姉の決心
「なあ、アル」
「うん、姉さん」
「元に戻ったらお医者さんごっこしような」
先程まで賢者の石がうんぬん文献によればかんぬんと話していた真摯な顔をしたままテンションを一切変えずに唐突にこういう話をしてくるから姉には参る。
妹はぐったりと脱力した。
「………………なんでお医者さんごっこ……?」
気力を振り絞ってなんとかそれだけ尋ねると、姉は大真面目にうんあのな、と身を乗り出した。
「さっき少尉たちと話したんだけどな、お医者さんごっこってのは男のロマンなんだってさ」
とりあえずその『少尉』の中からハボック少尉を意図的に排除して、ああうん軍人さんたちに囲まれて楽しそうだったね姉さん軍人さんたちも女の子が珍しくてちやほやしてくれてるんだろうなその中から彼氏見つけたらどうなのとか思っていたのに猥談してたんだへえそう、と心の中で一気に突っ込み妹は額を抱えた。姉は瞳をきらきらとさせ頬を薔薇色に紅潮させて興奮した面持ちで演説を続けている。
「ほら、オレたちって女だったろ? ままごとはしたけどさ、お医者さんごっこなんか全然してこなかっただろ」
「…………うんまあそんなことしたらウィンリィにぶっ飛ばされてたんじゃないかな……」
実を言えば妹は、同級生の男の子たちにお医者さんごっことやらに誘われたことはある。
他の女の子も来るから、なんてにこにこ誘って来たちょっと年長のませたガキどもの思惑など年に似合わぬ知識を小さな頭に詰め込んでいた妹には筒抜けだったから、一発拳を繰り出して鼻血を吹かせて泣かせてそういえばあのあと母さんと謝りに行ったんだったボク悪くないのにやなこと思い出したな、と考えて、そのとき勝手についてきた姉がアルが意味もなく殴ったりなんかするわけがない悪いのはそっちだ、と背後で怒鳴っていたことも思い出して、僅かにほわりと胸が温まる。
姉さんてなんて言うか。
(ボクのこと好き過ぎ)
「でさ、やっぱオレも女だし男のロマンってのは解んないんだよ。ミニスカートとか胸の谷間とかさ、見てもどきどきしないわけ」
こんなひとに好かれてるボク可哀想。
既にげんなりとしている妹に構わず、姉の弁舌は続く。
「でもなんつーか、お前のだったらすげぇどきどきしそうっていうか!」
「………一緒にお風呂にも入ってたじゃん……」
何を今更どうしてお医者さんごっこなんだ、ていうかなんで姉妹でお医者さんごっこなんだこの年ならまあ少し早いかなって気はするけど普通に彼氏とするもんなんじゃないのと考えながら、妹ははあ、と溜息のような声を洩らした。
「あのさー、姉さん。彼氏作りなよ、ほんとに」
途端姉は物凄く嫌な顔をした。
「何で」
「何でって、いつまでもそんな変なこと言ってられないでしょ。っていうか最近度が過ぎてる気がするくらいだし、おかしいよ、やっぱり。だからさ、恋すればちょっとは女の子らしくなるかもしれないし」
「恋はしてる」
「誰に」
「お前」
「却下」
にべもなく切り捨てて、暗雲を背負いへこんでいる姉に構わず妹は指を折った。
「年から行けばフュリー曹長が一番近いかなあ。可愛いよね、あのひと。でもほら、大佐とかいいんじゃないの姉さん。おじさんだけどお金持ってるってことだし、フェミニストだし、姉さんと仲いいじゃない」
「なんでオレがあんな無能と! ていうか何でオレが男なんかと!!」
「女の子なんだから当たり前じゃん」
「好きで女なわけじゃねぇ!!」
妹は困惑して沈黙した。首を傾げると鼻息荒く睨んでいた姉がぽっと赤面して俯き鼻を押さえる。
「おっお前………可愛過ぎ………」
「姉さんはおかし過ぎ」
うう、と呻いて妹は額を抱えた。
「つまり、なに。姉さんて男の子になりたいの?」
「うん」
こっくりと頷き、姉は腕を組んだ。
「でも結構難しいんだよ、これが。一番の問題は相手だよな」
話が飛躍した。
姉の思考について行けず妹はえ、なにそれ女の人の恋人が欲しいってこと? 女の子が好きな女の人なんて選ぶほどいないと思うんだけどどうなの、と疑問符を浮かべる。
「アル、お前さ、ハボック少尉とマスタング大佐、どっちがいい」
「ハボック少尉」
迷いもしない妹にうーんそうだよな、と頷いて、姉は眉間に皺を寄せた。
「でもそんなことしたらお前絶対泣きそうだし」
「は?」
「マスタング大佐のことはどう思う」
「どうって………見た目若いけど中身結構おじさんだよね。三十歳近いっていうから仕方ないけど」
「じゃなくて、好きか嫌いか」
「別に嫌いじゃないけど」
「仲いいよな、割と」
「話してると楽しいし、結構好きは好きだけど」
うーんそうか、と姉は深く頷いた。
「やっぱりあいつか」
「………何企んでるの、姉さん」
「お前さ、オレがお前産みたいって言ったらどうする」
「わけ解んないこと言わないでほしいけど姉さんの産んだ赤ちゃんに魂定着させるとかいうこと言ってるなら気持ち悪いからやめて。殴るよ」
「だよな。オレもそんなのやだ。ていうかむしろ産ませたい」
「意味解んない」
「待ってろな、アル! 絶対お前戻して、オレも男になってやるから!」
「いやほんと意味解んない」
ひとり盛り上がっている姉にああもうひとの話聞いてないし、とがしゃりと肩を落とし、妹は見るとでもなくそろりと机について仕事をしているはずの姉の上官を見遣った。
上官は。
血の気の引いた真っ白な顔をして、じっと手元を見つめたまま固まっていた。よそよそしく忙しがる周囲の誰もがその上官とも、きょろきょろとしている妹とも眼を合わせない。
(…………司令室の来客ソファでする話じゃないんだよ姉さん)
今更そんなことを考えて、未だ固まっている大佐が何に怯えているのかも解らず妹はかしゃ、と首を傾げた。途端にばしんと腕を叩いた姉がうわお前それ可愛いやめろって、とくねくねと照れ、妹はうんざりと半眼になる。
このひとってほんっと。
(変なひと)
ハボック少尉早く休憩時間にならないかなあと考えながら内股に寄せた膝に両手を置いてそわそわとした妹は、また照れ出した姉にごわんと兜を殴られた。
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