駅から出ると、軍服を着た若い女の人とレオさんよりは少し年上に見える男のひとが、慌てたように駆けて来た。 「マスタング少佐! お疲れ様です」 足を揃えてぴたりと立ち止まり、二人の軍人さんは揃ってきっちりとした敬礼をした。レオさんは、うん、と頷きアルフォンスを顧みる。 「では、私はここで。こうして迎えが来てしまいましたし」 「中央には寄るんでしょう?」 「ええ、明日朝一で会議がありますから」 じゃあ、と言ってアルフォンスは下げていたとても古い小さなトランクを開き、中から分厚い封筒を取り出した。 「これ、軍法会議所に提出しておいていただけませんか? 頼まれていたのものですと言って」 受け取ったレオさんが眼を瞬かせる。 「え、我々がお願いしたものの他に何か?」 「そのお願いされていたものですよ」 「……昨日はまだ出来ていないと」 アルフォンスは小さく肩を竦めた。 「持って行ってもらえればちょうどいいかなと思って、昨夜大急ぎで仕上げたんです」 「昨日見せていただいた限りでは、まだあと三日は掛かりそうな具合でしたが……」 うふふ、とアルフォンスは子供のように自慢げに笑う。 「凄いでしょう」 「…………。……ええ、凄いです、ね」 僅かに苦笑を交えて頷き、レオさんは封筒を受け取ると敬礼した。 「では、最後の錬金術師殿。また今度ゆっくりとお会いしましょう」 「来るときは連絡してくださいね」 「電話を引いてくだされば連絡できるんですが」 「そんなことしたらひっきりなしに軍部から仕事が入るじゃないですか」 嫌ですよそんなの、と笑って、アルフォンスはレオさんの部下のひとたちに向き直った。 「こんなひとで大変だとは思いますけど、よろしくお願いしますね。あとこのひとに断られても、ボクのところへ来るときはくっついて来てください。お部屋用意しておきますから」 「は、了解しました」 「お任せください」 「………あのなあ、お前たち」 渋面のレオさんに笑って、僕とアルフォンスはそれぞれ握手をして去っていく軍人さんたちを眺めた。 「さて、と、エドワード。どこ行こうか? 最近アミューズメントパークが出来たとか聞いたんだけど、そこか、でなきゃ大きな本屋さんにでも……」 アルフォンスの提案は、突然響いた銃声に遮られた。はっと視線を返した僕らの視界の先で、公用車に乗り込もうとしていたレオさんたちが身を翻すのが見えた。部下のひとがレオさんを庇い銃を抜き、レオさんはもう一人の部下のひとに促されて駅舎へと走る。 再び銃声が響いた。何発も。 通行人が倒れる。道の向こうで車が爆発した。熱風にうわ、と叫んで思わず顔を庇った僕の前に、その熱い風を遮るようにアルフォンスが立つ。 「エドワード、駅まで走ッ………」 顔だけ振り向いたアルフォンスが、はっと正面へと兜を戻した。やけに籠もった銃声が響く。 僕は、アルフォンスの背から弾丸が走る軌跡を見た。アルフォンスを撃ち抜き素人の僕にも軌跡が見えるほどスピードの弛んだ弾丸は、それでも当たれば生半な怪我では済まない。ぐっと伸びて来たアルフォンスの腕が僕の頭を押さえて身を伏せさせようと、した。 がくん、と、アルフォンスの膝が崩れる。 「ア……アル!?」 タン、タン、と、小さな音がした、と思った。 僕はアルフォンスの背の、人間ならば首の下、骨がでっぱっている辺りから、首の覆いから差し込んだ光が漏れているのを不思議に思って眺めた。 ぱん、と、手を打ち合わせる音がした。 ばしばしばし、と青白い茨のような稲妻がアルフォンスを覆う。僕はごく自然に、ああ、アルは自分を直すつもりなのだな、と考えて、その逃避に安堵した。けれど僕の足は何故か萎えて、僕はぺったりと地面へと座り込んでしまったままだった。 ばきばきと音を立てて、僕の視界が暗く覆われて行く。 硬い鉄が抱き込むように僕を覆い、僕は身体を丸めて地面へと伏せる形になった。 がんがん、と時折その殻のような鉄を、弾丸が撃つ。けれど弾丸が殻を撃ち抜き僕まで届くことはない。 「アル、フォンス」 呟くと、ひっく、と嗚咽が洩れた。 「アルフォンス」 僕を包む殻の、ちょうど目の前に、いつか見せてもらったアルフォンスのしるしがある。 これが壊れてしまうとボクはこの世にいられなくなってしまうんだよ、と言ったそのしるしは端が欠け、僅かに焦げ、既に完璧な形を失ってしまっていた。 「アル……!」 『ああ、やっぱりだ』 囁いた声はいつもの空っぽの鎧に響き籠もるそれではなかったけれど、確かに馴染みの、幼く優しい声だった。 「アルフォンス!?」 ふ、と、耳元で微笑の息。 『この血印はねえ、エドワード。ボクと鎧の仲立ちになるものだったんだ』 僕は視線を巡らせた。何も見えない。 『ずっとそうじゃないかと思っていたんだけど、やっぱり兄さんはボクを錬成陣なしで錬成したんだねえ。ボクは鎧がなくてもボクなんだ』 ふふ、笑った声は密やかで、僕はなんだか背筋が寒かった。 「アルフォンス! 大丈夫なの!?」 『なにをして大丈夫、と言うのかは解らないんだけど』 アルフォンスの声が耳元で囁き続ける。 