ほっぺ
ほっぺたをつつかれる感触に、む、う、と呻きながらぐらぐらと揺れる様が可愛らしい。やわらかな眉間に皺が寄り、幼児の癖にこんな表情も出来るのかと感心しながらその眉間を撫でてやると容易く不機嫌な表情が溶けて、大きな金色の眼がこちらを見上げる。その様に黒い眼を瞬かせて、ロイは再び頬をむにむにとつついた。む、と呻いた子供が再びぐらぐらと上体を揺らす。
「って、テメ!! いー加減にしろよロイ!!」
「だっ!」
ついにキレてどっかと背中に跳び蹴りを食らわせたのはつつかれていた本人ではなくその兄だ。ロイは膝の間に座らせていた子供を押し潰しそうになるのを咄嗟に床に両手を突いて堪え、もふ、と胸に当たったやわらかな感触に慌ててアルフォンスを覗き込んだ。金の眼はきょとんと瞠られていたが、首を傾げたその様に泣き出す様子は見られない。
「………エドワード、お前な」
ほっと安堵の息を吐いて不機嫌さを滲ませくるりと振り向けば、負けず劣らず不機嫌な幼児は薄い胸を張ってびしりと指を突き付けた。
「テメーが悪ィんだろっ!! しつけぇんだよ!! アルのほっぺに穴が空いたらどーすんだよ!?」
「空くか馬鹿」
「空くかもしんないだろッ! しつこくしてるとなあっ、服でも穴が空くんだぞ!?」
ああ、と呟きロイは溜息を吐いた。
「そういえばお前、またシャツに穴を開けたろう」
うっ、と子供は僅かに怯む。ロイはやっていられないとわざとらしくかぶりを振った。
「繕うのも大変なんだぞ? 手間を掛けさせるな、まったく」
「れ…錬金術で直るだろ!?」
「こういうことに錬成を使ってはいけないんだぞ、エドワード。市場に物が出回らなくなって経済が破綻するだろう」
「ケイザイ…がハタン……? わけわかんないこというな!!」
「わけがわからなくないだろう」
「大体オマエグレイシア姉ちゃんに直してもらってんじゃんか知ってんだぜオレ!!」
「たまにだたまに。俺では手に負えないほどぼろぼろにお前がしたときだけだ。そんなに頻繁に迷惑を掛けているようなことを言うな、人聞きが悪い」
膝の間にいたアルフォンスを引き寄せて胡座を掻いた足の上に乗せながら言うと、向けた背を再びどっかと蹴られた。
「…………エドワード。足癖が悪いな」
膝の上の弟は恋人と旅行に行くからとグレイシアから預かった、いつかの猫を呼び寄せて撫でている。
「いい加減アル離せよ!!」
「なんで」
「しつこいっつってんだろ!?」
「アルフォンス、だっこされてるのは嫌か」
くり、と見上げた眼がぱちり、瞬いた。暖炉の熱に僅かに火照った頬が赤い。
「ううん、へいき」
それだけ言って猫に意識を奪われているらしい弟は、再びりくり、と顔を逸らした。ロイは肩越しににやりと笑む。
「ほらな?」
「ほっ…ほらなじゃねえッ!!」
「喚くな、夜なんだから」
こめかみを押さえて渋面を作って見せると、兄は真っ赤な顔をしたままむ、と黙る。しかしまだ文句を言い足りていなそうなその顔に、ロイはふと思いついて手招いた。
「………なんだよ」
「警戒するな。ちょっとこい」
「殴るんじゃねーだろーな」
「………いちいち暴力に暴力で仕返しをしたりはしないから、安心しろ」
なんだよ、とまだどこか警戒を残しながら、それでもなんとはなしに嬉しそうな雰囲気を纏わせてエドワードはとことことやって来た。その様子にああやっぱり仲間はずれが寂しかったのか、と内心で笑い、ロイは腕を伸ばしてその頬をむに、とつまむ。鋭い金の眼がぱちり、と大きく瞬いた。
「お前のほっぺたもやわらかいなあ」
むにむにとつつき、ロイはくつくつと喉を鳴らす。
「やっぱりお前も子供だな」
むう、と金眼に半分瞼を被せてむくれた子供にきな臭い気配を感じたが、膝の上のアルフォンスを放るわけにもいかずロイは咄嗟に避け損ねた。その目標物に飛び掛かり、金眼の小獣はがぶり、と音でも立てそうな勢いでロイの顔に噛み付いた。
正確には、頬に。
「った!? 何するんだお前!!」
べり、と引き剥がすもエドワードは落ち着かず渾身の力で首に腕を絡めて再び頬を噛む。しかし先程より僅かに力無い歯は微かに甘噛みして、一瞬離れ、それからもう一度、何かを確認するかのようにやわやわと噛み付いた。
「なんなんだお前は!?」
アルフォンスをひょ、と膝の上から退け、それから慌てて兄を引き剥がせば金眼を丸く瞠らせた獣はきょとんとロイを見上げて唇を舐めた。
「アンタのほっぺってやわらかいなあ」
「はあ!?」
「うまそう」
「食うな!!」
まったく、と大きく嘆息して乱れた髪を掻き上げる。ふと視線を感じて眼をやれば、興味津々といった金眼がじっとシャツに包まれた腕や暴れたせいで乱れた襟に向けられていて、ロイはうわ、と呟いた。
「………幼児を世話するのに噛み癖の心配までしなければないのか俺は」
犬猫でもあるまいし、と溜息を吐いたロイに、エドワードはむ、と唇を尖らせる。
「世話焼けるみたいに言うなよ! オレもアルもいいこだろ!」
「どこが?」
「………噛んじゃだめなのか?」
「絶対駄目だ! 外でやわらかそうな奴を見掛けても飛びついて噛んだりするなよ!? というか、外で無闇にものを口に入れるな!」
「食い物も?」
「俺か、ヒューズかグレイシアか……リザか、とにかく知っていて信用できる大人からもらったもの以外は口にするな」
大きな金眼が瞬き、頷く。
「解った」
妙に素直な様子に本当に解ったんだろうかこいつ、と考えながら、解ったならいい、とロイは襟を正した。
『外で他の誰かに』噛み付いてはいけないと、金獣の仔が部分的な理解をしていたと気付くのは、アルフォンスの髪を洗ってやっている裸の肩に噛み付かれてから。
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