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「鍵、掛かってますけど」
「窓から入って中から開けてくれ」
「アイサー」
 がっしゃん、と躊躇わずに窓を割り、窓枠を乗り越えて中へと入っていった少尉が玄関へ回るのを待ちながら、レオナルドは屋敷を見上げた。
 ほんの数ヶ月無人だっただけなのに、その石組みの壁には蔦が這い、庭は雑草だらけですっかり廃屋の様相だ。
「ひとが住まないと荒れるものなんだなあ……」
「こんな森の中ですからね。アルフォンス殿はまめに手入れなさっていたようですし」
「時間はたっぷりあるひとだったからな」
 ぎい、と軋むようになった玄関が開き、部下が顔を覗かせた。レオナルドは准尉を促して暗い屋敷へと踏み込む。
「まるでおばけ屋敷ですなあ」
「昔からおばけ屋敷さ。ここに住んでいたのは鎧の幽霊だ」
「はは、なるほど。明るいおばけでしたな」
「研究室はどちらです?」
「二階のはずだ」
 部下二人を従えて、レオナルドは階段を昇る。どことなく湿気と黴の臭いが強いのは、やはり締め切っていたせいなのだろうか。
 本当におばけ屋敷だな、と考えながら、レオナルドはまだ決めかねていた。
 
 最後の錬金術師の、錬金術の研究資料。
 
 処分してくれ、と、アルフォンスなら言うだろう。決して中は見ずに、誰にも渡さずに焼いてしまってくれ、と。
 けれど誘惑はレオナルドを揺らす。
 
 ───見たい。
 
 軍や国の役に立てよう、などと殊勝な考えからではない。ただ、純粋な興味。
 錬金術を使ってみたい。
 レオナルドの揺れを知るのか、部下二人は研究室を覗こうとしている理由を問わずただついて来る。
 
 まったく出来た部下たちだ。
 
「ここですか?」
「確かね」
「鍵は掛かってませんな」
「………ふん?」
 僅かに疑問を感じたが、施錠されていないのならば壊す手間が省けた。
 レオナルドはノブに手を伸ばし掛けて部下に止められ、代わりに開けると言い張る少尉に任せることにして一歩下がった。
 
 ふと、目を落とす。
 
(………足跡?)
 扉のすぐ下の床に小さな傷のような、模様のような跡。
 半円のそれは足跡にしては綺麗な円にも思えるが、爪先の跡と言われればそうなのかもしれない、とも思う。
 首を捻りながら見ていたレオナルドの視界から、開いた扉に遮られその跡はすぐに消えた。
 
 ───途端。
 
「うわッ!?」
 部下の悲鳴にはっと顔を上げたレオナルドは、まだ子供も通れないほどにしか開いていなかった扉の隙間から業火と熱を見る。思わず少尉を押し退け扉を掴み開いたレオナルドは、准尉に襟首を捕まれて一歩後ろへとよろめいた。
 しかしその無礼を咎めることも忘れ、レオナルドは呆然と部屋を見る。
 
 一瞬で消えた業火の跡には家具すらなく、ただ僅かな灰と煤のにおいが残るばかりで。
 
 レオナルドははっと床を見下ろした。先ほどの靴跡のような半円の模様と、扉に斜めに打ち込まれ床に擦った傷を残す、火打ち金代わりの釘と。
 
 扉の端に、残りの半円と、───火蜥蜴の紋章と。
 
「───やられた」
 呆然と呟き、レオナルドは額を抑えた。耳の奥であの可愛らしい子供のような笑い声が聞こえた気がした。
 声は悪戯が成功したかのように楽しげに笑い、レオナルドを僅かに諫めた。
 
 ───言ったでしょう、錬金術は教えないって。
 
 レオナルドはふいに込み上げた笑いを噛み殺し切れずにくつくつと喉を鳴らす。呆気にとられていた部下二人が訝しげに顧みた。
「ど、どういうことです、少佐」
「一体何が……今、火事になっていたような」
「ほら、ここを見ろ」
 レオナルドは床と扉の文様を指し、まだ僅かに熱の籠もる研究室へと二人を誘って扉をゆっくりと引いた。カリカリ、と釘が小さく音を立てる。
「こうやってこの模様を合わせると円陣になるだろう」
「ええ」
「これが何か?」
「これが錬成陣というものだ。錬金術を発動させるための式だよ。これで焔を起こしたんだな」
「はあ………って、え、ってことは、またさっきのような火を吹くのでは!?」
 慌てた少尉にレオナルドはいや、とかぶりを振る。
「理論を理解しているものが発動させる意志を持たなければ発動しないんだ。この錬成陣はもう、誰にも発動させることはできないよ。時限式にしてあったんだろうな。錬成陣が合わさって、火花が散れば発動するように」
 それにしても。
 レオナルドは苦笑した。
「あのひとも面白いことをする。わざわざ火蜥蜴の陣を使うとはね」
「………火蜥蜴?」
「うちのじいさまの専売特許だった陣だよ。あのひとはこれでイシュヴァールを焼き、多くの国を焼き、あの地位を築いたんだ」
「………英雄の紋章ですか……」
 レオナルドは目を細めた。
「………最後にいいものを見せていただきました、マイ・ウィザード」
 決して、レオナルドの前では見せようとしてくれなかった錬金術を、尊敬する曾祖父の陣で。
「いい置き土産でしたよ」
 呟き、くすりと笑ってレオナルドは立ち上がった。
「他の部屋はどうなさいます?」
「無駄だろう。錬金術関係のものは遺されていないさ、そつのないひとだから。あとはエルリック家とロックベル家に託そう。彼らが譲られるべき遺産だ」
 熱と煤のにおいの籠もる室内から部下を出し後に続き、レオナルドはふと振り向いた。
「………お世話になりました、アルフォンス」
 後ろ手に、白い手袋に包まれた手が扉を閉じた。
 
 くすくすと微かに笑う声が響き、後は何もない石の部屋はぴたりと沈黙する。
 
 
 
 それっきり。

 
 
 
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■2004/7/2

長い話でした……8話+エピローグ。その上オリキャラばかりの話で、読んで下さった方には本当に感謝します。
いろいろと他に語りようがあったんじゃないかというテーマでしたが、とりあえずこの話ではこんな感じで。しがらみはあったほうが自由なのか、ないほうが自由なのか、というと、しがらみから完全に逃れることのできない我々には想像するしかないわけですが、アルにはきちんと生き物として生きて、生き物として死んで(鋼的には流れへと還って)もらいたいなあと思う気持ちもなくはないのでした。
という願望の話。

それからケイカボクのめいさんから素敵な幕間をいただきました…! ウィンアルですよウィンアル! 企画ページからも行けますがこちらからも行けます。→ (別窓)

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