少尉の疑問
「アルは動物好きだよな」
「うん、大好き」
えへへ、と笑う巨大な鋼鉄鎧の少女から顔を逸らし、ハボックはぷかりと煙を吐いて再び煙草を銜えながら視線を戻した。僅かに首を傾げた少女がじっと見つめている。
「なんだ?」
「え、あの、ボク今鎧だから、煙とか気にしなくていいのになって」
「ん、そうか。ま、癖みたいなもんだし、気にすんな」
「ハボック少尉って結構女の人に優しいですよね」
「男なら当然だろ」
「………大佐って女のひとにだらしないって聞くんですけど、少尉もそうなんですか?」
「あのひとと一緒にしないでくれ。俺は彼女は一度にひとり」
少女は僅かに沈黙し、しゃがみ込んだ足下でぱたぱたとしっぽを振る犬の背を撫でた。
「今彼女っているんですか?」
「ンー、こないだ別れたばっか。まーた大佐に盗られた」
「え、大佐ってそういうことするんですか!?」
信じられない、といった非難の口調で言ってぱっと顔を上げた少女の鉄の面にくっく、と苦笑し、ハボックはいや、とかぶりを振った。
「そういうことにしてっけど、別にあのひとがなんかするわけじゃねーの。単に彼女のほうが大佐に勝手に靡いちまっただけ。他の彼女盗られたって騒いでる連中も似たようなもんだろ」
「………でも、見境無く口説くって。ボクとか姉さんは口説かれたことないですけど……」
「んー、ま、お前らはなあ……部下と部下の身内だし。部下とか同僚とかには男女の区別ねーもん、あのひと」
ハボックはつま先で犬の顎をうりうりと撫で、迷惑顔をさせて声なく笑う。
「ま、女見ると褒めちまうのはあのひともう習い性だし、ほんとにそんとき付き合ってる男が好きな女は別れたりはしねーよ。ほら、ブレダ。あいつの彼女は何度も大佐には会ってるはずだけど、全然別れる様子ねーもん」
「あれ、ブレダ少尉って恋人いるんだ……」
「あいつモテんだぜ。あんなひげ面だけどな」
うーん、と首を傾げ、ああでも解るかも、と少女は頷く。
「誠実そうですよね。結婚するならああいうひとがいいのかも」
「なんだ、花嫁さんとか憧れるお年頃か?」
「や、でもこの姿じゃ全然女の子に見えないし………」
頭に手をやり照れたようにえへへ、と笑う少女に目を細め、その兜にぽんと手を乗せてハボックは笑った。
「人間見た目じゃねぇし、そう遠くないうちに元に戻る予定なんだろ? 大将がいっつも自慢してっからな、アルは無茶苦茶可愛いって。今から楽しみだ」
沈黙してしまった鎧の少女にハボックは首を傾げる。
「どした? なんか悪いこと言ったか、俺」
「え、と、じゃなくてその、……凄く嬉し」
「離れろそこーッ!!」
「ぐおっ!?」
ほのぼのとしていた裏庭へ飛び込んで来た弾丸にどっかと背を蹴られ、仰け反ったハボックはその拍子に唇からこぼれた煙草がアルフォンスの膝へと落ちる前に反射的に掌に取りぎゃっと飛び上がった。
「あちあちあち!!」
「し、少尉! 大丈夫!?」
ふーふーと火傷に息を吹き掛けるハボックに慌ててその掌を覗き込み大した事がないことを確認して、アルフォンスは邪魔をした無粋な弾丸をきっと睨む。
「なにするんだよ姉さん! 酷いよ!!」
「なにすんだじゃねぇよアルッ! こんな発情期真っ盛りな男と二人きりになんかなるな!! 襲われたらどーすんだッ」
「はつじょ……」
「いーっつも女の話ばっかじゃねーか。発情期じゃなくてなんだっつの」
がっくり、と項垂れてしまったハボックをあわあわと覗き込み、アルフォンスはもう一度姉を睨んだ。
「姉さん酷い……」
「酷くない!」
「姉さんが乱暴者で口が悪いのは知ってるけど、意味なくひとの悪口言うなんて信じられない! なんでそんなに性格悪いの!?」
「悪くなーいッ!! つかお前こそ警戒心なさ過ぎだ! お前か弱い女の子なんだからな!? こんな人気のない場所で男と二人っきりになんかなんじゃねーよ!」
「二人っきりじゃないもんブラックハヤテ号もいるもん!」
「犬じゃねーかよ!」
ちょっと待て論点がずれている、と姉妹喧嘩に胸中で突っ込み、ハボックはひりひりする掌に溜息を吐きながら新しい煙草に火を付けた。
「あー、お嬢ちゃん方、ちょっといいか」
「え、お嬢ちゃ……」
「誰がお嬢ちゃんかーッ!!」
微妙に嬉しそうな妹と激怒する姉。
この二人の反応の違いはどこに原因があるんだ、と考えながら、ハボックはそれぞれの肩をぽんと叩く。
「ま、喧嘩はすんなよ」
「部外者は黙ってろ!!」
「あ、はい、少尉。ごめんね姉さん」
「おま……っ」
怒鳴り掛けた姉はぎらりと光った赤い眼光に開いた口をぱくぱくとさせた。鎧の少女はくるりとハボックへと向き直る。
