レストランから出て来たカップルはいちゃいちゃと絡むような恥知らずなことはしていなかったが、それでもまるで親友のように親しげに腕を叩き無造作に肩を抱き、黒髪の男はエドワードの知らない無防備で飾り気のない顔で満面で笑った。
「悪いわねー、奢られちゃって。で、次はどうするの、ロイ」
「ああ、いい店がある」
「ホットラムが美味しい?」
「そう、つまみは必ず果物の」
「マスターがお髭でおっきなくまさんみたいな」
 くっくっと笑った女が「なぁにがいい店なんだか!」と男の背を叩く。男はいたた、と笑った。
「相変わらずの馬鹿力だ、ミランダ」
「まーね、鍛えてますもの。でもあなた、相変わらずベスタの店を贔屓にしてるの? 国軍大佐が。士官学校生とか下士官ばかりでしょ、あそこ」
「さすがに制服では行かないね、私服でヒューズと行くくらいだな。でなければひとりか」
「あら、寂しいわね」
「君がちょくちょく付き合ってくれるならいくらでも通うんだが」
「やあね、口が上手いのも相変わらずだわ。あなたと会うと若返った気持ちになるわね」
「君はまだまだ魅力的だよ」
「おべっかばかりね。でもま、その口の上手さに免じて、ラムは1杯なら許しましょ」
 おや、と男がおどけたように笑う。
「1杯だけかい?」
「少しは身体を労りなさいよ、もう」
 まるきりただの29歳の顔をした男と鮮やかな赤毛の女は、腕を組んでくすくすと笑い合いながら遠ざかって行った。
「兄さん、お待たせー」
 がしゃん、と足を止めた弟にああうん、と笑顔を向けて、エドワードは寄り掛かっていた街灯の明かりの遠い路地の壁から背を離した。
「んじゃ、行くか。宿取れればいいなあ」
「大丈夫じゃない? 観光の時期でもないし。でも兄さん、大佐のとこ行きたいんじゃないの」
「いや、明日着くって電話しちまったし、今行ってもどーせデートとかでいないだろ」
「そうかなあ。そっかあ」
 うんうん、と頷いている弟の鉄の腕をぽんと叩き、エドワードは「行こうぜ」と笑ってカップルとは反対方向へと歩き出した。
 
 
 
 
 
