「だから、ボクもサボりなんです」
「まあ、息抜きは必要だよ。君の兄は研究に関しては疲れ知らずのようだがね」
 はあ、とアルフォンスは苦笑を滲ませた相槌を打つ。
「ボクとしてはあんまり無理して欲しくないんですけど……」
 ロイは眼を細めてこの魂ばかりの幽霊のような少年を見つめた。
「………君は君の兄と違ってあまり焦りはないのかな」
「え?」
「エドワードは一刻も早く君を元に戻してやろうと必死なのだろう」
「あ……ええ、それは」
 解ってます、と頷いて、アルフォンスは膝を抱えた。
「ボクも一日でも早く兄さんの手足を戻してあげたいし……」
 アルフォンスは声を落した。囁く声は酷く篭り、聞き取り辛い。
「………ボクも早く元に戻りたい」
 鎧の奥で赤い目が光っている。彼の感情とは無関係に不吉に輝くその目は、どう見てもひとのものではない。
 やはり魂と精神と肉体、この三つに知恵が備わり初めて人間と呼べるのだと、ロイは思う。口に出すほど軽卒でも世間知らずでもないから思うだけにはとどめるが。そもそもこの少年の前でそんなことを言ってはいじめだ。子供をいじめて喜ぶ趣味はない。
 ちなみにエドワードのほうをいじめるのはくそ生意気な小僧への鉄槌であるから、ロイの中では正当である。
「あの……大佐」
 無言のまま瞬きも忘れて見つめていたロイに、アルフォンスが居心地悪げに声を掛けた。ロイは慌てて口許にいつもの皮肉げな笑みを浮かべる。
「ああ、すまない。なにかね?」
 それはこちらの台詞だ、とでも言いたげに首を傾げていたアルフォンスは、ふと視線を落すともじもじと組んだ両手の指をうごめかした。
「あの………」
「ん?」
 ロイはできる限り優しく甘く問い返す。返してから子供とはいえ男相手に何故優しくしてやらねばならんのかと投げ遺りに思いもしたが、今しばらく辛抱して付き合ってみることにする。
 アルフォンスはぐらぐらと軽く頭を揺らしながら、うかがうようにロイを見た。
「大佐は、『一は全、全は一』って知ってますか……?」
 ロイはぽかんとアルフォンスを見上げた。冗談ですよ、の一言を待つが、表情こそ解らないもののどうやらアルフォンスは真剣に尋ねているらしい。
「た、大佐?」
 みるみるうちに苦虫を噛み潰したかのような顔になったロイに、アルフォンスがどことなく慌てた声を掛けた。ロイは眉間を押さえる。
「………アルフォンス君」
「は、はい」
「私は大佐である前に国家錬金術師なのだが」
「知ってますけど」
「国家錬金術師というのはだね、そう生半になれるものでもないのだが」
「解ってますけど……?」
 察しの悪い鎧の少年に、ロイは深々と溜息を吐いた。
「つまり私は優秀な軍人であると同時に、それなりに優秀な錬金術師だということだよ、アルフォンス君。『一は全、全は一』。錬金術の基本中の基本を知らないわけがないだろうに!」
「あ」
 間抜けた声を出したアルフォンスに、ロイは再び溜息を吐いた。
「まったく、見くびられたものだな」
「ごご、ごめんなさい」
 慌ててぺこぺこと頭を下げるアルフォンスに、天才的な頭脳を持ちながらの経験不足から来る間抜けさは兄弟共通のものなのだろうか、と考える。エドワードにもこんなところはある。だから一見生意気な小僧のくせにあしらいやすいのだが。
 まあエドワードに関しては、あと十年、否五年もすれば、ちょっと喰えない男に成長するに違いないのだろうが。
「で?」
「え?」
「全と一がどうかしたのかね」
「あ」
 ええと、と呟いてアルフォンスはしばし首を傾げて考えている様子だ。ロイは腕を組み、じっと待つ。
 錬成された魂とふたりきりで話す機会など滅多にない。少々辛抱して付き合ってやるのは悪くはない。
「………あの、この間兄さんと喧嘩したんです」
