花 の 香 を 盗 

 
 
 
 
 
 

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「え、ちょっと、何?」
 大股で近付いて来た政宗に不穏な様子でも感じたか、逃げようと腰を浮かせた瞬間を狙って「逃げるな」と低く命じれば、忍びはぴたと動きを止めた。無造作に伸ばした手が襟首を掴み引き下ろし、返したそれで緩んだ襟を強引に肩から外せば半身を晒した佐助は引き攣った顔を見せた。
「何ですか、ちょっと、止めてよ」
「煩え。口答えは無しだ」
「はあ!? 何言ってんの! つうかあんた、趣味悪い! 変態!」
 乱暴に床に転がしのし掛かり、政宗は酷薄に笑みを閃かせた。
「ちょっと試してみてえ事があるんだよ」
「そっ、それは専門家に頼んでよ! 俺様正直、そっちの世界とは無関係で居た、う、ぎゃ!」
 喚く声を無視して臍の辺りに舌を這わせれば、水の味がした。同時に色気のない悲鳴が聞こえて、なりふり構わぬ動きで髪を掴まれ政宗は眉を寄せた。顔を上げる。
「おい、忍び……」
「ほんっと意味判んねえ! もっとお綺麗なの探せよ! 小姓とかさあ、」
「黙れ。俺に逆らうか」
 草如きが、と低く笑みすら含んで続ければ、佐助はひたと口を噤み、二度大きく瞬きをして、後は嘘の様に大人しくなった。
 無論、忍びとは言え此れは政宗の子飼いではない。幸村の子飼いであり、他家には無い程手厚く遇されるという真田忍びの噂を聞く限りでは、任務の為ならいざ知らずこんな訳の判らない状況で主に無断でその身を損なう様な事をすれば、不興を買うには違いない。ならば主の為にも、無理であるなら佐助はとことん抵抗すべきで、此処で屈する事は即ち、主への裏切りだ。
 だが、仕事第一の忍びの脳裏に、同盟を組んで未だ間もない、慎重にお互いを探っていかねばならない時期である事が、過ぎったには違いなかった。
 無論こんな事で政宗が武田との同盟を持ち出すとは思ってはいないだろう。仕事となれば私情を交えぬ忍びの事だ、それだけの評価を下されている自覚はある。だがそれでも、ほんの僅かの不興を、たかが草である己の振る舞いによって武田に導き入れる事を、佐助は由とはせぬのだろう。
「健気だねえ」
 喉を鳴らして笑えば、苛立った表情で睨まれた。笑みはない。心底嫌悪している表情だ。それが可笑しくて、政宗はまた嗤った。
「しかしその態度、従順とは言い難いな。真田はあんたのそう言う所、何も言わねえのかい」
「真田の旦那の気に触れる様なとこでは、ちゃあんと気を張ってるもんでね」
「Ah………成る程」
 戦馬鹿か、と呟けば、お互い様だと低く噛み付く様に返された。
「悪いな。あんたの巫山戯た態度が習い性の様に、俺も少々、露悪趣味が過ぎるらしい」
「それ、自分で言う?」
 薄く笑みで返し、政宗は肉の盛り上がった深い爪痕に指を這わせた。深く皺の刻まれた眉間を緩く撫で、瞼を押さえる。
「目を閉じな」
「何で」
「開けて居たけりゃ、それでも良いが」
 長引くぜ、と囁けば余計に眉間に皺を寄せ、結局佐助は目を閉じる事はしなかった。まあいい、と嗤い、首筋へと緩く噛み付く。指先は羽が触れる様にゆっくりと、傷を撫で、脇腹を辿り、冷たいと感じる場所を探っては擽る。肩を押さえ付けていた左手の掌で膚を撫でながら、袷を割り背と床の合間に潜らせれば、触れた背骨が驚く程柔らかく撓った。
「Hmm……忍びの躯ってえのは、柔らかいもんだな」
「硬かったら商売上がったりでしょうが」
「それもそうだ」
 軽口を叩きながらも手は止めず、敏感な場所をゆるゆると辿り続けるが、一向に膚が温まる様子はない。元々低体温の可能性もあるが、それにしても此方の掌の熱でさえ伝導しにくいとなると考えものだ。
 皮膚は薄いようであるのに、とちらと目を眇めて、政宗は顔を上げ、細い顎を掴んで軽く上向けた。
「おい、気を抜きな」
「無茶言うなよ」
「自己暗示でなんとでもなんだろ。忍びだろうが、手前」
 佐助の色の薄い瞳が瞠られ、非難の表情で顔が歪む。
「ほんと、横暴じゃない!? 全く奥州の竜ってえのは酷えもんだね! 何の罪もないいたいけな忍び襲った挙げ句に自分で感じろってか! 馬鹿か! 俺様色忍じゃねえっての!」
「手前が気を抜けるんなら、手管でどうにでもしてやるがな。躯冷てえままじゃ、止めてやらねえぜ」
「っかあ! その言い種!!」