『鎧から離れても魂は在るけれど、でもやっぱり、器がないとダメだねえ。ほら、もう随分ほどけてしまった』 「────見えないよ!」 僕の声はほとんど悲鳴だった。 『ねえ、エドワード。ボクはどれほどの馬鹿だったんだろう』 アルフォンスはそんな僕の声が届いていないのか、少し楽しそうに続けた。 『ずっと昔に、ボクの師匠が言ったんだ。お前は自由だ、って。どこへでも、ボクの好きなときに好きなところへ行けるって』 でも、と囁く声に胸が掻き毟られる。 ああ、お願いだから、アルフォンス。 昔の話はしないで。 僕の知らないひとの話をしないで。 『ボクは師匠の言葉を理解出来ていなかった』 頭の中にアルフォンスの声が響く。耳を塞ぎたかった。身体中総毛立っている。 『ボクはずっと怯えていた。───ボクは流れへ回帰できるのか、ずっと疑問に思ってた。ボクはもう流れから外れてしまっていて、ボクの行く先はこの世界ではなく世界の外なんじゃないかと思ってた。でも』 ふ、と笑みを込めた息。吐かれるはずのない息が、僕の首をくすぐる。 『錬金術で造ったものだって、やがて腐り落ちて土へと還り、流れへと回帰する。当たり前のことなんだ。この世にあるもの全て、流れの中の一。ボクも一。一を束ねて、それが世界』 「………アルフォンス、やめて」 『どうしてボクは自分が特別だなんて思っていたんだろう。ボクだって一なのに。ただ錬金術で錬成されたというだけの、ただの流れの中の一なのに』 「アルフォンス……!」 『師匠はボクに、おそれるな、と言っていたんだ』 アルフォンスは嗚咽混じりの僕の言葉を聞いてくれない。エドワード、と呼び掛けるそれは本当に僕に呼び掛けているのか、それすら疑問だ。 だって、僕の父さんもじいちゃんも、エドワードって名前なんだ。 アルフォンスの呼ぶ『エドワード』は、もしかして。 『エドワード・エルリック』、と言うひとの。 アルフォンスが大好きだったと言う、ひとの。 深く深く、笑みを込めた息が吐かれた、気がした。 『ボクは、自由だったんだ』 僕は涙が止まらなかった。 相変わらず背筋は寒くて吐き気までしたけれど、それでも悲しくて悲しくてその気持ちが身体の調子を上回り、外で響いている音や熱や風は盾へと姿を変えたアルフォンスに遮られ、ただ僕はうずくまり自分の心を抱え込み、飛んだことがないという空へ、それを含めた全てへほどけて逝こうとするアルフォンスに縋ろうとして泣いた。 「行かないで、アル………」 ふ、と、視線がこちらを向いた、気がした。 深い微笑みを感じる。 ないはずの手が、指が。 僕の頭を、撫でた。 その指は優しく柔らかく、僕より小さな、子供のものだと、思った。 額に柔らかな感触を得て、それがお別れのキスだと悟った僕は、ゆっくりと意識を失った。 テロはすぐに鎮圧され、テロリストはみんな捕まったり射殺されたりした、と、僕は病院でレオさんの部下のひとから聞いた。 テロリストの標的はレオさんで、イシュヴァール人のうちの過激派に属するグループがどうの、という話をニュースで観たけれど、僕にはよく解らない。イシュヴァラのひとたちは昔は差別されていたらしいけど、今では全然そんなことはなくて、僕の学校にも何人もいるし、混血だって多い。けれどまだ純血主義者というひとたちは存在するらしくて、大抵のイシュヴァール人はそのひとたちのことを迷惑に思っている。 どうして同じ国の人間なのにこんなに考え方が違うのだろう、と不思議に思いはしたけれど、それに答えてくれるひとはいなかったので、僕は未来の僕への宿題としてそれを胸に沈めておいた。 僕は卵を半分にしたような形の厚い鉄の殻に守られていたけれど、それに守られる前にどうやら脇腹に一発銃弾を掠めていたらしくて、あの殻の中で感じた悪寒や吐き気はそのせいだったのかもしれなかった。 レオさんは謹慎中だとかいう話でお見舞いには来れなかったけど、代わりに部下のひとが毎日やってきてくれた。 完全看護だと言うこのイーストシティの軍立病院に泊まり込むことが出来なかった母さんはホテルを取ろうとしたけれど、それも軍の宿泊施設が無料で提供されたらしくて、母さんたちはしきりに恐縮していた。レオさんが手配してくれたらしい。多分、僕の怪我は自分のせいだと思っているんだと思う。 僕はそれほど酷い怪我でもなかったからすぐに退院して、リゼンブールへと戻った。 それが、僕の13歳の最大の思い出。 僕は親友で庇護者で最大の理解者で先生だったおばけを失って、同時に僅かばかりの真理の欠片を手に入れた。 僕は未来の僕へとたくさんの宿題を残し、今はまだ少し、アルフォンスを胸に沈めきれずにいる。 おそれるな。 僕は、自由だ。 流れの中の一は、いつか、世界へ回帰する。 そのとき僕はアルフォンスと再び会えるのだろうか。 あの、優しい魂と。 |
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■2004/7/2
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