「大丈夫です、いっつもなんです、姉さんと喧嘩するの」
「あー、まーほどほどにな」
「はい」
素直にこっくりと頷いた姿は到底少女には見えないが、その仕草は妙に可愛らしい。その可愛らしい仕草が馴染んでしまうのだから不思議だ、中身が少女だと知っているせいなのか、と考えながら、ハボックはふと浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「そういや、大将が自分のことオレって言うのはともかく、なんでアルまでボクなんだ?」
「………え?」
「もしかしてあれか、今の姿が女の子に見えないからとか」
「あ、えっと……はい、その」
「違う違う」
もじもじと俯いた妹が頷き掛けたのを遮り、姉はぱたぱたと顔の前で手を振った。
「こいつ昔っから一人称はボクなんだよ。自分で言うほど女っぽくねーからさ。でもまーそこがかわい……ッだ!」
ごち、と音を立てて降った拳骨を脳天にもらい、エドワードが地面に沈む。それを呆然と見遣るハボックの視線からその屍と成り果てた小さな身体を引きずり背後に隠し、妹はえへへ、と笑った。
「生身に戻ったら14歳だし、ちゃんとわたしって言います」
「いや、今も14歳の女の子だろ?」
「え、でも、やっぱりこの格好でそれだと、なんだか変だし………」
可愛らしい声でもじもじと言う少女にふーん、と呟き銜えた煙草を揺らして、ハボックはぽんとその兜を撫でた。
「ま、早いとこ戻れるといいな」
「はいっ」
ん、と薄く笑って頷いて、鳴ったブザーにハボックは顔を上げた。
「んじゃ、俺休憩時間終わりだから」
「あ、お仕事頑張ってください」
「おう、じゃな。3時に司令室に顔出せば多分誰かが茶ァしてっから、話出来るぞ。暇なら来いな」
「行かねーよッ!!」
復活して喚いた姉の口を押さえ込み、妹ははい、と頷いた。その表情の変わらない鎧の面から嬉しそうな雰囲気を読み取って、子犬みてーだなと内心で呟きながらハボックはひらりと手を振り裏庭を後にした。
「…………姉さん」
去って行く長身を手を振りながら見送って、ふと纏う温度を落とし呼んだ妹にエドワードはぎくりと身を震わせる。
「ねえ、ボク、今回こそは邪魔し・な・い・で! って言ったよねえ?」
「い、いや、だってアル………」
「もうどーしてそうなの姉さんてば!? なんで毎回毎回邪魔すんの!?」
「お前こそなんでそう次から次へと男に惚れんだよ!?」
「そんな惚れっぽいみたいなこと言わないで! 姉さんのせいで振られてるだけじゃん!! みんな姉さんのこと怖がって会ってくれなくなるんだからね!?」
「そんな根性ねー男なんかお前から振っちまえ!!」
「大体昔っから姉さんてそうだよね!! リゼンブールにいたときも!!」
「あんな田舎のガキどもの何がいいんだよ!?」
「そんなこと言ってるから姉さんこそ彼氏出来ないんだよ!!」
「いらねーってそんなもんッ!!」
「なんでだよ恋のひとつでもしてもっとしおらしくなってよもうっ! ボクの苦労考えたことあるのー!?」
うわーんっ、と泣き出した妹にぎょっとして、エドワードは慌てて立ち上がりあわあわと宥めた。
「ごご、ごめん、アル、ごめんって」
「もうっ、ボクこんなだし、好きになってもらえるなんて思わないけど! 好きになるくらいいいじゃん! なんで姉さんが嫌がるんだよ!!」
「そ、そんなことないって! お前を好きじゃないヤツなんているもんかよ! そんなやついたら姉ちゃんがぶっとばしてやっから!」
「だって姉さん、ボクを好きっていうひとはぶっとばしちゃうじゃんか」
「んなことしねぇ!!」
「………じゃ、ハボック少尉はいじめない…?」
「お前が嫌がることなんかしな…て、あれ?」
ひょ、と顔を上げた妹の、たった今まで泣き声を発していた鎧の面にないはずの笑顔を見て、エドワードは頬を引き攣らせた。
「アル、テメェ……」
「言質とっちゃった。約束だよ、姉さん」
「おま……嘘泣きかーッ!?」
「鎧が泣けるわけないじゃん。あーボク、わたしって言う練習しなくちゃ。おいで、ハヤテ」
「ってアルてめ、待て!!」
「姉さん、具合よくなったんなら資料室行こ。3時になったら司令室に顔出すんだからそれまでに出来るだけ読み進めなくちゃ明日までに終わらないよ」
早く元に戻らなくちゃ、花の命は短いんだから、とうきうきと言う妹にどっと脱力し、エドワードは空を仰いだ。
「ぜっっっ………てぇ他の男なんかにゃやらねぇからなあぁぁッ!!」
「ボクの夢は素敵なひとのお嫁さんになることなんですー」
邪魔しないでね姉さん、と振り向いた鎧はやっぱり笑っているようで、姉はもう一度空へと吠えた。
|