ノエル

 
 
 

 とことこと手を繋いで駆けて行く、コートにマフラーに耳当てに毛糸の帽子に紐の付いた首から下げたミトンにもこもこブーツ、といった全身もこもこの幼児ふたりに、見間違いかとヒューズは一瞬強く眼を閉じそれから慌てて手を上げた。
「おい!! エルリック兄弟!!」
 幼児は揃ってくるりとこちらを向いた。
「ヒューズ兄ちゃん!」
「こんにちはー!」
 くりっと方向を変えてとことこと駆けてくるふたりを抱き留めるように両腕を差し出し身を屈め、赤と黒基調に白い耳当ての兄と、モスグリーンと白基調にやはり白い耳当ての弟を交互に見てヒューズははあ、と白い息を吐き出した。
「おいおい、なんだお前ら。小さい子供だけで出歩いちゃ駄目だろう、物騒なんだぞ世の中は」
 兄弟は顔を見合わせ、にひひ、と笑う。
「うん、だからこれ!」
 瞬いている緑眼の前に、首から下げていたプレートをぐっと差し出して赤黒の兄が誇らしげに胸を張った。
「ロイがこれ持ってろって」
「………なんだ?」
 ミトンがはまった子供の掌から少しばかりはみ出る程度のプレートの真ん中に、比較的単純な錬成陣が描かれている。くっきりと黒く描かれた、子供向けなのか彼の親友の作にしてはキャラクターじみた可愛らしい頭の大きな蜥蜴は恐らくは火蜥蜴なのだろう。ちろりとはみ出た細い舌だけが、赤い。
 まるで炎が舐めているかのように。
 これがなんだ、と問おうと眼を上げると、同じく首から下げていた紐を引っ張った緑白の弟が、兄と同じプレートにチョークのような棒を擦り付けようとしているところだった。ぱちり、と瞬いた緑の眼が、にい、と笑った子供たちの笑顔に不吉なものを感じて反射的に後方に引く。
 瞬間、つい先程までヒューズの顔のあった辺りをごうと音を立てて舐めた、焔。
「───ッぶねえ!?」
 散った火の粉を慌てて払い落とすヒューズに、幼い兄弟がけたけたと笑った。
「いや笑いごとじゃねえだろ! 火遊びするとおねしょするぞ!?」
「遊びじゃないもーん!」
「ねー!」
「なー!」
 顔を見合わせお互いに首を傾げて、兄弟はプレートと棒をそれぞれ両手に掲げて差し出した。
「ヘンシツシャとかに追っかけられたりしたら、これでおっぱらえって、ロイが」
「物騒だなおい」
「うん! 危ないからぜーったいイタズラに使っちゃ駄目だって。ほんとに危ないときだけ。そうじゃないときはねえ、えっと」
 ごそごそとポケットを探って取り出されたのはまるで卵のような形の灰色のガラス玉だ。手渡されたそれはざらざらとしていて割に重量があって、中になにか部品が収まっている印象だ。
「これをねえ、地面に落として割るとすっげー音がすんの。びーびーって」
「ゆうかいとかされそうになったらねえ、これ使っておまわりさん呼ぶの」
「どっちもロイが作ったんだぜ」
 なにを作っているのだあの親友は。
 錬金術師だろうが工学は専門外だろうに、と溜息を吐き掛けて、そういえばクリスマスを待たずに別れてしまった先月までの彼女が工学部の学生だったかと思い至りヒューズはそっかあ、と頷いた。
「んで、その痴漢撃退装置制作者はどうしてんだ、今日は。クリスマスイブだろう」
 まさかこの小さな子供達を放っておいてデートなのだろうか、と首を傾げると、子供達は声を揃えて「学校!」と答えた。
「研究がスシヅメなんだって」
「兄ちゃん、オオヅメ」
「ねんまつまで忙しいんだって」
「でもお正月はうちにいるってゆってた」
 ほー、と呟いて、ヒューズは交互に兄弟を見る。
「で、お前らは何で出歩いてんだ。そんな物騒なもん持たせてるとこ見ると、ロイもあんまりお前らだけで出歩かせたくはないんだろ? どうしても必要なときは持って出ろって言われたんじゃないのか」
「え、だって今日はクリスマスなんだぜ!」
「プレゼント買いに行ったの。ロイはもうおとなだからサンタさんがプレゼントくれないってゆうから。かわいそうでしょ?」
「だからオレたちがあげるんだ」
「って、お前ら買い物できるのか?」
 兄弟は不思議そうに眼を瞬かせ、揃ってこくりと頷いた。
「簡単じゃんか。お金払って、好きな物買ってくるだけだろ」
「値段もちゃんと見るんだよ。ボクらのおかねじゃちょっぴりしか買えないけど、おとなになれば段々買える物が増えるんだって」
「だからロイはスーパーでいっぱい買えるんだぜ。すげーよな!」
「でもロイもまだガクセイでわかいから値引きシールが貼ってあるやつ買うの」
「そ、そーか」
 親友宅の財政を垣間見て苦笑し、ヒューズはもふ、と毛糸の帽子の上から兄弟の頭を押さえた。
「よし、んじゃ俺がうちまで送ってやっから、その物騒なもんはしまえ。な?」
「わるいひとにしか使わないよー」
「今俺に使ったろうが、今」
 ほら行くぞ、とミトンに包まれた手をそれぞれ両手に繋ぎ、ヒューズは子供のちょこまかとした歩幅に合わせて歩き出した。
 
