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+2+

「…………おい、鋼の」
 低く押し殺された声に呼ばれ、こちらも負けず劣らずドスの利いた低音でなんだよ、と返したエドワードは、立ち上がりはしたものの同じく立ち上がっただけの大人と同様近付くことが出来ずにいる。
 ていうか近付いて余計なちょっかいを出しでもしたら、後で絶対拗ねられる。もう兄さんとは口利かない、とか言われちゃったらちょっと泣きそうだ。
 やはり似たようなことを思うのか、執務机に両手を突いたままの大人はそこから一歩も動かぬまま視線だけを二人に注ぎ、低く唸った。
「君の弟はなんだ、あれか」
「ひとの弟をあれ呼ばわりすんな」
「女好きなのか」
「アンタほどじゃねぇ」
「女好きなんだな?」
「綺麗なもん好きだ」
「そうか」
 それならいい、とほっと肩の力を抜いて椅子に座り直した上官をじろりと酷く不機嫌に見遣り、エドワードはまったく楽しくなさそうな笑みでにやりと唇を歪めた。
「でもアルがあんなふうに構ってもらいたがるのは中尉くらいだぜ。他の女は見るだけだからな」
 静かに固まってしまった大佐を余所に、エドワードはむくれたまま弟と中尉に視線を戻した。
 アルフォンスの鉄の指が、意外なほどの繊細な動きで中尉の髪を纏め直し、丁寧に簪を差し込む。
「………本当、きちんと止まるのね」
「あんまり動くと落ちちゃいますから、お仕事中は使えないと思いますけど」
「そうね、こんなに綺麗な髪飾りはちょっと職場向きではないわね」
「ご自分で試してみますか?」
 そうね、と頷いてそっと簪を外す手を、背後に立ったままのアルフォンスが眩しそうに眺めている、ような気がして、エドワードは更に苦虫を噛み潰したかのような顔になった。
 たしかにホークアイ中尉は美人だし素っ気ない態度ながらも優しい女性でまあ魅力的ではあるのだろうが、エドワードにしてみれば彼女は大人の女性で、憧れるにしてもちょっと年が上過ぎる。もう少し下か、むしろあといくつか上の、自分たちの母と同じ程度の年齢であるのなら解らないでもないのだが。
 女性にしては大きな手が器用に髪を纏め、先ほどのアルフォンスの所作と説明を頼りに簪を差した。はらりはらりと幾房か髪が落ち、躊躇いなく朱の髪飾りを抜いた中尉はもう一度同じことを繰り返す。
「……ちょっと練習が必要ね。アルフォンス君は器用なのね。練習したの?」
「いいえ、バザーのお姉さんが実演してくれたのを見てきたので」
「見ただけで憶えられるものなの?」
 アルフォンスはあは、と首を傾げながら笑い声を洩らした。
「ボク、見たものを見たまま憶えていられるから」
 凄いわね、と目を瞬かせた中尉に、アルフォンスはただ首を傾げ、僅かに微笑みの息のような声を洩らしただけで答えず、薄い蜜色の髪を下ろしたままの彼女の手から簪を抜いてその金糸に触れた。
 さらさらと感覚のない指の間を抜けていく髪を纏めて、恭しく朱塗りの簪を差し込む。
「……使ってくれますか?」
「ええ、使わせてもらうわ。ありがとう」
 アルフォンスははにかむように肩を竦めた。その様子を見つめて中尉は瞳を細める。
「なにかお礼をしなくてはいけないわね」
「え、いいですよ、そんな」
「こんな素敵な贈り物をされて何のお礼もせずにいるわけにはいかないわ」
 遠慮しないで、と言う優しいメゾソプラノに、アルフォンスは僅かばかり沈黙してからええと、それじゃ、と控え目に告げた。目を伏せるように軽く俯いた顔は照れを示しているようにも思える。
「いつかの機会に、紅茶を淹れていただけますか?」
 ふ、と、エドワードの胸からむかむかとした嫉妬が消えた。綺麗にからっぽになった胸が少し寂しい。
 瞬いている中尉から視線を外し、エドワードはざわめいている周囲を見回した。
 この暑いのに紅茶? とか今じゃ駄目なのか? と囁く司令室の面々の中で、童顔の司令官の直属の部下たちだけが静かだ。
 煙草をくわえた唇に僅かに微笑をたたえて鎧の弟と中尉を見ているハボック少尉と、その隣で新聞を開いたまま表情を変えないブレダ少尉。
 来客用ソファの側に立ったまま細い目で見下ろすファルマン准尉の頬は微かに笑みに崩れ、司令室の隅で先ほどからカッターシャツの袖を腕まくりして壊れたらしいタイプライターと格闘していたフュリー曹長は眉尻を下げ、少し首を傾げてアルフォンスを見つめている。
 視線を巡らせ執務机の東方司令部責任者を見遣れば、眉間の皺を解いた童顔男は頬杖を突いて静かに二人を見つめていた。黒い瞳がどこか優しい。
 アルフォンスを見つめていた中尉が、ふ、と微笑んだ。
「じゃあ、そのときまでに美味しい紅茶の淹れ方を研究しておくわね。最高の葉で淹れましょう」
 わずかに肩を竦めるようにして、がしゃ、とアルフォンスが首を傾げる。それだけでエドワードには弟がはにかむように微笑んだのが解った。
「楽しみにしています」
「こちらこそ、楽しみにしているわ」
 微笑み合う美人で有能な女性士官と弟に、エドワードは誰にも気付かれないようそっと溜息を洩らした。
 
