シンク
「エドワード、さっさと着替えろ。近所の蕎麦屋に行くわけじゃないんだ、その格好では連れて行かんぞ」
ソファの上で胡座を掻きクッションを抱えてむくれていたエドワードは、くりっと振り向き威嚇でもするように鼻の頭にしわを寄せた。
「なんで二人でじゃないんだよ!!」
「ほう、アルフォンスを置いて行けと。酷い兄だな」
「んじゃなくて!! お返しならオレにするもんだろ!? これじゃただの外食じゃねーか!!」
羽織ったジャケットの襟を整えながら、ロイは半眼で真っ赤な顔でむくれている子供を見た。
「等、価、交、換、などと阿呆なことを言い出すからだろうが」
「はあ!?」
「あのチョコレート、お前には結構高かっただろう。だから俺も給料日前の寂しい懐から無理をして食事代を捻り出してやったんじゃないか。ほらさっさとしろ、予約に遅れる」
「って、どーせデートの下見かなんかを兼ねてんだろ……」
「お前な、今日この日に残業をすべて蹴って定時で上がって真っ直ぐ帰宅した段階で察しろ」
「ああ、なに、振られたの」
うるさい、とぺしりと頭を叩かれて、軽く首を竦めふいににやりとひとの悪い笑みを浮かべクッションを放り、エドワードはぽんと立ち上がった。
「へへっ、ざまーみろ!」
「余計なお世話だ。さっさとしろ」
「へいへい」
ばたばたと自室へと駆けて行った兄と入れ違いに、その騒がしい背中を気にしながら現れたアルフォンスが、クリスマスにヒューズ夫妻に貰ってからまだ二度(新年回りのとき以来)しか使っていないマフラーを巻きつつ現れた。
「………兄さん不機嫌だね」
「取り敢えず今は機嫌がいいな」
「ボク、留守番してようか? 冷蔵庫の中になにかあると思うし」
春コートと冬コートを見比べてどちらにしようかと考えていたロイは、ぴたりと動きを止め、それからゆっくりと振り向いた。
「………何故だ?」
「だって、兄さんへのお返しなんでしょ?」
「食事をするだけだ」
「ボク、バレンタインにロイになにかあげたわけじゃないし」
「それが普通だ」
「わざわざ彼女との予定蹴ってまで帰って来たんでしょ? 邪魔したくないよ」
「アルフォンス」
ロイは小さく眉を顰めた。憮然と口角を引き下げる。
「お前、何をどこまで知っているんだ」
「知ってるわけじゃないけど、予想。ちょっと考えれば解るじゃん。なんで兄さんが解んないのか不思議だよ。ロイの携帯って、彼女がいるときしかメールが来ないんだもん」
今年になってからメールの着信音が途絶えたことは一度もないというのに。
「別れたわけないだろ」
「………まあ、それとこれとは話が別だろう。三人分の予約を入れているし」
「あ、じゃあ包んでもらって来て、ボクの分」
「アルフォンス」
幾分か低く名を呼ばれ、アルフォンスは首を竦めて上目遣いにロイを伺う。小さく尖らせた唇が淡くピンク色を乗せていて部屋の暖気に少しのぼせているように見えたから、ロイは溜息を吐いて春コートを羽織り、アルフォンスの首からマフラーを解いた。
「変な気を回すな。それともエドワードに何か言われたのか」
「言われてないけど、兄さんはロイと二人で行きたいんだと思うよ。これが今日じゃなかったなら、絶対三人でって言うと思うけど」
「何故」
「言わなきゃいけない?」
少し癖のある柔らかな金髪の、睫が綺麗にカールした大きな瞳で小さく首を傾げた姿はまるで天使だが、発言の内容が微妙だ。ロイはもう一度溜息を吐いた。
「いい、言うな。解っているから」
アルフォンスはふっと眉を曇らせ、それから苦笑のように微笑んだ。
「兄さん、かわいそー」
でもまだ望みはあるよね? と続く無言のうちに雄弁に語った瞳に薄く眼を細め、ロイはぽん、と金髪に掌を乗せた。
「……靴箱からお前たちのブーツと俺の革靴を出しておいてくれ。ガスの元栓を閉めてくるから」
「はーい」
ぱたぱたとスリッパの音が去って行くのを見送り、ロイはソファの隅に放ってある鞄を見た。潰れないようにそっとしまわれた小さな包みを考えて、それから三度溜息を吐く。
特別扱いなど欠片でも素振りを見せれば、あの子供の青春真っ只中の心は都合のいい方向へと転がり落ちてしまうだろう。
明日、出勤途中に駅のごみ箱に捨ててしまおう、と考えて、ロイは台所へと足を向けた。
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