「将軍。…おい、寝るならベッドで寝ろよ。将軍ってば」
 声質はハイバリトン程度でどちらかと言えば高い部類なのに何故か低く響く耳慣れた声に、ロイは眉を顰めて身を縮めた。ふ、と、溜息の気配を感じる。
「おい、起きろっつってんだろ、……ロイ」
「………調子に乗るなと言っているだろうが、鋼の」
 ふん、と鼻を鳴らした青年はぺちぺちと軽くロイの頬を叩いた。
「何年付き合っても名前呼ばせてくんないのな、アンタ」
「癖になって人前で迂闊に名前で呼ばれたりしたら困るからな」
「……いいじゃん。友達だって言えよ」
「貴様のような傍若無人な友人を持った憶えはない。また勝手に入って来て」
「アンタいないと思ったんだもん。つか、鍵くれといてそりゃねーよ」
 それよりいい加減目ェ開けろ、と不満げに言う声に、ロイはしぶしぶ瞼を上げた。覗き込んでいた鋭い面持ちの金眼の青年がにっと歯を見せてまるで子供のように無防備に笑う。
「おはよ、将軍」
「………おはよう」
 部屋は昼の光が満ちている。ロイは目を細め、ひとつ欠伸をしてソファから身を起こした。左足を引きずりながらひょこひょことテーブルへと歩んだエドワードが紙袋から覗いている冷えたミネラルウォーターの瓶を掴み、栓抜き要らずの機械鎧の右手でがき、と栓を抜くのを相変わらず便利だな、と考えながら眺める。
「松葉杖は外れたのか?」
「うん、昨日ね。まだ手摺りがないと階段は厳しいけど」
「それはおめでとう。アルフォンス君はどうだ」
「まだ全然起きれない。でも飯は流動食ならいけるようになった」
 そうか、と言ってまた欠伸をし、ロイは乱れた黒髪をさらに乱すように頭を掻いた。
「近いうちに見舞いにでも行くか」
「あ、来て来て。ろくに喋れもしねーんだけどさ、退屈してっから。顔見せてやってよ」
 テーブルからグラスに冷えた水を注いで戻ったエドワードの、鋼の右手からそれを受け取り礼を言ってロイは一気に煽った。
「あー………頭痛い」
「呑み過ぎ。年考えろオッサン」
「あーもー本当に年だ、二日酔いなんて昔は絶対になかったのに。疲れた眠い。寝る」
「その前にシャワー浴びて着替えてベッドで寝ろベッドで。ソファで寝こけてんじゃねーよすぐそこだろ寝室」
「……世話女房か君は。何しに来たんだ」
「アンタが仕事行ってる間に使ってる部屋だけでも掃除してやろうかと思って」
「前言撤回。通い妻だ」
「若くてカワイイ奥さんでうれしーだろ」
「性別が女性なら嬉しい」
「…この期に及んでそれを言うか」
「もう本当に嫌だ疲れた」
 ぼと、と再びソファに転げたいつにも増してだらしない年上の恋人にエドワードはげんなりと肩を落とす。
「なんなんだ一体。どうなんだその態度。なんかあったの」
「ジジィに一晩中口説かれてストレス倍増というかなんというか」
「はぁ!?」
「孫娘を貰え貰えと煩くて」
「あ、そーゆーことね……」
「……なんだと思ったんだ君は」
「いえなんでも…」
 もごもごと口籠もるエドワードを(追及すると嫌なことを言われそうな予感がしたので)追及せずにロイは腕を枕に頭を支えた。テーブルに寄り掛かるように座ったエドワードが僅かに首を傾げる。無精で伸ばしているとしか思えない編んだ金髪が肩を滑り落ち、揺れた。
「あのさあ、将軍」
「んー?」
「………アンタ、結婚しないの?」
「誰と」
「いや、なんかこう、偉いひとの娘とか孫とか姪とかと」
 うーん、と唸りロイは眼を閉じる。瞼の裏で光がちかちかと乱反射して鬱陶しい。
「しなきゃいかんかなあ、結婚」
「しなくてもいいわけ?」
「軍の階級は世襲制ではないからたとえ大総統だとしても跡取りが必要なわけではないし、そういう意味では別にしなくても構わんが」
「体面?」
「いたほうが体面がいいのは当然なんだが、しかし上司や権力者の縁者を貰う気はないな。そんな余計なしがらみは背負いたくない。もし私が結婚するとして、軍とは無関係の女性だろうな」
「………好きなひと、いるんだ?」
 低く落とされた声にロイは瞼を上げる。青年は俯き、足下に伸びる影を見ていた。
 思わず小さく笑ったロイに、青年の拗ねたような目が向けられる。
「………何笑ってんの」
「いや」
 ロイは笑みに目を細めた。
「どれだけ大きくなっても、君はそういうところは変わらないなと思ってね」
「なんかむかつく」
「沸点が低いのも相変わらずだ」
「あーそーですか」
 身を起こしたエドワードがひょこひょこと近付いてくる様を眺めていると、青年はソファへと片膝を突いてロイの両脇へと腕を突いた。
「じゃあいただきます」
「二日酔いで酒臭い三十路を襲う19歳か。変態だ」
「変態言うな」
「じゃあなんだ」