 鬼だ悪魔だとぶつぶつと文句を言いながらも、佐助は渋々の様に小さく息を吐いた。肩が上下し、僅かに力が抜けてふいに薄い皮膚が質を変え、政宗の乾いた掌に吸い付いた様に錯覚する。
「OK、良い子だ」
「……馬鹿じゃねえの」
 ざら、と額の髪を擦る様に撫で上げてやれば、思うよりも柔和な顔が露わになった。少しばかり重たげに被る瞼が視線に過剰に意味を乗せ、剣呑にも妖艶にも見せはしたが、こうして覗けば少々肩透かしな程に、普通の男だ。
 躯を這う指は止めずに耳殻に軽く口付けて、舌先でなぞり上げれば小さく喉が鳴る。じわり、と背を支える掌に熱を感じ、胸元を辿る指でふいに強く先端を擦れば顎が上擦った。薄く開いたままの目が、天井に向けられたままきつく細まる。
 政宗は小さく息を吐く様に笑って、ゆるりと身を起こし薄く色付き始めた躯を見下ろした。
 淡く色付いた痩せた躯に、赤く細く、無数の傷跡が浮かび上がっている。
「白粉彫りだな」
「………え?」
「傷跡がだ」
 満足した猫の様に目を細め、再び覆い被さる事なく起き上がった政宗に怪訝な顔を向け、目尻に紅を刷いたかの様に血を上らせた佐助は幾度か僅かに潤み掛かった目を瞬かせた。
「……なに?」
「小十郎と同じだ」
 未だ上手く気分の切り替えの出来ていないらしい佐助に、政宗は何だ、と唇の端を吊り上げて見せた。
「勃っちまったか? 残念ながら、俺はあんたの股なんざ触ってやる気はねえよ。続きは真田にでもして貰いな」
「ばっ、何言ってんの!?」
 がば、と起き上がり、佐助はむくれたまま手早く着物を着直した。
「何したかったのよ、一体」
「体温が上がれば、白粉彫りが見れるかと思ってな」
 なかなか良い眺めだった、と口元を緩ませれば、佐助は理解出来ない、とばかりに眉を顰めた。
「………右目の旦那と、何が一緒だって?」
「傷跡がな。あいつも、余り残るほうじゃあねえんだが、躯が熱くなれば割合くっきり見えるんだ。ま、あんたとは違ってあれだけ日に焼けてるからな、却って白く、月みてえにだが」
 なかなか見物だぜ、と続ければ、佐助はふうん、と態とらしい人の悪い笑みを見せた。
「あ、そう。成る程ねえ。また余計な情報仕入れちゃったな」
「What?」
「あんたと右目が、そういうご関係とはねえ」
 にやにやとしている忍びに、政宗は軽く片眉を上げて見せる。
「Secretだとでも思うのか?」
「え?」
「今更だろう」
 小十郎が聞けば狼狽え叱咤されそうな事を言ってのければ、暫し探る様に政宗を見ていた忍びは、やがてはあ、と溜息を吐いた。
「冗談冗談、こんなの何の役にも立たねえって」
 それより良い事して貰ったしね、とへら、と笑った忍びに眉を寄せれば、佐助はひひ、と無邪気に歯を剥きだして笑った。
「右目の旦那に、独眼竜に襲われちゃったーなんて言ったら、あんたどんだけ叱られるんだろうねえ?」
「………洩れなく真田が知る所になると思うが」
「まっ、俺様も叱られそうだけど、それより此の城が心配。怒ると旦那、手が付けられないし」
 心配だなあほんと、と頬に手を当てはあ、と溜息を吐く忍びに、政宗はぐるりと天井を眺め、其れから両手を上げた。怖ろしくはないが、どちらもしつこい相手だ。正直、面倒臭さが先に立つ。
「Sorry、悪巫山戯が過ぎた」
 佐助は声を出して笑い、胡座を揺らした。
「まっ、ちょっと暇潰しになったし、許して差し上げましょうか」
「そりゃ、有難いね」
「此奴一つでね」
 ひら、と指に挟まれた書状をひとつ揺らした佐助に、政宗は目を丸くする。
「Ha! 手癖の悪ぃ客人だ」
 愉悦に笑い、政宗は残りの書状もざらりと攫い、佐助の胡座の上へと落とした。
「持って行きな。が、後で返せよ、小十郎が煩えからな」
「………良いの?」
「大した書状じゃあ、ねえ。が、あんたには、それなりに有益だろうぜ」
「へえ。……んじゃ、ま、有難く」
 書状をまとめ、懐へと仕舞う仕種を見届けて、廊下を小走りに近付いて来る女中の足音に腰を上げ、政宗は上座へ戻り脇息に肘を突いた。
「竜の旦那」
「何だ」
 細長い指が、己の首筋を示す。
「襟、寄せておかないと、跡付いてますから」
「………」
 いつの間にか付けられた跡を言われるままに袷を整え隠し、しかしささやかな悪戯への報復に、政宗は忍びの耳朶の下へと残る、仄赤い鬱血は教えてやらなかった。

 
 
 
 
 
 
 
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20071107
花盗人は風流のうち