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 東方司令部に着いたら大佐はちょうど昨日から査定前の1週間の準備休に入ったところだと告げられてちょっと当てが外れた。
 それでもホークアイ中尉に資料室の閲覧を許可してもらってアルと二人一日カンヅメになって、前日も徹夜して列車の中でうつらうつらと4時間ほど眠っただけだったオレはくたくたのままアルと別れ大佐の家へと直行し、査定のための研究で昨日から寝ていない上その前2日ほど休み前の仕事に忙殺されていて結局3日ほどほとんど寝ていないという髪はぼさぼさで顔色は最悪で膚は荒れて眼の下には隈が浮いた、けれど何故かえらく楽しそうに眼をきらきら(むしろギラギラ)させた大人に今まで一度も入れてくれたことのなかった研究室に引きずり込まれ、その乱雑に保管されている薬物(劇薬とか毒薬が平気で混じってるあたり気にしないにも程がある)や発火性の鉱物や火薬の類に目を吊り上げる間もなく試し算と構築式を書き殴った大量のレポートと紙を取るのが面倒だったのか床に直接書かれたたくさんの計算式を見せられ興味が沸いて、準備休はまだ5日もあるのだからゆっくりやればいいものを没頭すると食事も睡眠も忘れてしまうのはオレの常で(というか大佐もそういうタイプの研究者だったことに少し驚いた)、結局一段落つくまで二人でああだこうだと議論を交わしつつ幾度も理論を練り直し、先に大佐に限界が来て撃沈し掛けた大人を叱咤しながらふらふらとベッドに転がり込み欲情する余裕もなく軽くお休みのキスを交わして、まるでぬいぐるみでも抱くようにオレを抱え込んだ恋人の腕の中で眠りに落ちたのはもうすっかり夜が明けた頃。
 
 そして何故か今、オレは床の上に転がっている。
 
 今が何時か、なんて解らない。部屋が暗くて時計が見えない、ということじゃない。突然の出来事に混乱しているせいだ。
 オレはベッドの下に転がったまま、幾度か瞬きをした。いくらオレが寝起きがよくても、熟睡しているところを叩き起こされたら状況判断にいくらかは掛かる。
 そして気付いた。蹴り落とされたことに。
 オレは飛び起き、オレを蹴り落としたであろうベッドの上の普段は大層寝相のいいはずの男を睨もうとして、ぽかんと口を開いた。
「あ……え、大佐?」
「はあ?」
 険しくオレを睨み付けていたその顔にえらく怪訝な色を浮かべ、声変わり末期のがらがらと掠れた声を若者らしい乱暴な口調で跳ね上げた『そいつ』は、眉間に深い皺を寄せ威嚇するように顎を引いてオレを睨んだ。
「お前、なんだ?」
「なんだって言われても」
「と言うかここはどこだ」
「どこって」
 オレはそろそろと立ち上がる。ベッドの上のそいつは剥き出しの機械鎧にちらりと視線を馳せ、どこかむっとしたように唇を曲げた。オレは構わず、腰に手を当ててそいつをじろじろと眺めた。
 
 黒い髪に白い膚に黒い瞳で、顔立ちはオレの恋人に相当似ている。というか兄弟か親戚だろうと言うくらいには面立ちが似通っている。
 間違いなく血縁だ。童顔なところまでそっくりで、顔だけなら12、3歳程度の子供だと言っても通りそうなものだったが、その掠れ時折裏返る太くなり掛けの声やそこそこにある身長が、オレと同い年程度の若者だと告げていた。
 痩せぎすな身体は大佐のように鍛えている様子は見られず、ティーンエイジャー特有の尖った関節とまだ細い骨が、大きめのシャツの上からでもなんとなく見て取れる。背こそオレより高くはあるが、多分体格はオレのほうが全然いい。機械鎧の分がなくても体重も随分重いだろう。取っ組み合いの喧嘩をしたって負ける気はまったくしない。
 
 さて。
 この、大佐に似ていて大佐の服を着たオレをベッドから蹴り落とした少年を、一体誰だと思えばいいのか。
 
「………あのさ」
「なんだ」
「………大佐知らない?」
「誰、大佐って」
 少年はいつでも逃げられるよう片膝を立てて重心を落とし、オレから眼を外さない。オレはぼりぼりと頭を掻いた。そういえば風呂にも入っていなかった。ていうか起きたらまず大佐を風呂に放り込もうと思っていたんだった。
「ロイ・マスタング大佐なんだけど」
 少年は片眉を跳ね上げ、「はあ?」と頓狂な声を上げた。
「なにそれ」
「なにそれって言われても。つか、お前誰」
「お前こそ誰だ」
「エドワード・エルリック」
「誰それ」
「素性を告げてお前に解んの?」
 少年はあからさまに機嫌を損ねた顔をした。オレ以上に短気だ。
「ここどこ」
「大佐んちだけど」
「………その、ロイ・マスタングの?」
「そう」
 少年は黙り込み、一瞬だけ唇を噛む仕草を見せた。怒らせた肩はやっぱり痩せていて、握り締められた長く細い指が神経質にシーツを掴み皺を寄せる。
 オレは首を傾げてそいつを見た。
「で、お前、誰」
「…………」
「大佐、さっきまでそこに寝てたと思ったんだけど、───どこにやった?」
 ふいに呻くように低くなったオレの声の凶暴性に気付いたのか、少年ははっと目を上げ睨み掛け、それから眼を瞠った。
 
