本文サンプル>>> ファイアテイルを指にからめて
 
 視界の片隅のシェードの中で、ちろちろと瀕死の炎が揺らめいている。
 消そうというのかそのぎりぎりまで明かりを絞ったランプに覚束ない動きで伸ばされた指を掴み赤ん坊か動物をあやすように口の中で軽く舌を鳴らして止め、ロイは代わりにそれを消した。瞬寸おいて煤の臭いが鼻を擽る。
 ぱたりとシーツの上に落ちた手の主は再び寝息を立て始めた。暗闇越しにその輪郭を眺め、暫しをおいて先程のようにカーテンを開いたままの窓へと視線を向ける。気怠く青い気配の篭もる寝室は閉め切られたままだが、窓を開き外の空気を取り入れるために子供の体温でぬくぬくと温まった寝台から出るのは億劫で、結局自堕落にずるずると枕に背を滑らせロイは片腕を頭の下に敷いた。隣でもぞもぞと動いた子供が、おざなりにシャツを羽織っただけの裸の脇腹へと額を押し付けるようにして寄り添う。その肩にそっと手を回し、触れた髪をゆるく梳いてロイはまた窓の外を見遣った。
 疾うに日付が変わった時刻ではあったが、軍司令部のあるこの街は完全に眠ることをしない。時折眩しく瞳を刺すサーチライトは常にあるものではなかったが、街の所々を物々しく照らす赤い光は年中無休でこの街を、国の東を守る。
 まだ動きはないか、と再びちかりと瞳を刺したサーチライトに眼を細め、ロイは今月に入ってから俄に活動的になったテログループの首謀者のデータを脳裏に開いた。
 予告があるにしろないにしろ恐らく犯行は来月になるのではないかとの読みが部下と上司のどちらともと合致したため、では今のうちに休めるだけ休めとばかりに副官に司令部を叩き出されてから7時間。計ったかのようにやって来た子供をなんてタイミングだと笑いながら招き入れて、食事を取らせ入浴をさせて少しばかり世間話をし、寝不足だと欠伸をする子供に寝台を進呈すると当然のように引き込まれた。
 覚えたばかりの睦み合いに、興味のある年頃なのも手伝って会えば必ず手を伸ばしたがる子供は、それでも寝不足だという言葉は嘘ではなかったのかいつもならばまだまだ解放はしてくれない時分だというのに、一度終えただけで安堵するかのようにロイの胸の上で眠りこけてしまった。
 体内から引き抜く余裕もなく睡魔に攫われてしまった小さな恋人に苦笑して、少々苦労しながらその身体を引き剥がして、そうしたところでどっと襲って来た疲労感になにもかも億劫になってしまった。本当ならもう一度入浴をして、外側からも内側からも体液を洗い流してしまいたいところだったが疲れた身体にはべたべたと汚れた寝台ですら心地良い。
 そういえばいつぶりの定時上がりなのだろう、とロイは指を折り数えて、途中で嫌気が差してやめた。両手両足すべての指を使ってまだ足りない、それだけぶりの定時上がりで、つまりそれ以上に休暇を取っていないと言うことだ。明日も、午後からではあるが出勤は免れない。
 そろそろ自分も眠ったほうが良さそうだ、と考えて、さすがにその前には入浴をしてこなくてはならないな、と明日の体調を慮ってその億劫さに溜息を吐いたとき、ふっと窓の外が暗闇に満ちた。ロイは咄嗟に眼を瞠る。
「…………おー、ていでんー」
 寄り添っていた、先程まで弛緩していた身体に緊張が走ったのを感じ取ったのか、眠っていたはずの子供ががらがらに掠れた寝足りていない声で呟いた。
「星が見えるぞー…大佐」
 すげえな、都会なのに、と寝惚けた子供が腰のあたりで笑う。
「どこに隠れてたんだろうなあ、この星」
「………寝惚けていないでいいから眠れ、鋼の。朝には復帰する」
「リゼンブールだとさあ……珍しくなかったよ、停電」
 よく電気が止まるんだ、田舎だから、とロイの言葉を無視して続け、エドワードはもそもそと左手で瞼を擦った。
「イーストシティだと送電は安定してんの?」
「しているな。寝ていろ、ちょっと電話を掛けてくる」
「え?」
「仕事だ」
 言い置いて床へと足を下ろし掛けたロイを、鋼の手が掴み止めた。
「鋼の」
「ちょっと復帰したよ」
 ほら、と指差された先を目で追うと、ちらほらと明かりが灯り始めていた。ただそれはあまりに頼りない光で街そのものを覆う暗闇を晴らすことは出来ず、星はまだ瞬いている。
「あれって何の建物? ………東方司令部も明かり付いてる?」
「軍施設と病院だな。独自の送電システムがあるんだ」
 そちらが生きているのならばテロではないか、といくらか肩の力を抜き、それでも聴覚はいつ鳴るとも知れない電話へと集中しながら腕を掴んだままの子供を見下ろす。窓の外には人工と自然の蛍火が瞬いてはいたが、寝台の中はその輪郭すら辿ることが出来ないほどの闇だ。
「眠りなさい」
「……仕事行くの?」
「呼び出しがあればな。だが、ただの停電ならば暗闇に乗じてなにかあったとして憲兵隊の管轄だろう。明日報告をもらうことはあっても、私が呼び出されることはないさ」
「ほんとに?」
「いや、希望的観測」
 言って、勘を頼りに腕を伸ばしランプを掴み、再び寝台から抜け出そうとしたロイの手を未だ子供は掴んだままだ。ロイは軽く腕を引いた。
「離しなさい、鋼の」
「どこ行くの」
「風呂だ。いい加減私も眠いんでね、シャワーを浴びて、あとは寝る。二十分で戻るが、もし電話が鳴ったら知らせてくれ」
 無機の手は離れない。
「鋼の」
「駄目。離れない。手が開かない」
「…………、機械鎧の不調か?」
「そうかも」
 言って滑らかな動きでロイの腕を引き寄せ、エドワードは小指に軽く歯を立て甘噛みした。くすぐったいような痒いような感触に、ロイは眉を顰める。
「鋼の、眠いんじゃなかったのか」
「眠いよ。だからオレが寝るまでいてよ」