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「あれは酒に弱いのか?」
 笑うも怒鳴るも歌うもケタが外れた大声で、今はファルマン准尉の蘊蓄に何が可笑しいのか手を打ってゲラゲラと笑い続けているエドワードを指差して、こちらもいい加減座った目で訊いてくる大人にアルフォンスはがしゃ、と小首を傾げた。
「ウィスキーボンボンは12個入りを一箱食べても二日酔いにはならないし、ブランデーケーキは大好きだし、クリスマスのワインはグラス二つで取り上げられて凄く不満そうでしたけど、あのですねえ、大佐」
 アルフォンスはむしろいつもよりも青白い顔で眼の座っているマスタング大佐の、付けられっぱなしで外されていない髪の毛のリボンをつまみ取った。
 ケーキの箱を括っていたリボンで、撫で付けることができる程度には長い黒髪に随分と可愛らしく付けられていたそれは先程からずっと幸せそうな微笑みを浮かべてソファの端で丸くなって寝ているフュリー曹長の仕業なのだと中尉に聞いた。しかし聞かなければ酔うと女装でもするひとなのだろうと納得していただろう自分が大分彼らに毒されていることに気付き、アルフォンスは内心でちょっと憂鬱になる。
 
 イヤだなあ。ボク、田舎の素朴な少年だったのに。
 悪い大人にどんどん染められて行くなんて、なんだか都会に出て来た女の子みたいで。
 
「言葉の途中で止めるな。気持ち悪いぞ」
「あ、吐きますか?」
「私は酒で吐いたことはないが」
「でも大佐、顔白いですよ。具合悪そう」
「酒で赤くなったこともない」
「………でも酔ってますよね」
「私がか? 酔ってるわけがないだろう」
 いつも通りのエリートらしい流暢な発音で言い、アルフォンスの冷静な眼で見ても充分に女たらしな表情でふ、と笑ったマスタング大佐にがっくりと肩を落す。
 酔ってるんですね、スッゴク。
「で、ボンボンがどうしたって?」
「いやだから、兄さんはお酒は弱くないとは思うんです、15歳にしては。ですけど……」
 アルフォンスの視線がオーク樽へと向けられる。
「………さすがにウィスキーをしこたま呑まされたらそれはちょっと」
 あっち側に行っちゃいますよね。
 どうも気持ちよく行ってしまっているらしいことがせめてもの救いだ。明日は二日酔いが凄いんだろうけど。これで悪酔いでもされていたらたまらない。
 兄さんは笑い上戸だとは思うんだけど、とアルフォンスは内心で溜息を吐く。
 あんまりタチのよくないお酒に酔うと、泣き上戸なんだよね。
 凹まれると浮上させるのが困難で、以前慰め切れなくなって次々と兄の口へと酒を運び酔い潰して黙らせたことのあるアルフォンスは先程からテーブルへと腰を下ろしアルフォンスと膝を突き合わせて顔を覗き込んでくる大佐とぐったりと寄り掛かり煙草をふかしているハボック少尉にややうんざりと首を振る。
 どうしてこんなにくっついて来るんだろうこのひとたち。
「………あのー」
「何かね?」
「んあ? 俺?」
「…………。………ちょっと離れてもらいたいんですけど」
「話をするのだから向かい合うのは当然だ」
「お前冷たくてちょうどいいんだよ。呑み過ぎたかね」
「どうせくっついてもらうなら女のひとがいいです」
 酔っ払いにまともに返答しても馬鹿を見る、とこの2時間で充分に悟っていたアルフォンスはそう返してみたが、わはははは、ぎゃはははは、と下品な笑い声を上げた酔っ払い二人は揃ってばしばしと鎧を叩いた。
「見掛けによらず女好きなんだなアルフォンス君! いやそうでもないか、こっちに来るといつも中尉と話してるしなあ」
 何の見掛けですか。そりゃあ執務室に来ればお茶を運んでくれるのは中尉なんですから挨拶くらいしますけど。
「女ならいいのか! 俺じゃ無理だが、ほらこのひととかそっちで寝てるちっこいのとかアタマにリボン付けときゃいいだろ。ってあれ、大佐、頭のリボン」
「さっきアルフォンス君がとった」
「ありゃ、せっかくの作品なのに。フュリーが眼ェ醒ましたら泣きますぜ」
 泣くんですか。
 フュリー曹長はまともなひとだと思ってたんだけど、と項垂れながら、アルフォンスは救いを求めるように視線を走らせる。途端黙々とグラスを傾けていたブレダ少尉と眼が合った。アルフォンスは藁にも縋る思いでばしばしとアイコンタクトをとってみる。
 
 まともですか?
 まあ、正気だ。
 よかった、助けてください。
 それは無理な相談だな。
 少尉の上司と同僚でしょう?
 勝てない戦には手を出すもんじゃねえぞ、アル。
 勝てない戦を勝たせるのが戦略家じゃないですか。
 俺の戦じゃないからな。
 
