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「あの」 「は」 「その………月が好きなんですか」 別にこの男の趣味嗜好に興味があったわけではないが、話題を変えようと先ほど月を眺めていた姿を思いそう言うと、少佐は軽く頷いた。 「イシュバールは空が美しいですな。天体は大きく、青が深い。昼の青空の濃さなど壮観です」 巨体の男は月を見上げた。ロイはその彫の深い横顔を眺める。焔と黒々とした煙とに燻された空など見る余裕もないでいたから、空が青い、と言われてもぴんと来ない。ロイは昼間、地上ばかりを見ていた。 そんなロイに気付かないのか、少佐は呟くように続けた。 「こんな空を見ていたら、神を感じずにはいられないのでしょうな」 「…………それは」 イシュバールの民を擁護する気か。 ロイは姿勢を正した。ひとつボタンを開けたシャツの襟元を無意識に正す。 「少佐。あなたがそんな怪我を負ってまで肉弾戦をしていたのは、もしや投降を促すためだったのですか」 少佐の視線が月から降り、ロイに降る。 無言は肯定だ、とロイは思った。 「少佐。今回の戦闘は殲滅戦です」 「そうですな」 「我々は命令には服従しなくてはなりません」 「無論であります」 頷く少佐に本当に解っているのだろうか、と眉を顰め、ロイは続けた。 「少佐。殲滅というのは、皆殺しにする、という意味ですよ。───たとえ投降を申し出た者がいたとして、それを受け入れることは我々には許可されていない。捕虜は取れないのです」 「承知しております」 「だったら!」 ロイは膝の上の拳を強く握った。 「何故錬金術を使わないのです! あなたは国家錬金術師として少佐の地位を与えられ、錬金術での活躍を期待されてこの隊へと配属になったのではないのですか。無駄に死ぬおつもりなら、私はあなたを上層部に」 「死ぬつもりなどありません、中佐殿」 少佐はロイを宥めるように手を上げた。 「我が軍に損失を与えるつもりも敵に情けを掛けるつもりもありません。我輩はイシュバールの民を憎く思っているわけではありませんが、自分が公私混同が許される立場などでないこともよく解っております。我輩が今ここにいるのは我が軍を勝利へと導く、ただそれだけのためです。それに、錬金術なら使っております」 「使っている?」 少佐はごそごそとポケットをまさぐり、スパイクの付いたグローブを取り出すとロイへと差し出した。 甲の部分に、洗練された錬成陣が描かれている。 「我がアームストロング家に伝わる錬金術、錬成陣です。瞬間的に石を変形させることが可能ですから、今回のような市街戦では威力を発揮します」 「………けれどあまり効率がいいとは言えない」 少佐は苦笑めいた笑みを見せた。上官に対する顔ではなかったと気付いたのかすぐにその笑みは納められたが、ロイは無頓着にグローブを見つめている。 「そうですな。一対一の戦闘のほうが効果を発揮する術ではあります」 「銃でも持ったほうがいいんじゃないですか」 少佐はかぶりを振った。 「銃撃戦はあまり得意ではないのです。我輩の腕では民間人を巻き込みかねません」 ロイは少佐を見上げ、悟った。 多分この男は、女子供を殺さないために自らの拳を血に染めているのだ。 無論口には出さないが、投降を求めた相手を秘かに取り逃がすことくらいはしているのだろう。だが、第一の目的は恐らくそれだ。 ────解っていると言いながら、殲滅戦の意味を解っていない。 女子供も含め、イシュバールの神の名のもと生きるこの地の人間総てをなぎ払うべしと、大総統キング・ブラッドレイ閣下はおっしゃったというのに。 ロイは溜息をついてグローブを返した。 「少佐はひとがいいんですね。出世しませんよ」 「本当にひとがいいのなら、軍人になどなりません」 「………私は出世しますよ。あなたのように敵のひとりひとりの血を浴びる覚悟はないが、そのためならどれほどの屍を踏むことも厭わない」 呟いたロイに、少佐は僅かに微笑んだ。その笑みには皮肉の色など一片もない。 「大総統でも目指しますか」 「ええ」 軽口に真摯な眼差しで即答したロイに、少佐が小さな眼を瞬かせた。ロイはそれを見つめ、ふと唇を笑みに歪ませる。 「冗談です。本気にしないでください」 「………冗談には聞こえませんでしたぞ」 ロイはただ笑って答えた。