 
 
 
 
 夕食にクリスマスらしくターキーでも買ってやろうか、と考えていたのに雑炊が食べたい、と言い出した兄弟に首を傾げながら冷蔵庫をあさり残り物で軽く作ってやると、食事を終えた子供達は歯を磨き早々にパジャマに着替えてしまった。
「なんだ、寝るのか? まだ6時だぞ」
「今日は寝るの」
「だから兄ちゃん、帰っていいぜ。なんでグレイシア姉ちゃんにロイが留守番頼まなかったと思ってんだよ。早く行ってやれよ」
「グレイシア姉ちゃん、待ってるんじゃないの? クリスマスはねえ、好きなひととか家族と一緒にいるものなんだよ」
 じゃあごちそうさまでした、とぺこんと頭を下げ、ぺたぺたとアニマルスリッパを鳴らして寝室に入ってしまったふたりをぽかんと眺め、ヒューズはこめかみを掻いて眉尻を下げた。たしかにグレイシアと約束はしているが、なんならここに呼んで子供達と過ごすのも悪くはないと思っていただけに複雑だ。
 俺が気を遣わせてどうする、と溜息を吐き洗い物を終えて、そっと寝室を覗くと兄弟はひとつのベッドに寄り添って(もう片方は未使用のようだ)平和に寝息を立てている。
 ヒューズは寝室のオイルヒーターの温度をチェックして、居間のストーブを消した。明かりはわざと付けたまま、家中を回って戸締まりを確認する。
(今電話しても……)
 多分出れないだろうな、と親友の携帯の番号と研究室の番号を思い浮かべ、取り敢えずメールだけを送ってヒューズはマスタング宅を出た。息が白い。薄曇りの空は街の明かりを反射して光るが、星も月も見えない。
 今夜は雪かな、と肩を縮めて、ヒューズは泥混じりの凍った雪道を、ざくざくと音を立てて歩き出した。
 
 
 
 
 