「………オレがいるから結婚しないって言ってくれたら止める」
「馬鹿か?」
「スゲェむかついた。泣いて止めてくださいって言うまで止めない」
「物凄く疲れているから止めてくれ」
「ブブー。合い言葉が違います」
「鋼の」
 手を伸ばして人差し指で尖った顎を掬うように撫でる。
「君はもう少し自信を持って構わない」
「……………」
 エドワードはふっと首を傾げ、軽く眉を寄せた。険しく思えるその表情が、心細さを示すものだとロイは知っている。
「……オレ、アンタの重荷になってない?」
「君ごときが重荷になるようなら私もたかが知れている」
「でもさ、前は年に何回か会うだけだったからいいけどさ、こうやってアルも戻って中央に腰を据えてアンタんちの鍵も持ってて、毎日勝手に会いに来てさ。………周りにも変だって思われるだろ? でもオレ止めらんないし。だから、もし迷惑なら、アンタがコントロールしてよ。オレ、頑張って言うこと聞くしさ」
「今でも充分に気を遣ってもらっているよ。本当に迷惑なときにはちゃんと言うから、余計なことは気にしなくていい」
 窘めるような声にエドワードは僅かにむくれる。
「また子供扱いするし」
「19歳などまだまだ子供だ」
「いつになったら対等なわけ」
「………そうだなあ」
 ロイは唇を歪めるようにして人の悪い笑みを浮かべる。
「あと20年くらいすれば、年齢差も大して気にならなくなるんじゃないか」
「ってアンタじーさんになっちゃうじゃん」
「君も中年だな」
 なんだよそれー、と唇を尖らせ、どかりと胸の上に乗り上げたエドワードの金髪を、ロイは重い、と言って軽く叩いた。
「どけ。二日酔いだと言ったろう、吐くぞ」
「うわ、そんなに酒弱くなったの? アンタってどんだけ呑んでも吐いたりしなかったのに」
「年長者は労れ、と言う話だ」
 ぶつぶつと文句を言いながらもエドワードは肘を突いて体重を浮かす。
「………オレも軍人になろうかなー」
「止めておけ。銀時計もアルフォンス君が元気になったら返してしまえ」
「それはちょっと無理。後遺症がどうなるか解んないし副作用も未知だから、研究は続けなきゃならないし、金も資料も相変わらず要るから。……でもなんで軍人が駄目なんだよ。アンタの部下にしてよ。オレ一人くらい引き抜けるだろ?」
 ロイは至極真面目な顔でエドワードを見上げた。
「君に軍服は着せない」
「……似合わない?」
「似合う似合わないの問題じゃない」
「……でも、戦争とかになって徴兵されれば着なきゃいけなくなるけど。軍属だし、オレ」
「そのときは事前に情報を流すから、さっさと銀時計を返してしまえ。アルフォンス君を置いて戦場などに行くんじゃない」
「それじゃアンタの立場が」
「大丈夫だ」
 何が大丈夫なんだよ、と呟いて、エドワードは再び眉根を寄せた。
「そんなにオレに近くにいて欲しくないんだ?」
「いるだろうが、今」
「んじゃなくて、公私共に近くにいたいんですけど」
「プライベートだけで我慢しておけ。何をどう言おうが、絶対に軍服は着せない。もし勝手に軍人になりでもしたら縁を切るから覚悟しておけ」
「オレって役に立たないの? 邪魔?」
「………本当にそういうところは変わらないな。どうしてそうネガティブなんだ」
 ロイは深く溜息を吐いた。
「あのな、自分の子供や配偶者や恋人のような近しい人物が軍人になりたいと言い出したとして、簡単にうんと頷く軍人はあまりいないぞ。実子ならまだ跡取りとして考えている者もいはするだろうが」
 エドワードは目を瞬かせている。
「だから今のは、かなり率直な愛の告白と取ってくれると嬉しいんだが」
「愛って」
 しばし固まり、それからああ、と呟いてエドワードは弛緩した。皺だらけのカッターシャツに包まれた肩口にごと、と額を落とす。
「あれか、親愛ってヤツか」
「何だと思ったんだ」
「恋愛のほうの愛かと」
「むしろ家族愛が近いかな」
「家族とセックスすんなよ」
「君がしなくていいのならいつでも止めてもらって構わないんだが」
「いや、しますから」
「残念だ」
「……往生際が悪いよ、将軍」
「早く枯れてくれ若者」
「自分も枯れてないくせに」
「なに、もう年だよ」
 嘯く恋人につまらなそうに舌打ちをして、エドワードはふと気付いたように顔を上げた。
「あれ、ってもしかして、それでアンタってオレに軍服作ってくれなかったわけ?」
「うん? いらないだろう、君には」
「いや、でも軍属だし、別に軍の式典とかは出ないけど、たまにパーティとかには連れてかれるじゃん。そういうときって国家錬金術師も軍服を着るのが通例だって言われたけど」
「………誰に」