 睡眠時間が足りていない。多分寝入ってからそれほどの時間が過ぎたわけではないのだ。
 きっとオレは今、物凄く凶悪な顔をしている。
 
 疲労がべっとりとまとわりついた身体の芯が、まるでおこりのように熱く幾度も震える。癇癪を起こす寸前だ、と、どこか冷静にオレは自分の状態を判断した。
 
 まずい、とは思う。
 満足行く回答が得られなければ、オレはこの細っこい若者を殴り付けるかもしれない。そうなれば生半な怪我では済まないだろう。
 落ち着け落ち着け、と下げた手を握ったり開いたりして深呼吸し、オレは改めてそいつを見据えた。
「頼むから正直に言えよ、じゃねェとオレ何するか解んねーから。……大佐はどこだ?」
 驚きから醒めたのかそいつは僅かに顎を引き、気の強い眼差しでオレを睨んだ。怖いもの知らずだな、と考えて、オレの唇が笑みの形に歪む。
 
 それほど殺されたいのか。
 
「知らない……」
 オレは一歩足を踏み出した。若者はぐっと青醒めた顔を上げ、高いプライドと虚勢とを如実に込めた口調で宣言した。
「ロイ・マスタングは俺だ!! 貴様の言うロイ・マスタングなど知らない!」
 オレは自分の鋼の右手が若者の襟を掴み上げたのを他人事のように見た。
「………正直に言え、と言っただろーが! 殺されたいのか!?」
「知らないものは知らない! そもそもなんで俺がこんなところにいるんだ!? 貴様こそ俺に何をした!! ここはどこだ!?」
「ふざけんなッ!!」
「貴様こそふざけるなッ!!」
 互いに息を切らせ、ロイ・マスタングと名乗った少年が大きく喘いで襟で喉を絞めているオレの手を掴んだ。
「……離せ」
「正直に答えたら離してやる」
「………状況を整理させろッ! 嘘を吐いて俺に何の得がある!? 俺にとってはむしろ貴様が嘘吐きなんだ!」
 わけの解らないことを言いやがって、と苦しげに吐き出された言葉に眉を顰め、それでもオレは僅かに腕を下ろし襟を弛ませた。ただしまだ解放はしない。
 少年はふー、と息を吐き、オレの機械鎧を掴んだままじろりと睨んだ。
「………今日は何日だ?」
 唐突な問いにオレは眉間の皺を深くする。
「四日だよ」
「何月……いや、何年の」
「…………。……大陸歴1914年」
 少年から表情が失せた。
「………ここはどこだ。……中央か?」
「東部だよ。イースト・シティ」
「イースト・シティ…?」
 呟いて、す、と視線が落とされた。睫が驚く程長くて、幼さが僅かに薄れ一瞬大佐の顔が重なる。
「………なるほど」
 瞬いているオレを余所に、そう呟いて少年はふっと失笑のような息を洩らした。
「そうか」
「………なんだよ」
 そいつはオレを見上げ、にやりとどことなく勝ち誇ったような、偉そうな笑みを見せた。これが地顔なのだとしたら多分こいつは友達が少ない。そう思わせるような優しさや好意の感じられない表情だ。
「これは、夢だ」
「………はぁ?」
「お前、眠ってたんだろう、このベッドで」
「……それをテメェが蹴り落としたんだろーが」
「そうだけど、とにかくお前は本当はまだこのベッドでぐっすり寝てるんだよ。で、俺は俺のベッドで就寝中なんだ」
 俺はまじまじと少年を見た。
「………お前、それって現実逃避って言わないか」
「現実的に考えれば俺はお前に誘拐されたとしか考えようがない。だがお前みたいなガキに誘拐されるというのもおかしな話だし」
「誰がガキだコラ。同じくらいだろ」
 そいつはぱちぱちと瞬いた。幼い顔がより幼く見える。
「………いくつなんだ、お前。まだプライマリだろ?」
「誰が小学生だッ!! 15だ15!!」
 黒い瞳が見開かれ、ぽかんと口を開けてそいつは俺を見上げた。
「お……同い年? そんなにチビなのに?」
「誰がなんだと!? テメェこそせいぜいセカンダリに入ったばっかだろ、この童顔野郎!!」
「………もうシニアだぞ、俺は」
「有り得るか! 15ならまだジュニアだろーがッ!!」
 どんどん論点がズレているのは解ってはいたが止められない。そんな俺を半眼で見つめ、そいつはぽん、とまだ襟を掴んだままだった機械鎧を叩いた。
「飛び級だ、飛び級。2年飛び級してもう最上級生だ。16になったら士官学校へ行くんだ。さっさと卒業したいし、そもそも学校の授業なんか簡単すぎてクソつまらん。セカンダリかハイスクールの卒業証書がないと上級士官学校は受験できないから仕方なく通ってるだけだ」
「………士官学校? 16で?」
「知らないのか? 受験資格は16からだろ。……いい加減離せよ。シャツがしわくちゃだ」
 
