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「ちょ……っと、大佐」 「ん……?」 「ん、じゃなくて! 眼ェ閉じろよ!」 互いの唇に呼気の触れる距離で顔を真っ赤に染めて怒鳴った子供に、ロイはきょとんと眼を瞬かせた。 「何を今更」 「い、今更ってアンタ、いつも眼ェ開いてキスしてたのかよ!」 「いつもではないが、まあ時々」 なだらかに閉じる皮膚の薄い瞼がぴくぴくと動く様が面白いとか未だ肌理細やかで瑞々しい日焼けした子供の膚が健康的だとかびっしり生えているわけでも吃驚するほど長いわけでもないのに綺麗な金色をした睫が金糸のようだとか呼吸が乱れるごとにほんのり赤く染まって行く目許が素直だなとか。 うわああああ、と喧しく喚いてエドワードは頭を抱えた。 「何考えてんだよ!? アンタデリカシーって言葉知らないのか!」 「何を言う。どんな顔をしているか解らなかったら気持ちが良いのか嫌がっているのか解らないだろうが」 「オレが! アンタを気持ちよくさせたいの! オレが気持ちよくなってどーすんだよ!」 「ああ」 ロイはぽんと手を打った。 「それもそうか」 舌入れられてるのは私か、と得心したように頷いたロイに、エドワードはがっくりと肩を落した。 「アンタって、アンタってほんとに」 「私が何だ?」 頬を包んだ骨張った手に促され視線を上げ、赤面してふて腐れたままのエドワードは余裕の表情で笑っている恋人を見た。 ああもう腹が立つ。 「………もういい」 「ん?」 「もー今日は寝ようぜ」 ロイは眼を瞬かせた。その恋人を放ってエドワードはさっさとベッドへ潜り込み背を向ける。 「おい、鋼の」 上から覗き込む気配と熱にどきりと心臓が跳ね上がる。全くもってこの若い肉体は正直だ。 しかしエドワードは頑に眼を閉じたまま掛け布を引き上げた。 「こら、何を拗ねているんだ君は」 ぎゅむ、と鼻を摘んだ手を払い、エドワードはじろりと横目でロイを見上げた。 「何だよ、して欲しいのか?」 「そういうわけでもないんだが」 「じゃあいいじゃねーかよ、寝ろよ。アンタいっつも疲れたとか眠いとか言うだろ。今日も疲れてんじゃねーの」 「それはもう疲れているがね」 「んじゃお互い問題無しだな。寝ろ」 ばふ、と掛け布を鼻先まで引き上げ顔を隠したエドワードに、ロイはそれ以上ちょっかいを掛けてくる様子はない。ただ隣に潜り込む様子もなくて、多分ベッドの上で胡座を掻いた先程の姿勢のままこちらを見ているのだろうと思われた。 根比べのつもりかよ。 その手に乗るか、とエドワードはぎゅっと眼を瞑る。まだ速い鼓動は納まる様子はない。 本当は、今すぐでも抱きたい。 滅多に会えない恋人のために禁欲しているつもりはないが、エドワードは他の女を(男も)抱くことはしたことがない。だから普段は全て自慰で済ませてしまうが、どれだけ熱を落しておいてもこうしてベッドの中、すぐ隣に香水や石鹸や、馴染みのある僅かな皮脂の匂いの立つ身体があると自分でも驚くほど瞬時に欲情する。 我ながら浅ましいと思わないでもないが、まあ好きな相手が隣で寝ていて勃たない男はガキか不能かオッサンだとエドワードは思う。 だから本当は、三ヶ月と半振りに会ったこの恋人を滅茶苦茶に抱きたくてたまらない(勿論滅茶苦茶になんて出来ないのだけれど)。 ふ、とエドワードは短く苦しい息を吐いた。ロイは動かない。 (………座ったまま寝てんじゃねーだろーな) そういえばこの男は壁に寄り掛かっていさえすれば立ったまま眠れるのだった、と気付き、エドワードはそろりと掛け布から眼を出した。 ゆっくりと視線を巡らせ、それでも届かない視線にじりじりと頭を動かし寝返りを打つ。 ────途端。 「う……ン………ッ!?」 ぐい、と胸倉を掴まれ上体が持ち上げられた。ほんの僅か歯がぶつかり、カッ、と軽く上顎に響く。 エドワードは眼を瞠った。 すぐ目の前にある微かに眉根を寄せ長い睫を伏せるその顔。 眼球の動きをくっきりとトレースする皮膚の薄い瞼にうっすらと青く細い血管が走っているのが解る。灰色に思えるほど膚が白く濃灰の影が彫像のようだ。 胸倉を掴んでいた右手がエドワードの背に回り、左手は金髪に差し込むように後頭部へと回される。疾っくに侵入していた熱い舌がぬるりと動くたびに首や背や下肢にぞっと快感が走った。押さえる手も口腔内を荒す舌も決して乱暴なものではなくむしろ柔らかであるのに、快感が邪魔をして振り払うことが出来ない。 視界に飛び込む僅かに苦しげな表情に胸が締められる。ほんの僅か、嗜虐心に火が付いた気がして、エドワードは口腔を犯す男を掻き抱くように背に手を回しきつく眼を閉じた。鍛えられた均整の取れた身体が手加減を知らない機械鎧に締め付けられて、ぎしり、と軋んだ気がした。 ぬるり、と口腔内を舌が去る。 はあっ、と大きく息を吐き、エドワードは紅潮した顔でロイを見上げた。抱き締め、抱き締められていた腕が緩み、ぺったりとベッドへと座り込む。 ロイは唾液に濡れ赤く血の昇った唇を舌舐めずりをするようにぺろりと舌で拭いエドワードの顎を指で拭って、にんまりと笑って見せた。 「よかったろう?」 「…………は?」 「相手の顔を見ながらキスをするのは結構気持ちが良いだろう」 エドワードはベッドへ突っ伏した。 「………キ過ぎ」 「ん?」 「クる。すっげークる。アンタの顔やらし過ぎ! そんでもってキス巧過ぎ! このたらし!!」 「褒め言葉だな」 わはははは、と笑うロイを恨みがましく睨み上げ、エドワードはわざとらしく仰々しい溜息を吐いた。 「若者煽らないでほしいんだけど! 治まり付かなくなるだろ」 「別に治まらなくてもいいじゃないか、若者」 「下半身の話なんですけどー」 「解っているよそんなことは。私も男なんだから」 エドワードは不審げにロイを見上げる。恋人はいつもの飄々として掴み所のない張り付いたような笑みを口許へと掃いたままで、その真意は見えない。 「………アンタ何言ってんの? したいわけ? 誘ってんのかよ」 「別に私がしたいわけではないが」 「じゃあなんなんだよ!」 「君にさせてやりたい」 「……………」 エドワードはむくリと身を起こした。 「………なんで?」 「何でって」 ロイは肩を竦めた。 「たまの逢瀬にセックスしたいと思うのは男なら当たり前だろう」 「アンタはしたくねェんだろ?」 「したくない、わけじゃない。しなくてもいいだけだ。だから君がしたくないのなら喜んで休ませてもらうが」 まだ不機嫌さを滲ませているきつい目許にゆっくりと触れる親指が、ほんの少しささくれている。仕事をしている手だ。 「私とセックスをしたいんだろう?」 エドワードは顎を引き、口をへの字に曲げたまま上目遣いにロイを見た。 「…………そりゃ、したい……けど」 「ならすればいいじゃないか。今更遠慮されても気持ちが悪いだけだ」 「でも」 口籠るエドワードにロイは首を傾げる。 「でも?」 エドワードは俯く。その耳が真っ赤だ。ロイは覗き込むように顔を近付けた。 「鋼の?」 「………アンタ、オレに抱かれても気持ち良くねーんだろ?」 ロイは眼を瞬かせる。屈辱のためか紅潮した顔でじり、とロイを睨み、エドワードはむくれた。 「気持ちよくねーのに無理矢理付き合わせるほどオレ開き直ってねーよ」 ロイはぽかんとエドワードを眺めた。エドワードはなんだよ、とその顔を睨み返す。 