「………エドワード、アルフォンス」
 ひやりと冷気を纏った気配が、起こしたいのか起こしたくないのか解らないようなささやかな声で呼んだ。兄弟はもにゃもにゃと眉を顰めて瞼を擦る。
「眠いか? 眠ければ寝ていても」
「眠くない!」
「起きる!」
 がば、と飛び起きたふたりに思わず仰け反りそれから苦笑して、ロイはそうか、と頷いた。
「ちゃんと上を羽織って靴下を穿けよ」
「スリッパもはく!」
「そうしろ。俺はリビングにいるから」
 ひんやりと冷たい指先で兄弟の頬を撫でてひゃあと喚かせ、ロイはくつくつと笑って出て行った。幼い兄弟は慌てて靴下を穿き、カーディガンを羽織る。
「ロイ! ケーキ!」
「チキンはー!?」
「慌てるな、今切るから。チキンは駄目だ、夜中だからな。明日にしろ」
 椅子によじ登るようにしてテーブルについた兄弟に、ケーキナイフを布巾で拭き、洋菓子店の箱を開けながらロイはそう言えば、とふっと口元をほころばせた。
「ヒューズが夕食を作ってくれたって? 腹は空いていないんじゃないのか」
「え、なんで知ってるの」
「俺にはお見通しなんだ、大人だからな」
「うっそだあ! ヒューズ兄ちゃんがでんわしたんだろ!」
「はずれだ。メール」
「お見通しじゃないじゃんか!」
 ぷうとむくれた子供の前にケーキの乗った皿とピンク色の炭酸飲料が半分ほど満たされたグラスを置き、ロイは自分の前にはアルコールの匂いのするグラスだけを置く。
「ロイは食わないの?」
「ああ。研究室で適当に食べたから」
「またカップめんとかだろ」
「からだに悪いよう」
「こんな夜中にケーキを食うのが身体にいいとは思えんが」
「美味いモンは身体にいいんだぜー」
「ねー」
 どういう理屈だ、と肩を竦め、ロイは早く食べろと促してグラスを傾けた。ぐさりとケーキに豪快にフォークを刺したエドワードが、生クリームで口を汚しながら食べ始める。その横で壁時計を見上げているアルフォンスの寝癖の付いた金髪を見、ロイは首を傾げた。
「アルフォンス? 食べないのか。苺じゃないほうがよかったか?」
 ほらサンタをやろう、とひょいと砂糖菓子を乗せる大人にアルフォンスはきちんと礼を言って、それからぱちくりと瞬いた。
「もうクリスマス?」
「? クリスマスだが」
「じゃなくて、25日?」
「ああ、」
 短針が12の文字を幾分か過ぎている時計を見上げ、ロイは頷いた。
「もう日付は過ぎたな。どうした? サンタならまだ来ないだろう。明日の朝には来ているだろうが」
「うん。じゃなくて、」
 25日なら朝じゃなくてもいいのかなあ、ここんちツリーないもんね、と頷いて、唐突に椅子から飛び降りぱたぱたと駆けて行ったアルフォンスに、エドワードの頬についていたクリームを指で拭ってやりながらロイは片眉を上げた。程なくして再びぱたぱたと猫の顔の付いたスリッパを鳴らして戻ってきた弟の手には、小さな包みが握られている。
「はい、ロイ! メリークリスマス!」
「あ、ずりーよアル! オレも!」
「兄ちゃんとボクから。ロイ、サンタさんこなくてかわいそうだから」
「おもちゃとかロイ嫌いだから、おもちゃじゃないのにした」
 別に嫌いなわけではないんだが、と呟きながら、ロイは差し出された包みを受け取る。
「ありがとう。……開けても構わないか?」
「うん」
 こっくりと頷くふたつの金髪に、ロイはクリスマス用の包装紙に金のシールの貼られただけの、簡単な包みを解いた。平たく小さな木製のケースに、綺麗に並んだ白いチョーク。
「………チョークか」
「ロイのチョーク全部折れてんだもん」
「チョークケースもふた取れてるんだもん。輪ゴムで閉じてあるのかっこわるいよ」
「れんきんじゅつしならなー、本だけじゃなくってチョークとかもちゃんとしたのにしろよ」
「しごとどうぐは大事にしなくちゃダメなんだよ」
「まんねんひつはゼロがいっこ多くて買えなかったから」
「おとなになったら買ってあげるね」
 単に、新しいチョークケースと万年筆は研究室に置いてあるだけなのだけれど。
 それを言わずに「ロイのまんねんひつインクが詰まるんだもん」と声を揃えた兄弟に苦笑して、ロイはくしゃくしゃとふたつの寝癖頭を撫でた。
「ありがとう、嬉しいよ」
「ちゃんと研究しろよー!」
「デートとかばっかりしてちゃダメだからね!」
「してるよ、心配するな。君たちの父上の顔に泥を塗るような真似はしない」
「べっつに、クソオヤジなんかどうでもいいけど」
「兄ちゃん、くちわるい」
 サンタさん来なくなるよ、と窘める弟とう、と言葉に詰まる兄に笑って、ロイはそっとチョークケースの蓋を撫でた。高い品ではないものの、この幼児たちに持たせている小銭ではなかなか買えないものではありそうだ。
 基本的にロイはこの兄弟に金を与えることはしないから、多分少しずつ、甘やかす周囲の大人たちに貰ったコインをこっそりと溜めて、そうして買ってくれたものなのだろう。
「………大切に使うよ」
「おう、大事にしろよなー」
「でもちゃんと使ってね。しまっておいちゃダメだよ」
「道具は使わないと宝のもちぐされなんだって」
 かあさんが、と、続けた子供にふっと顔を上げると、声色とは裏腹に静かな表情をしていた兄弟が、ふいににっと笑った。
「ケーキありがとな!」
「おいしいよ。ロイも食べたらいいのに」
 なー、ねー、と顔を見合わせる兄弟に瞳を細め、ロイはひょいと指でエドワードの生クリームを掬い口に含んだ。
「ッて、あー!! なにすんだオレのケーキー!!」
「ごちそうさま」
「ぎょーぎ悪いぞロイ!! おとなのくせにーッ!!」
「子供には大きく切りすぎたなあ」
「いいんだよ!! クリスマスは特別なの!!」
 ぎゃあぎゃあと喚く兄と養い主を見ながら、弟はそっと自分の皿を引き寄せてこっそりと溜息を吐いた。
「ロイも兄ちゃんもおとなげないんだから」
 呟いた声は、怒鳴り声と笑い声に紛れてしまった。

 
 
 
 
 

■2005/12/24

青年ロイは学生さん。大詰めの研究と子供の世話に追われて恋人のフォローまで手が回らず今年のクリスマスは独り身のようです。これからずっと独り身なんじゃとかそういうのは気付かないふりをしてあげたほうがいいように思います。

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