Blue Hydrangea |
「うわ、もう四時かよ」 2時間遅れかクソ、と呟きうーんと伸びて、エドワードは足下のトランクを掴んだ。アルフォンスはどこだ、と頭を巡らせると人込みからにょきりと飛び出た巨体を縮めて売店で何かを購入している。 「アールー? 何買ってんだ」 「傘だよ」 「傘ぁ?」 「雨凄いんだから。兄さんホーム入るまで寝てたから気付かなかったろうけど」 言われてみれば駅舎の窓は大粒の雨に濡れている。 「あー、梅雨時期だっけか」 「まだ東部は入ったばかりだってさ」 売店の店員から聞いたのか、はい、と傘を差し出しながら言ったアルフォンスにエドワードはふーん、と大して興味もなさそうに肩を竦めた。 「ま、いいや。さっさとホテル取って司令部行って資料見せてもらおうぜ」 「え、」 なんだか詰まったような声を出したアルフォンスを、傘を開き掛けていたエドワードは顧みた。 「アル?」 「いいの?」 「なにが」 「え、だから……」 弟はかしゃ、と小さく首を傾げる。 「大佐と待ち合わせしてるんじゃないの?」 「は?」 「早く行かないと。列車大分遅れたし、もう待ってないかもしれないけど」 「何言ってんのお前?」 「……何言ってんのって、何言ってんの? 南部出る前に電話したとき、そんなこと怒鳴ってたじゃない」 「ああ? ………って、ああ、」 眉間に皺を寄せて宙を睨み、エドワードはふと思い出してより嫌そうに顔を歪めた。 確かに、朝一の列車に乗る前に東方司令部へと午後にはそっちに着くから、と連絡を入れたとき、夜勤明けだという黒髪の上官はそれならもう仕事は引けているから自分は司令部にはいない、と言ってはいた。 『たまには外で待ち合わせようか、はがねの』 にこにこと胡散臭い笑顔でいるであろう笑みを含めた声でそんな提案をした馬鹿に、何言ってんだお前がいようといまいと関係あるかオレは司令部に行く、と一蹴した覚えがある。 それだけきっぱりはっきり振られているにも関わらず、馬鹿はどこぞの公園の紫陽花が綺麗だとかなんとか言っていた、───ような気がしないでもないが、憶えていなかったところであちらもこちらの話はまるで聞いていないわけだからお互い様だ、とエドワードは思う。しかし心優しく誠実な弟に、その理屈は通用しないらしい。 「どうせ待ってねえって。オレ行くって言わなかったし。外で待ち合わせる意味が解んねぇ」 「待ってなかったらそれはそれでいいじゃない。待ってた場合が問題なんでしょ」 「そもそもこの雨だぞ? こんな天気の中2時間も待ってたんなら本当にアホだろ」 「そう言うこと言わないの。そんな手間じゃないでしょ? ホテルはボクがチェックインしておくから、もし大佐見つけられなかったら司令部に来なよ。チェックインしたらボク、司令部に顔出してるから。兄さん来なかったらホテルに戻ってるからさ」 「って、あ、おい! お前は傘は!?」 「いらなーい!」 「バカッ、血印!!」 「大丈夫ホテル行ったらちゃんと拭くから!」 引っ掛かってしまった安物の傘を開くのに手間取っている間にトランクを掴んでばしゃばしゃと駅舎を駆け出てしまったアルフォンスに、エドワードは鋭く舌打ちをした。 「司令部行かなくていいからな!! ホテルにいろ! ちゃんと拭けよ!!」 解ったー! と煙る視界の中、巨漢が片手を上げたのが見えた。エドワードはふ、と小さく息を吐いて傘を開き、アルフォンスとは反対の方向へばしゃばしゃと水溜まりを跳ね上げながら駆け出した。 さて、馬鹿はどこで待ち合わせると言っていただろう。 電話の記憶を辿りながら、エドワードは盛大に溜息をひとつ洩らした。 