 
 
 
 
 
「アル、お前中尉が好きなのか」
「え? 好きだよ」
 司令部から宿へと戻る道すがら、星空を眺めてながら歩いていたアルフォンスは唐突な兄の言葉に頷いた。俯いて石畳ばかりを睨み歩いていた兄の眉間に皺が寄る。
「どこが好きなんだ」
「どこって」
 アルフォンスは首を傾げる。兄の不機嫌の理由がよく解らない。
「美人だし、優しいし、あと格好いいよね」
「美人で優しくてカッコよけりゃ誰でもいいのか?」
「そんなことあるわけないでしょ」
 なに言ってんの兄さん、と不満げに返したアルフォンスをエドワードは睨み上げる。
「付き合いたいとか思ってんのか?」
 アルフォンスは思わず笑う。
「笑うな」
「ごめん、でもさ」
 低く唸る兄にもう一度笑って、アルフォンスはかぶりを振った。
「ボクが彼女になって欲しいなあって思ったとして、無理だよ。ふられちゃうよ」
「何で。……大人だからか?」
「それもあるけど」
 アルフォンスは器用に鎧の肩を竦めた。
「中尉は大佐が好きだもの」
「…………はあ? どこが?」
「どこから見たってそうじゃないか。あんなしっかりしたひとがあれほど尽くしているんだよ。大佐をとっても大事に思ってるってことじゃない」
「だってそりゃ……仕事だからだろ? 軍人なんだ。辞令が出りゃ誰の下にだってつくし、上司には忠誠を誓うもんだろ」
「でも、多分中尉は仮に大総統から命令が出たとしても、大佐を裏切ることはしないよ」
「………そうかあ?」
 あの凛々しい女性軍人が手抜きばかりのサボり魔に惚れ込んでいる姿は思い浮かばない。首を捻るエドワードに、アルフォンスはだってほら、と指を立ててみせた。
「とっても甘やかしてるでしょ?」
 仕事をしてください、と言いながら行方不明になれば毎回探しに出て、自業自得の残業には付き合い、雨が降れば無能と言い切りながらも背後へ庇って、そうやって甘やかして甘やかして、そのくせ誰よりもその力を信頼していて。
「好きじゃなきゃ出来ないよ」
「そうかねえ」
「そうだってば。ボクには解るから」
 