 唐突な切り出しにロイは目を瞬かせた。
「それは………、珍しいな」
「そうですか?」
「ああ。じゃれている姿はよく見掛けるがね」
「じ、じゃれてる……」
 複雑そうにアルフォンスは呟く。その彼に、ロイは「で?」と続けた。
「何が原因だったのかな?」
「え、ええと……ボクが一方的に悪いんですけど……兄さんを凄く傷付けちゃって、ウィンリィにもスッゴク怒られたし」
「ウィンリィ……というと、たしかリゼンブールの君たちの」
「幼馴染みの女の子です。兄さんの機械鎧の出張整備をお願いしたので」
「出張整備? ああ、そう言えば私が赴任してくる前に中央でなにかトラブルがあったとかなんとか」
「あ、聞きました?」
「うん」
 ヒューズ中佐にね、と敢えて視線を逸らさず嘘を呟くが、鎧の少年はそうですか、とただ頷いた。
 訃報を知らずにいるのか敢えて流したのか、ロイには判断が付かない。もし訃報を知っていたとしても、この少年は表情の解らない外面のせいなのか、時折この年齢の子供とは思えぬ程淡白な反応を見せる。
 彼の兄にもそういう部分はないではないが、少なくともエドワードは直情的な一面も持ち合わせているから、むしろあれは子供の淡白さなのだろう。子供は自分たち大人ほど、抉れた傷を抱えない。自分たちは傷を抱えても歩いていけるが、子供にはそれが不可能だからなのだろう。自己防衛精神だ、とロイは考える。
 無論、大人になってしまった自分には想像のつかない深い闇を抱え込んでいることもあるのだが。
 しかしアルフォンスには時折それがない。
 カーテンの隙間から闇夜を覗くように、ほんの僅かに垣間見えるだけのものではあるのだが。
(───精神も欠落しているのか?)
 ふと思い、ロイは黙ってその問いを胸にしまった。
「それで、何をしたんだね? 君がエドワードを傷付ける、というのも想像し辛いんだが」
「……………」
 アルフォンスはふいに黙った。すう、と彼の纏っていた温度が下がり、命ない無機物と化したような錯覚に襲われる。
 じっと黙り込んでいるときの彼は無機物と同じだ。恐ろしく気配がなく温度がない。
「………あの、あるひとに言われたんです」
「なにを?」
 口籠っているアルフォンスを、ロイはじっと待つ。
「………その、ボクの魂は兄さんが錬成してくれたものなんですけど」
「うん」
 アルフォンスは顔を上げ、夕刻近いというのに人通りのほとんどない通りに視線を馳せた。
「兄さんの都合のいいように造られたものではない保証はどこにもない、って………ボクが本当のアルフォンス・エルリックである証拠はないんだって。……それはボクの身体は生命の輪から外れちゃってて全と一の外にいるけど、でもこの魂はボクのものだって信じていたから、それで、ボク」
「………ああ、なるほど」
 ふむ、と呟いたロイに、アルフォンスは視線を移した。意外そうな顔をしている、ような気がする。叱られるとでも思ったのだろうか。
「それで、鋼のはなんて?」
「え?」
「君の兄はなんて答えた? まさか『その通りです、君は僕の造り上げた偽物です』なんて答えたわけじゃないだろう」
「あっ……当たり前です!」
 激昂したアルフォンスに、ロイはにやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「そうだろう。君の言う通り証拠はない。鋼のには本物だと答えるしか術はない」
「…………ええ、まあ」
「君もその答えを知っていた」
 アルフォンスは気まずそうに俯き、多分、と呟く。ロイは組んだ足に肘を突き、頬杖を突いて鎧の少年を眺めた。

 
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