 これ、お前の言う『大佐』のなんだろ?
 
 オレは沈黙し、手を離した。そいつはふう、と大きく息を吐いてベッドの上で胡座を掻いた。
「あー、苦しかった。この馬鹿力」
「るせェよ。口が減らねー野郎だな」
「そっくりそのままお前に返してやるよ、チビ」
「チビ言うな!」
 ふん、と鼻で嗤い、そいつは部屋を見回し、着ているシャツの一度折り返せばちょうどいいくらいではないかと思われる長い袖を見、ズボンの緩い胴回りを確認して、うん、とひとつ頷いた。
「ただの俺の願望なんだろうが、とりあえずお前の知ってるロイ・マスタングは、もう少し背が伸びてて体格もいいんだな。20世紀の14年てことは……29歳か。29で大佐なら悪くはないな、上出来だ。なんで東部なんかにいるのかが解らんが……左遷だったら嫌だな」
「………ちょっと待て」
 オレはなんだか疲れてベッドへどさりと座り込んだ。そういえば寝不足だったのだ。疲れて当たり前だ。
「お前、物凄く簡単にオレの知ってる大佐と自分が同一人物だと信じてるみたいだけど」
「信じてる、というか、それしかないだろ。お前は最初に俺のことを大佐と呼んだし、ということはお前の知るロイは俺に似てるんだろう?」
「………まあ、弟か親戚かと思った」
 そいつ───ロイ、はうん、と頷いて腕を組んだ。袖が捲り上がり、筋張った細い腕が覗く。なんとも貧弱で、これが大佐だと思うと物凄く変な感じだ。将来軍人になるようにはとても思えない、訓練で潰れてしまいそうな身体をしている。
 というか、身体検査で引っ掛かって入隊できないんじゃないのかこれは。
「俺は今15だが、生まれた年は1885年だ。だから俺としては、今は19世紀の終年じゃないとおかしい」
「んなわけあるか」
「あるんだから仕方がない。だから夢だと言ってるんだ。お前の夢か俺の夢かは解らないが、現実だと考えるよりもずっとマシだろ」
 オレは思わずロイの二の腕を掴んだ。女のように柔らかくはないがこっちも細くて、大佐も細くはあるけれど筋肉の分逞しいから、それから考えるとやっぱり変な感じだ。
「……こんだけしっかり感触があるのに、夢だって?」
「じゃあ俺の夢なんだろ。お前は俺の夢の登場人物なんだ」
「バカ言うな」
「お前がバカだ。こんなアホらしい状況を現実だと考えるほうがよっぽど非現実的だろ」
「………いや、ほら、あれだ。寝る直前まで錬成したりしてたから、それが何か変に影響したとか」
 ロイが片眉を上げた。
「って、お前も錬金術師なのか?」
「お前もかよ」
 ロイは自慢げに唇を歪めて笑った。
「例の新制度の国家錬金術師資格はそろそろ取れそうなくらいだ」
「………オレは国家錬金術師だよ」
 ぱちくりと瞬くロイに、オレは奇跡的にポケットへ納まったままだった銀時計を見せる。ロイはぽかんと銀時計とオレの顔を見比べた。
「え、い、いつ?」
「12んとき。最年少国家錬金術師誕生は1911年。銘は鋼。オレが鋼の錬金術師」
 ロイはまじまじと銀時計を見つめ、それからはー、と溜息を吐いてなーんだ、と呟き弛緩した。腕を掴んでいた手を離すとぼそ、とベッドへ寝転がる。
「じゃあ、急いで取る必要はないなあ」
「………なんで」
「16で最年少を狙っていたんだ。でも記録が更新されてしまうなら、早く取ったところでお前の評判を上げるだけだろう? 最年少記録を大幅に塗り替えた、とか言われて」
 そんなのつまらん、とふて腐れたように言ったロイに、オレは思わず笑ってしまった。ロイは何笑ってんだ、と半眼でオレを睨み上げる。

 
 
 
 
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■2004/8/5

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