中尉の憂鬱
「ホークアイ中尉!」
扉の影からひょこりと覗いた金髪頭が、書類の束を抱えて颯爽と通り過ぎようとしたリザを小声で呼んだ。リザは視線を巡らせてぱちり、と眼を瞬かせる。
「あら、エドワード君。どうしたの、おなかが痛いって仮眠室で休んでたんじゃ」
「ちょちょちょ、ちょっとその件で相談が…!」
「その件?」
「ちょ、来て! 頼む!」
扉の影から伸ばされた鋼の右手がリザの腕を捉え、小柄で細いその身体には似合わない怪力でぐいと引き寄せる。大の大人も真っ青だ。多分黒髪の上司あたりでは、この腕と腕相撲をしたら負ける。怪我をするかもしれない。
「顔色悪いわよ、エドワード君。まだ休んでいたほうが」
「休みたいのは山々なんだけど! つか、ちょっと貧血? つか、貧血ってほど出てもねー気がすんだけど」
ぐいぐいと人気のないほうへとリザを引っぱりながらぼそぼそと呟く少女の表情は、多少苦いものの至って平静だ。取り乱した様子はない。様子はないが、それでもリザははたと気付いてああ、と呟いた。
「………もしかして?」
「もしかした!」
「それはおめでとう」
「全ッ然めでたくねぇ………」
はあ、とそこで初めて憂鬱な溜息を吐いて、エドワードはリザから手を離す。リザはそうね、色々準備があるんだわ、と首を傾げ、まず医務室へ連れて行くのが先なのか、と思案する。そのリザの思案を知るのか否か、少女は鋭く舌打ちをした。
「………何をそんなに不機嫌なの。女なら当たり前のことよ」
「あー、そりゃ解ってんだけどさ。つか、むしろ今までよく来ずに済んでたというか」
「あなた身体が小さいものね」
「小さ……っ」
「でも無事に二次性徴が顕われている証拠だもの、そのうち身体も追い付いてくるわ」
「いやそれはどうでもいいんだけど。いや背はどうでもよくないんだけど」
「………旅をしづらくなったとか思っているの?」
「それも思わないではないけどさ、なんつーか……オレってほんとに女だったんだなあって、なんかすげーガッカリ」
妙なことを言う少女に瞬くリザに、少女は少女らしい恥じらいなど微塵もない調子で腕を組み続けた。
「ホラ、オレって胸も全然ねーし声も低いしがさつだしさ、割と本気でそのうちちんこ生えてくんじゃねぇのって思ってたんだよね」
「…………………。」
「子供産む気もないし、子宮付いてるだけ無駄じゃん?」
「……………。……世の中の産めない女性に失礼だわね……」
「ひとはひとじゃん。やれるもんならやるよコレ。つか、どっかに女になりたい男とかいねーかなあ。オレの子宮とそいつのちんこ交換したい」
ああでもそしたら他人のちんこかあ、と呻く少女を眺めてお願いだからもう少し恥じらってよ姉さん、と諌めてくれる巨漢がいないことにふと気付き、リザは軽く額の前髪を払って気を取り直した。
「あなたの希望はともかく、来ちゃったものは来ちゃったのだから、処置はしないと。医務室へ行きましょう。生理用品くらい置いてるはずだから」
「エー。医務室担当の軍医っておっさんじゃん? 半端に若い」
「大丈夫よ、医者なんだから。なにも恥ずかしがらなくても」
「恥ずかしいとかじゃねーけどヤだよー」
「…………男になりたいと言う割に男性が嫌いなのね、相変わらず」
「世の中にオレ以外の男がいなければいいと本気で思うときがあるよ」
いやあなた女の子だから。
喉まで出掛かった言葉を呑んで代わりに小さく嘆息し、リザは少女の筋肉ばかりが発達した細く硬い背に手を添え促した。
「じゃあ、ロッカールームへ。誰かが予備を持っているかもしれないし」
「うん、ごめんな、中尉」
「………いいわよ、気にしないで。女同士だもの」
途端嫌な顔をした少女をしっかりと視界に納めつつ気付かない顔で、リザはロッカールムへと足を向けた。
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