「………気持ち良いが?」 「は?」 ロイは困惑したように前髪を掻き上げた。 「だから、気持ち良いんだ、君とするのは。勿論全部が全部ではないし気持ち悪いことも痛いことも多いが男女でもそれは多少はあるものなのだし、男同士だということを差し引けば充分に気持ちが良いと言っていいと思うんだが。比較対象がないから断言は出来んがね」 エドワードは眼を丸くした。ぽかんと開かれた口がまず何を言うべきかとばかりにばくばくと開閉する。 「なっ……だって、じゃ」 エドワードはみるみるうちに眼を吊り上げて、膝立ちになるとロイへと詰め寄り胸倉を掴んだ。 「だったら何でヤってるとき何にも言わねェんだよ!?」 「………言ってるじゃないかいつも」 「違う! いや言ってはいるけど、なんで普通に喋れるんだって話だろーッ!?」 「喋れるだろう、普通」 「無理だろ普通ッ!!」 ロイはふと半眼になる。 「ああ……なるほど、何故喘がないか、という話か?」 馬鹿馬鹿しい、と嘆息したロイにエドワードの機嫌がさらに損なわれる。 「何が馬鹿馬鹿しいんだよ!」 「だってそうだろう、そんなもので快感の度合いは計れない。それは勿論、我を忘れるほど没頭していればどうかは解らないが、喘ぎ声なんかほとんどが演技なんだぞ」 「………は?」 ロイは胸倉を掴んだままだったエドワードの手を払い、ごろりと腕を枕にして横になった。 「誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、あのなあ、男の低い喘ぎ声を聞いて嬉しいか? 気味が悪いだけだろう」 「え、いや、オレはアンタの声ならそそるけど」 「そうか、この変態少年め」 私は御免だ、と溜息とともに吐き捨てて、ロイは眼を閉じた。 「………おい、寝ようとしてんじゃねェよ」 「喘ぐなんて気持ちが悪くて私の気分が醒める。そんなことを要求されるならもう今日は寝る」 「アンタさっきしていいっつったろ!」 「君は今日は寝ると言ったよ」 「こッの………!」 可愛くねェ、と歯軋みの合間に呟いて、エドワードはロイの肩をベッドへと押し付けた。ロイは薄く瞼を開き眉を寄せる。 「何かね、鋼の。私はもう眠るんだが」 「させろ」 「嫌だ」 「んじゃ、強姦する」 言いながらゆるりと鋼の右の指で顎をくすぐる。ロイは首を竦めて思わず、と言った様子で笑った。 「強姦する手付きじゃないな、鋼の」 「そう? 強姦だろ? アンタは今発火布も拳銃も手元にないけど、オレはいつでもこの右腕でアンタを殴れるし、刃物を錬成するのも一瞬だ」 ロイの細められた双眸が冷えた光を乗せた。エドワードはにやりと嗤う。 「うっそ、そんなことしねーよ」 「解ってはいるが」 「解ってても信用し切れねーんだろ。嫌だねえ、軍人っつーのは」 エドワードはロイの上へと身を乗せ、唇を軽く啄む。 「緊張してんな」 「……まあな」 「オレが怖い?」 ふ、と息を吐き、ロイは眼を伏せた。 「怖くはないが、仮に君に殴られて死にそびれたとき君を焼き尽さずに許す自信がない」 「そりゃ困るな。アルが待ってるのに」 「私も困るよ。部下が待っているのに」 うっそりと嗤い合って、エドワードは薄く開いた唇へと舌を差し入れた。眼を閉じたロイの両腕が包むように肩幅のない背に回る。 いつもより強く抱くその長い腕に開いていた眼を細め、エドワードは熱を増し始めた口内へより深く侵入した。 |
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■2004/6/11
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