 すいと視線が外されて、アルフォンスは泣きたくなった。見捨てるなんて酷い。
 正面と隣の大人二人は何がどうなったんだか下品なシモネタで盛り上がり始めている。それでも大佐の顔色はまるで紙のようだから、うわほんとこのひとどっか悪いんじゃないかなとアルフォンスはちょっと引いた。
「なあアル」
 突然ぽんと肩を叩かれ同意を求められて、アルフォンスはあわあわとハボック少尉を見た。
「え、あ、はい?」
「聞いていなかったのか?」
「すみません」
「駄目だぞ、アルフォンス君。大人の話は聞かねば」
 ためになる話ならいくらでも聞きますけど。
「だからな、アルはどういうのがいいんだって話で」
「………どういうのって?」
「だからほら、プロンドだとかブルネットだとか胸はでかいほうがいいとか」
「美人がいいとか可愛いほうが好きだとか着痩せするほうがいいとか尽してくれるのが好きだとか」
 セクハラですオジサンたち。
「で、どういうのが好みなんだ。興味はあるんだろ?」
「思春期真只中だものなあ」
 アルフォンスはふー、と溜息のような声をもらす。
「まあ、なくはないんですけど」
「だろう!」
「やっぱ大人の女が好みか?」
「なにがやっぱりなのか解らないんですけど……」
 アルフォンスはわずかに首を傾げた。生身の身体があったなら、多分ボクは今唇を噛んで考え込んでいる、と思う。
「………そうですね、多分、大人の女のひとのほうが好きだと思います。女のひととしてという意味なら」
 たとえば優しげな腕。清潔でやわらかな匂い。包むような微笑。
 優しく頭を撫でるてのひら。頬のパンくずをつまむ短い爪のきれいな指。
 アルフォンス、と呼ぶ、その聖母のごとき声。
「へえ。じゃあ中尉とかけっこう好きだったり?」
 何気ないハボック少尉の言葉に大佐が固まったのをしっかりと確認しつつ、アルフォンスは頷いた。
「スキですよ。優しいひとだから」
「何だと!?」
「へえ、初耳。あ、でもそうだな、けっこういいかもなあ。お前といるときの中尉ってなんかほのぼのとしてて」
「いやいやいや中尉といくつ違うと思っているんだねアルフォンス君!」
「10歳じゃきかないですよね、多分」
「だろう!? そんなに年が離れているというのに」
「でも10歳以上年上のひとが好きなので」
 ───本当を言えば、27、8歳くらいの、ブルネットの、みどりいろの瞳の。
 仕方がないわね、というように、許して包むあの笑顔の。
 
 おかあさん。と。
 呼ぶと、必ず振り返る。
 
 なあに、アル。
 
 ぼんやりと想いに耽っていたアルは腕を掛けられぎ、と鳴った肩に気付いて寄り掛かっていた煙草呑みへと眼をやった。ハボック少尉はくわえ煙草のままにや、と笑って親指でアルフォンスの正面へ座っている上官を指す。
「お前も結構言うよなあ。このひとしばらく浮いてこないぜ」
 見るとがっくりと項垂れた大佐はぴくりともしない。ぶつぶつと洩れる呟きはほのぼのしてるだとそんなわけがあるかまだ子供だろういくつ違うと思っているんだ、となんだかとても恨みがましくて、アルフォンスは困ったなあ、と首を傾げた。
「どうしましょう」
「どうしなくてもいいさ。どうせ明日にゃ忘れてる」
「大佐ってお酒弱いんですか」
「いや、ブレダと中尉に並んでうわばみだし忘れて困ることは忘れはしないが、都合の悪いことはきれいに忘れる」
「そうなんですか。便利ですね」
 わははは、とハボック少尉は笑ってがんがんと鎧の背を叩いた。
「便利ですね、とか言えるお前の素直な思考回路が便利だな。さて」
 少尉はふらりと立ち上がり、ソファの端のフュリー曹長をよっこらせと担ぎ上げた。
「俺はここいらで引き上げるわ。明日遅番だけど休みじゃねーんでな。ブレダ」
 まだひとりで黙々と杯を傾けていたブレダ少尉がちらりと眼を上げた。なんだかおかしいくらいに寡黙だ。
 なんだこのひとも酔ってるんじゃないか、とアルフォンスは思った。
 まあ、一応正気そうではあるけれど。
「アンタどうする?」
「俺はまだいい」
 あそ、と頷いて、ハボック少尉はまだ蘊蓄を並べているファルマン准尉を顎で示した。
「んじゃあ、引き上げるとき壊れた蓄音機も持って帰ってくれ」
「おお」
 んじゃな、と片手を上げてゆらゆらといくらか怪しい足取りで退室したハボック少尉をおやすみなさい、と見送って、アルフォンスは目の前の自分で振った話題になんだかとても凹んでいる大人を眺め、それからそっと立ち上がって壊れた蓄音機の前でぐたりと伸びていた兄へと歩み寄った。

 
>>2

 
 
 
 

■2004/6/5

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