「えーと、なんだっけ、ほら、東方司令部の」
「ハクロ将軍か?」
「あ、そのひと」
「………あのオヤジめ」
 余計なことを、と言わんばかりに柄悪く舌打ちをしたロイを、エドワードはぽかんと見つめた。
「うわ、何その柄の悪さ。将軍ともあろうお方が」
「君が移った」
「オレのせいかよ。……まあいいや。それより答えろよ。ただの正装だとしてもオレが軍服着てるとこ見たくなかったってこと?」
「………理由のひとつではあるが、ちょっと違うな」
 ロイはにやりと笑う。
「豆粒に合う軍服など特注でなければ用意できなかったのと、成長期の上に一所にじっとしていない君に数年に一度必要かどうかという軍服を作るのが無駄だった、というのが理由だな。別に軍服の着用が義務付けられているわけでもないし」
「豆粒言うな。……いやでも、今も作ってくれないじゃん。アンタの軍服じゃちょっと小さいと思うけど、あとワンサイズ上のヤツなら既製品で良いのに」
「まだ成長期だろう」
「もう177あるよ、オレ。伸びないだろ、これ以上は」
「そんなこともないさ。……手を出してごらん。左手のほうだ」
 怪訝な顔をしながらも差し出された左手に、ロイは自分の右手を合わせる。昔はどうしてこれほど大きいのだろうと思っていた大人の手は、青年の手の影にすっぽりと納まるほどだ。
「私も手は大きいほうだが、君も相当大きいだろう。手足の大きさは身長に比例することが多いからな、もう少し伸びると思うよ」
「………そう?」
「そう」
 ふーん、と呟いて、エドワードはふと笑った。
「とかなんとか言って、成長期がすっかり終わっても作ってくれないんだろ?」
「解っているならいちいち言うな」
 言ってぱたりと眼を閉じたロイを、エドワードはおいこら、と揺する。
「ここで寝るなって。ベッド行けベッド」
「ここでいい。眠い」
「襲うぞ」
「そしたら燃やす」
 むう、とむくれ、しばし考えてエドワードはロイの耳元に唇を寄せて囁いた。
「ここで寝たら抱き上げてベッドまで運んで差し上げますが、いかがなさいますかお姫様」
 ばちり、と音を立てる勢いで瞼が持ち上がり、同時にエドワードを押し退けて身を起こしたロイは青年を睨んだ。
「気持ちの悪いことを言うな」
 邪険に押し退けられたエドワードが笑う。
「アンタもそういうとこ変わんないよな」
「うるさい。もう寝る。暇なら帰れ」
「帰りませーん。アンタが起きるまでいるから。それとも起こす? 何時に起こせばいい?」
「今日と明日は非番だから起こすな」
「じゃあ夕飯までに起きなかったら起こすから」
「起こすなというのに」
「寝過ぎると脳細胞が壊れるよ。もう若くないんだからもうちょっと規則正しく生活しろよ」
「余計なお世話だ」
 心配してんのにー、と唇を尖らせる青年の額を小突き、ロイは寝室へ向かうべく立ち上がった。その恋人をエドワードは慌てて呼び止め、力の籠もり辛い生身の左足を庇いながら立ち上がり腕を伸ばして黒髪を抱き寄せ、軽く唇を合わせた。
「おやすみ、将軍」
「………夕食はサン・ブロワーゼのディナーがいい」
「予約要るとこ?」
「要らん。カフェだ」
「デリバリーしてもらう?」
「そのほうが楽だな」
「りょーかい、電話しとく。アドレス帳にあるよな」
「ある。5ページ目くらいに」
 もう一度了解、と笑ったエドワードの金髪に骨張った指が差し込まれ、軽く背伸びをしたロイから瞬く間に頬にキスが落とされた。
「おやすみ」
 僅かに乱れた金髪を撫で整え薄く笑って踵を返したロイが寝室へ消えるのを見送って、エドワードは頬を押さえ、それからふと気付く。
(20年経てば子供扱いは止めてくれるんだっけ?)
 
 つまりそれは、上手くやれば20年後も側にいていい、と言うことで。
 
 なるほど愛の告白ね、と呟いて、エドワードはくつくつと笑い電話をするために廊下へと足を向けた。

 
 
 
>>お題ver
 
 
 
 


リクエスト内容
「19歳エドと33歳ロイでエドロイ(歯車ver)」

依頼者様
匿名

■2004/8/10

coo …(ハトが)くーくーと鳴く(声); 愛のことばをかわす

4年経っても相変わらず甘々(notらぶらぶ)らしいですようちのエドロイ。いいのか将軍が彼氏持ちで(よくない)。
えー、なんとなく期待されたものと違うものに仕上がったような気がしますが、歯車連作を(正確に言えば名無し指を)踏襲して考えたらこんなのになりました。すすす、すみません期待外れで…!(だっ)←逃げ
す、少しでもお楽しみいただければ幸いです。

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