1時間ほど前から降り出した雨は多少の防水を施してあるコートから疾っくに浸み込み、軍服の肩を濡らしている。ちら、と視線を向けた先には公衆電話。先程司令部と彼ら兄弟がよく使っているホテルに掛けてみたが、まだどちらにも到着はしていないらしい。 別に、やって来ないこと自体は問題ではない。今朝の嫌そうな声から考えるにやってくる確率は五割で、うち四割は事情を察した弟に急かされて、といったところだろう。自主的に来る可能性は酷く低い。しかしそもそもイーストシティに到着していないとなれば話は別だ。 どこかで何かトラブルにでも巻き込まれたのだろうか。 (……それとも事故とか) ならば司令部か自宅か連絡の付きやすい場所で待機していたほうがいいには決まっているのだが、しかし最後の一割、何かの気紛れを起こして自主的に待ち合わせ場所にやって来た鋼の錬金術師が自分の姿を見つけることが出来ずに毒突きながらも肩を落とす様を想像してしまうと、どうしても立ち去ることは出来なくて。 西区の公園にいるから何かあったら来い、と告げたロイに、電話口に出たハボックはこの雨の中物好きな、と酷く不可解そうな声を出した。あれがリザであったなら、こっぴどく叱られてさっさと帰宅しろと忠告されていただろう。 ロイは竦めていた肩を更に縮め、コートのポケットの中の指を握り締めた。冷たい。 (さすがにそろそろ寒いなあ) 黒髪からはバケツの水を被ったかのように雨がしたたり、顔を伝い落ちて襟を冷たく濡らした。ロイはぼんやりと花壇を見遣る。この時期特有の次々と色を重ねていく花が、強い雨に打たれ可憐に震えている。 空を見上げれば雨雲は厚く、まだ陽が落ちるには随分と早いというのに、辺りは薄暗い。ロイは天を仰ぎ喉を晒したまま眼を閉じた。瞼に温い雨の感触。 心地良い、と、思う。 発火布を使えなくなるからという理由で雨天の一人歩きを有能な副官は歓迎してはくれないが、ロイは雨の感触は嫌いではない。乾いた戦場の砂埃のカーテンを落として行く天然のスプリンクラーにほっと笑顔になる部下たちの、泥と煤とに汚れた額が白くなって行く様を見るのは決して嫌なことではない。 (煤の雨じゃない) 今日の雨は、綺麗だ。 ふいに、雨粒が途絶えた。ぱたぱたばたばたと張った布地を叩く音。 ふ、と、眼を開いた先に青い布地と銀の骨組みの傘が見えた。 「………なにぼーっとしてんだよ、無能」 不機嫌な、子供にしては低い声が背後から響く。顧みると声に違わずこの上なく不機嫌な待ち人の姿。 ロイは破顔した。 「はがねの。元気かい?」 「テメーの心配をしろテメーの」 むす、とむくれながらも傘を差し出す少年の肩は大分濡れて、コートの鮮やかな赤は濃紅へと色を変えている。ロイへと傘を差し掛けているせいでその濃紅はみるみる広がっていて、ロイは慌てて少年へと一歩近付いた。それからふと、難なくロイの頭上へと傘を差し出しているその不自然さに気付いて足下へと視線を落とす。エドワードは苦虫を噛み潰したが如く顔を歪めた。 「仕方ねーだろ、届かねーんだよ普通にしてたらッ!」 水の溢れる噴水の縁に乗ったエドワードは、かあっと頬に血を上らせて怒鳴った。ロイはふいに込み上げた笑みを殺すことをせずにくつくつと喉を鳴らし、子供を再び喚かせる。 「すまない、別に可笑しかったわけではなくて」 「んじゃなんだよ……」 黒い瞳を細め、コートから出した右手の指で子供のまだつるつるとした髭もない顎に触れると、むっと眉を顰められた。愛しさのまま額へと口付けを落とすと冷てェ、と呻くような声が洩れる。 