少佐はふむ、と顎を撫で、僅かに首を傾げてロイを見つめる。 「それでは我輩もひとつ冗談を」 姿勢を正し、少佐は上官にするように控えめにロイの顔を見つめた。 「中佐が大総統となられた暁には、このアレックス・ルイ・アームストロング、微力ながらあなたと我が国の民のために誠心誠意尽しましょう」 眼を丸くして巨漢を眺め、ロイはふと笑みの浮かんだ口許を押さえた。 「………期待するよ、アームストロング少佐」 「は」 「その前に少しでも出世してもらいたいものだがね」 はっは、と少佐は声を立てて笑った。 「鋭意努力致します」 笑い返し、ロイは立ち上がる。 「では私は戻って休みます。あなたも休んだほうがいい」 「は。もう少ししたら戻ります」 「そうですか」 それじゃ、と片手を上げて踵を返しその青い眼に背を向けた途端、どっと夜が暗さを増した。 ゆっくりと額を伝う冷汗と共に血が引く。 先程自分で言った言葉が背にのしかかった気がした。 どれほどの屍を踏むことも厭わない。 偽りはない。そう覚悟している。だからこそのこの焔だ。 だが、この背後の優しく甘い男に比べて自分は卑小だ。良心を捨てずに済む方法を模索する道を探すこともせず、私欲のために罪のない者を焼き尽している。 ただ、駆け足で昇り上がりたいがために。それだけのために。 「中佐。あなたはよくやっておられる」 ふいに、背に太い声が優しく掛けられた。 「我輩はあなたを尊敬致しますぞ」 ロイは無言で、振り向きもせずにゆっくりと足を進めた。背に注がれていた視線はすぐに感じなくなる。また月を見上げているのだろう。 少佐を見つけたあたりまで離れ、ロイはふと肩越しに顧みた。巨漢の男は先程と同じように月を見上げている。横顔は静かで、僅かに丸めた背は昼の疲れを負っているようだったが、多分明日にはまたぴんと伸ばして立つのだろう。 強い男なのだろう、と呟き掛け、ロイはふとその膝におかれた包帯の巻かれた拳に気付き息を呑んだ。 「─────」 がくがくと大きく震えているのがこの距離からでも解る。 視線を上げてもう一度見た横顔は変わらずに静かだが、月明かりに蒼白だ。 何を見ている。 何を聴いている。 ロイは眼を背けた。 心を鷲掴まれるような良心の痛みを覚えるのは自分ばかりなのだと思っていた。そんなわけはない。彼も罪のない人間を初めて殴り殺したのだ。 自分が肉の焼ける臭いに目眩するように、拳の下で骨の肉の砕けていく感触に、飛び散る血と脳漿に、彼とて恐怖を覚えたに違いない。 我々は、これほどの凶器を自ら学び身に付けて来たのかと。 何より、彼のグローブには十字架が刻印されていた。殺すな盗むな姦淫するなと教える、貴き神の十字架が。 ロイは唾を飲み込み、声を整えた。 「アームストロング少佐」 声を掛け、充分に一呼吸分間を開けて振り返る。首を傾けてこちらを見た少佐の拳は震えを止めている。 ロイはに、と笑った。 「中央に戻ったら呑みに行きましょう。友人を紹介しますよ」 少佐はばちばちと幾度か瞬き、満面の笑みを浮かべてぴ、と敬礼をした。 「ご馳走になります、中佐殿」 「って、私に奢らせるつもりですか!?」 少佐はふっふ、と悪戯でも企むように笑った。 「部下に奢らせるおつもりですか?」 「あ」 ロイは思わず苦笑する。 「解りました。その代わりとことん付き合ってもらいますよ」 「望むところです」 その笑顔にしまったこいつ酒も強そうだ、と思いはしたが、すぐにまあいいかと思い直す。 「では少佐、お疲れさまです」 「中佐殿も。ゆっくりおやすみください」 ロイは軽く手を上げた。 「少佐も休んでください。……明日も地獄へ行かねばなりません」 敬礼をする姿を視界の端に納め、ロイは背を向けた。 背に掛かる答えはなかった。 |
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■2004/5/14
誰しも若いときはあります(逃げ口上)。少佐SSのつもりだったんだけどなあ……おかしい。
軍人さんには「栄光あれ!」という言葉はとても似合う気がするのは夢見過ぎだろうか。
えーと、原作設定とかそっちのけで勝手に色々設定作ってしまったのでパラレルでお願いします。……こればっかりですねわたし。
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