 
 濃密な夜気がほんの僅かに震える。
 そっと儀式めいた動きで唇を落とすと切なげな吐息が洩れ、カーテン越しの薄い月明かりに映る朧な顔が、ほんの僅かに歪んだ。
「………ッ、…鋼、の」
「んー……?」
 エドワードは左手で額の黒髪を掻き上げ唇を付けた。薄い皮膚を通してひやりと湿った感触が伝わる。
「き……」
「き?」
「気持ち悪い、んだが」
 がくり、とエドワードは盛大に肩を落とした。その振動が体内の鋼の指に伝わったのか、ロイはより一層眉間の皺を深くしてはあ、と今度はあからさまな溜息を吐いた。
「もー……ほんっと色気がなくてオレはどうしたらいいのか」
「いやどうもしなくていいから」
「せめてそーゆーこと言わないでくれる?」
「言わないと解らないだろう、君」
 呟くように言ってロイはシーツに放っていた腕を持ち上げ、額を拭った。
「あー、冷や汗」
「もーほんと、アンタってなんでそんなに不感症なの」
「失礼な」
 ぐるり、と内壁を擦るように回された鋼の指に込み上げた嘔吐感を堪えて息を詰めると、奥歯が微かに鳴った。ロイは両腕でエドワードを押し遣る。
「もう止めろ、本当に気持ちが悪い。萎える」
「………マジで?」
「顔色見ろ顔色。というか触れ」
 ぐいと引かれた左手が額に押し付けられる。先程唇で触れた通りにひやりと冷たいままの額にも手首を握った掌にも興奮の熱はなくて、エドワードは大きく溜息を吐くとぬめる鋼の指をゆっくりと抜いた。見下ろす先の微かに伏せた瞼が震える。その様はエドワードを煽るのに充分だというのに、煽った相手は情欲の欠片もないというのだから本当に始末が悪い。
「なー、そんなに嫌だった? 全然気持ちよくない?」
「全然」
「………なんかいつも以上にダメじゃない? 左手のがよかったかな」
「いつもというほどしていないだろうに」
「道具とかだといつもと違ったカンジでいいとか聞いたのになあ」
「右手は道具じゃない。大体そんな話を誰から聞いてきた、未成年」
「いや、マンネリ防止にいろいろと情報収集を」
「だからマンネリというほどしていない、というかそんな馬鹿な情報収集をするな、子供が」
「子供にこんなことされてるくせに」
「まったくだ。大変遺憾に思う」
 溜息を吐きながらいい加減な返事をして掛け布を引き上げ背を向けた恋人に、エドワードはぱちくりと瞬いた。
「………え、なに、ちょっと。まさか寝る気?」
「寝る気だ」
「うわ嘘信じらんねぇ! オレをほっといて寝ちゃうわけ!? どーしろってのコレ!!」
「あーもううるさい。風呂場でもなんでも勝手に使え、って擦り付けるな!」
「すげぇむかつく。寝たらアンタの寝顔でここで抜いてやる」
「やめろ変態」
「だったらさせろ!」
「前言撤回。心置きなく勝手に抜いてくれ。汚すなよ」
「………マジ酷い……それでも男かよアンタ……」
「その気のない相手にセックスを強要するのは紳士としてどうかと思うぞ鋼の」
 エドワードは半眼で黙った。ロイは目を瞑りまた溜息を吐いて無言でいたが、反論がないのを不審に思ったのかふと首を捻りエドワードを見上げる。
「鋼の?」
「………アンタは溜まってないの」
「それより寝たい」
 エドワードはふん、と鼻で笑って視線を逸らし肩を竦めた。
「ま、そーだよなぁ。カノジョといちゃいちゃしてんだから溜まる暇なんかねーよな、アンタは」
「は?」
 ロイは怪訝そうに片眉を顰め、仰向けに身体を返して拗ねた目を逸らしたままの子供を眺めた。
「近頃忙しくて女性とはろくに食事も出来ないが?」
「ふーん。忙しい合間を縫って会ってるわけだ」
「いやだから、会えていないと言うのに」
「嘘吐け」
「なんでこんな嘘を吐く必要があるんだ」
 はあ、と溜息を吐きながら額を抑え、ロイは目を閉ざす。
「そんなに拗ねるな、別に君とするのが嫌なわけではなくて」
「拗ねてねーよ」
「拗ねてるじゃないか」
「拗ねてねェ!」
 何なんだ、と呟いて、ロイは眉を寄せて子供の表情を窺う。エドワードはどこか傷付いた顔でむくれたまま俯いて、顔を上げる様子は無い。
 ロイは幾度目かの溜息を吐いて、子供の二の腕を掴んで引き寄せた。おわ、と間抜けな声を上げた子供を腹筋に力を込めて身体の上で受け止める。
「な、なに、したくないなら煽らないでくれる?」
 そのまま肩幅の無い子供の身体に腕を回しよしよしと髪を撫でると、動揺をそのまま映した上擦った声で言ったエドワードが身体を強張らせた。触れた胸から響く鼓動が高まるのがはっきりと解る。その素直な反応に小さく笑うと不機嫌な声が「笑うな」と呻いた。
「で、どうしたというんだ、鋼の。何が気に食わない?」
「………させてくれないし」
「それは申し訳ないと思うが。何とかなるかと思ったが何ともならなかった」
「何、なんとかなるって」
「ちょっと体調が悪くて」
 顔を上げた子供が目を丸くして覗き込む。
「……そういやなんか溜息が多いんだけど。どうしたんだ、風邪でも引いたのか?」
「いや、ちょっと頭痛が続いてね、疲れのようだが」
「歳なのに無理すっから」
「労ってくれ」
「今も痛い?」
 いや、とロイは子供の背を宥めるように撫でた。
「鎮痛剤を処方してもらったから、それほどは」
「って、鎮痛剤飲んでんの? …結構強いヤツ?」
「市販薬ではなくて医者に処方させたからな、そこそこは」
 呆れたようにロイを見つめ、エドワードはがっくりと肩を落とした。
「そりゃ不感症にもなんだろ! 言えよそういうことは!」
「いや、何とかなるかと」
「何ともならねーから。バカかアンタ」
「悪かったな」