「ああごめん、水が落ちたね」 「んじゃなくて、それもだけど、お前身体滅茶苦茶冷てェ」 「そうかな」 「寒くないの」 「はがねのが来たら寒くなくなった」 「アホだろ」 ぐい、と押し付けられた傘を思わず受け取ると、子供はぽんと噴水の縁から飛び降りて自らはフードを被った。慌てて傘を差し出そうとしたその手を握られる。 「アンタんち行くぞ、取り敢えず」 「? 温めてくれるのかい?」 「きもいこと言うな。着替えがあるなら司令部でもいいけど、ここからならお前んちのが近いだろ」 ああなるほど、とロイはにこりと笑む。 「心配してくれているのか」 「お前じゃなくて中尉のな。お前が風邪でも引いたら中尉が大変になんだろ」 「はがねのは素直じゃないなあ」 「目一杯素直ですけど」 「大丈夫、これでも結構身体は丈夫なんだ。伊達に軍人なんかしていないよ」 「ひとの話を聞け無能」 毒突きながらも手を握るのは温かな左手だ。機械鎧の感触も嫌いではなかったし普段はそちらで触れることを躊躇うような少年ではなかったが(なにしろ彼にとってはそれは幼馴染みの傑作で、自慢の手足なのだ)、それでも冷えた手を握るのに、更に体温を奪う鋼は避けたのだろう。 その小さな、けれど関節の太い左手が、きゅ、と僅かに力を込めた。 「手ェ凄い冷たいんですけど。指かじかんでんじゃないの」 「冬じゃないからそこまでは」 「アンタ今銃持ってる」 「持ってるよ。この雨じゃ発火布は使えないし、町中でそうそう躊躇いなく火を放つわけにも」 「こんな冷たい手じゃちゃんと撃てないんじゃないの」 「……そこまで射撃の腕が悪いとも思わないんだが」 ちら、と顧みた金の眼が、僅かに笑みに緩んでいるのにロイはつられて微笑んだ。 「アンタ、錬金術以外は何も出来ないのかと思ってた」 「酷いね、一通りは出来るよ。射撃も格闘も」 「軍人さんだな」 「軍人さんだよ。なんだと思っていたんだい?」 「錬金術師だと思ってた」 ロイは僅かに黙った。錬金術師と軍人と、計りに掛けて少し悩む。 「………軍人が先かな、」 「ふうん?」 「君が大佐と呼ぶからね」 「意味が解んねえ」 「それに国家錬金術師だし」 「オレもそうだろ」 「君は軍人ではないから」 「軍属だけどな」 「それはそうだね」 エドワードは僅かに歩を緩め、骨張った白い手を握り直した。 「アンタは部下がいるから軍人だ」 「そうなのか」 「そうだよ。だからあんまりあのひとたちに心配掛けんな」 「うん」 「こんな日に出歩くな」 「解った」 「いなきゃちゃんと探してやるから、おとなしく執務室で座ってろ」 ロイは一つ瞬いた。鋭く大きな金の眼がじっと見上げている。 「……君がいないときにはどうしたらいいのかな」 「何もしなくていいから動くな」 「君は探してくれるのに?」 「アンタは待ってるけど、オレは待ってねえからな。だからいないときには探すな。………ちゃんとまた来てやるから、おとなしく待ってろ」 言葉の後半は顔を背けてぐいとロイの手を引き歩き出しながら、早口で言い切ったエドワードの耳が僅かに赤い。珍しいその反応に瞬きながら、ロイはふ、と唇に笑みを掃いた。 「解ったよ、はがねの」 甘さを乗せた声で僅かに身を屈めて囁くと、そりゃ良かったよ、と投げ遣りに言った少年の耳は更に鮮やかに赤く染まった。 |
■2005/7/14 エドロイ祭りさんに寄稿させていただいていたものです。お題は「無能なロイ」。梅雨時ということで。……いや、濡れてるだけでどうもあんまり無能っぽくない…んですけど……ていうかお題エドロイの大佐はいつでもむの(略)
えーと青いあじさいの花言葉は「忍耐強い愛」だそうです。初出:2005.6.30
>>> おまけの雨の日ひよこ ※エドアル注意