 だってボクだって兄さんを甘やかしているし、けれど誰よりも尊敬していて、信頼している。
 
 胸の内で呟いて薄く笑ったアルフォンスを怪訝そうに見上げた兄に、アルフォンスは今度は声に出してふふ、と笑った。
「でも、もし付き合ってもらえるなら彼女になってほしいなって思ったりはするけどね。ボクが生身に戻れて、もう少し大人になったらかな」
「………お前年上好きだよな」
「うん。マザコンだから」
「自分で言うなよ……。大体母さんはもっと年が上だろ。生きてたらもう三十真ん中過ぎだぞ」
「ボクの中ではいつまでも三十歳前なんだから仕方ないでしょ」
 アルフォンスは再び夏の星空を見上げた。
「でもちょっとさ、大佐にはもったいないよね」
「…………。お前結構言うことキツいよな」
「恋敵だもん」
「………………。ああ、そう」
 真っ向から勝負したらもしかしてあの不良上官ではこの弟に太刀打ち出来ないのではないだろうか、と不吉な予感を感じつつ、少なくとも今のところは真っ向から勝負する気はないような弟に、兄はほっと胸を撫で下ろした。
 
 
 
 
 
 
「中尉はアルフォンス君を気に入っているようだね」
 何気ない口調で日の落ちた街を見ながら言った上司に、既にいつものバレッタに戻したホークアイ中尉は書類の確認をしながらええ、と頷いた。
「好きですよ」
「いい子だものな」
「というよりも、将来相当ないい男になってくれそうです」
 ぱっと振り向いた上官のその強ばった顔に、火を付けていない煙草をくわえたハボック少尉があーあ、と額を掻く。
「し、将来有望ということかね」
「そうですね。プレイボーイになりそうです」
「………ろくでもないじゃないか」
「魅力的だと言うことですよ」
 マスタング大佐は視線も向けない中尉にまだ頬を強ばらせたまま、笑みを含ませた口調を作る。
「まるで惚れているかのような言い方だ」
「……………」
 
 おい、なんだその沈黙は。
 
 大佐ばかりでなく少尉までもが同じ思いで司令官副官を見つめる。中尉はふ、と、まるで綻ぶようにあえかな微笑みを浮かべた。
「究極にプラトニックですね」
「………そ、そうだな」
 とん、と書類を揃える音が響く。
「まるで初恋のようです」
「初恋!?」
 声がひっくり返った上官とぽろりと煙草を落とした部下を中尉はすでに笑みを収めた目で見、僅かに顎を引いた。
「大佐、少しは仕事をしてください。ハボック少尉、いくら火がついていなくてもここは禁煙です。煙草はしまって」
「ア、アイマム」
「わ、解った……」
 満足げに頷き、中尉は揃えた書類を持って立ち上がるとふと上司の背後の大きな窓から星の瞬く夜空を見た。
 今頃宿へと戻る兄弟は、この満天の星空の下を仲良く歩いているのだろう。
「………早く元に戻れるといいですね、アルフォンス君も、エドワード君も」
 
 そうでなくてはお礼のし甲斐がありませんし。
 
「れ、礼のし甲斐って、何をする気なんだ中尉」
「お茶を淹れてあげる約束ですが、聞いてらっしゃらなかったのですか」
「い、いや、それは聞いていたんだが、その」
「そう言えば大佐は紅茶をお淹れになられるのでしたね。後で教えていただけますか」
「そ……それは構わないが、その……」
「有難うございます」
 にこり、と一瞬微笑まれたその顔に言葉を失った上司を少尉は呆れ半分で眺めた。
 まったく、こんなことで動揺してしまうひとが上官でいいのだろうか。
(………俺もひとのことは言えねーのか?)
 何を考えているか解らないこの女性上官の発言に先ほどから振り回されている、という意味では同類だ。
「では、私は司令室のほうへいますので、何かありましたらお呼びください」
「中尉、あの」
「何か?」
「………………。………なんでもない………」
 すっかり負けた顔でがっくりと項垂れた上司に僅かに怪訝そうに首を傾げ、ホークアイ中尉は執務室を辞した。
 取り残された男二人はどちらからともなく顔を見合わせ、互いに溜息を吐いて肩を落とす。
「女性っつーのは解らんもんですね、大佐」
「………中尉は特に解らんよ。そこが魅力なんだがね」
「だったらそんな情けない顔しないでくださいよ。あんたにちゃんと捕まえといてもらわんと困ります」
「…………。……捕まえられるものならとっくに捕まえてる……」
 
 三日月が細く西空に穿たれた、星の綺麗な夜だった。

 
 
 
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■2004/7/11
あれ? これはアイアルでエドアルでロイアイでハボアイ?
そういう予定ではなかったんですが。でもリザさんは東方司令部のアイドルです。(そうですか)

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