 まったく、と呟き再びぺたりと胸に頬を付けたエドワードの髪を梳く手を止めずに、ロイは「それで?」と促した。
「それでって?」
「他にも何か気に食わないことがあるんじゃないのか」
「……………」
 エドワードは大きな眼を半眼にしてむくれた。
「心当たりないのかよ」
「まったくない」
「オレって凄いなめられてんの?」
「そういうつもりもないんだが」
「────昨日だ昨日! 夜に!」
「昨日?」
 ふとロイの手が止まる。首筋に触れている少しばかり体温の戻って来た手に鳴りそうになった喉を、エドワードは慌てて詰めた。
「昨日はたしか久々に定時で上がったんだな。その後」
「デートしてたろ」
「…………ああ」
 得心がいった、とばかりに頷いて、ロイはくつくつと笑った。
「なるほど、やきもちか、鋼の」
「うるせえ!」
「生憎あれは彼女ではないな」
「嘘吐け! すげー親しげだったじゃねーか! なんか、アンタじゃないみたいな顔して」
「どんな顔だそれは」
「…………。……なんか、普通のひとみたいだった。全然大佐じゃなかった」
「いつもは普通の人間ではないような言われ方だな」
 やれやれと肩を竦め、ロイはエドワードの顎を緩く掌で包んで上向け、視線を合わせた。
「友人だよ」
「………嘘だ」
「本当だ。女医なんだ、彼女は。頭痛薬を処方してもらったんだ」
 言いながら片腕を伸ばしてナイトテーブルの引き出しを開き、小さな白い紙袋を取り出してロイはかさ、とエドワードの頭へ当てた。
「ほら、署名があるだろう、担当医ミランダ・マリオン。元軍医でね、昔馴染みだ。旦那が開業医で、その彼と一緒に自宅で医院を開いている」
「………旦那、がいるひと?」
「そう言ったろう。彼女の左手は見なかったのか? 指輪があったろう。正真正銘既婚者だ」
「……………。……なんでわざわざ? 医務室で処方してもらえばよかったんじゃ」
「医務室にある鎮痛剤は効きが悪かったんだ。それに他の医者では診察無しで薬は処方しないだろう」
「そのひとは診察無しで処方してくれんの?」
「私のカルテを持っているからな、体質も了解済みだし。主治医というほどでもないが、まあホームドクターのようなものか。電話一本で薬を用意してもらえるから、時間のない身には助かるんだ」
 中尉や少尉も掛かり付けなんだぞ、と笑うロイに、エドワードはかあっと頬に血を昇らせ目を逸らした。
「ご……ごめん、オレ」
「いいさ、誤解が解けたなら」
「………彼女がいるのはほんとだろ」
「それはそうだが、君がこちらにいる間にわざわざ他の恋人と会うほど意地悪ではないつもりだが?」
「へ?」
 ぱっと顔を上げ、エドワードは身を乗り出した。ロイはその裸の腰に幼児を抱くように腕を回してぼんと叩いた。
「君からこちらへ来ると連絡があったときには彼女と会う予定は入れていない、と言っているんだが」
「な、なんで? そんな義理はないだろ?」
「義理とは随分だ」
 やれやれ、とロイは肩を竦める。
「なんだろうなあ、君には私はそれほど冷たく見えるのか? 恋愛感情がまるで解らないとでも?」
「そういうわけじゃないけど……」
「もう少し信用してくれてもいいだろうに」
 エドワードは見下ろす先の呆れ顔に俯いた。
「ご、ごめん」
「ま、男の嫉妬は醜いなどと言うつもりはないし、可愛いものだとは思うがね」
「可愛い言うな!」
「可愛いじゃないか。青春だなあ」
「うっさいうっさい!!」
 喚いて耳や髪を引っ張るエドワードをこらやめろ、といなしながら笑って、ロイはわしゃわしゃと金髪を撫でた。
「安心したか?」
 エドワードは紅潮したまま盛大に唇を尖らす。
「────したッ!!」
「じゃあ寝ろ」
「いや無理」
「はあ?」
 照れているのかむくれ顔を赤くしたまま、エドワードはロイの頬を両手で包む。
「ちょっと収まり付かなくなりました」
 脇腹に押し付けられた熱に、ロイはうんざりと半眼になった。
「むしろ萎えるところだろう、普通………」
「いやでも、アンタも身体あったかくなって来たし」
「眠いんでな」
「でもちょっと具合落ち着いただろ」
「………まあ気分は変わったが」
「じゃ、しよ。だいじょーぶ、優しくすっから」
 酷く嫌な顔をして、ロイは深く溜息を吐いた。エドワードはにやりと笑う。
「仕方がないな、って思ったろ、今」
「………………。……そこまで解っておいてないがしろにされていると感じる君は大馬鹿者だ」
「そこが可愛いんだろ」
「全然可愛くない……」
「またまた、可愛いと思ってるくせに」
 あーあ、と呟いてまた溜息を吐いたロイに、エドワードは上機嫌でキスをした。

 
 
 
 
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『独占欲と占有率の関係と可能性について』はリクエストをくださった千剣さまのみお持ち帰り・転載可です。
他の方のお持ち帰り・転載などはご遠慮ください。
転載について


リクエスト内容
「大佐が恋人(女性)といちゃついているところを目撃して、
凹むエドと後でそれをフォローする大佐の話」

依頼者様
千剣さま

■2004/9/8
エドがあまり凹んでいない。と気が付いたのは書き終わってからです。…いえ、わたしの中だけで盛大に凹んでいたんですが。…いたんですが…(目逸らし)。
もうひとつのリクエスト(娼館)を同タイトルで対にしたくてたまらないんですけどどうしたら…ッ(うずうず)。

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