本文サンプル>>> こひのつま
 
「昨夜の内に暇だと知っていたのなら、何か考えておいたのだがな」
「ん、用事でも入れてると思ってた?」
 だから酒にも閨にも呼ばれなかったかと一人で勝手に納得すると、幸村はゆらゆらと結い上げた後ろ髪を揺らして頷いた。
「お前、休みとなるとその、は、花街に入り浸るであろう。それで、その……」
「おいおい、人を色狂いみたいに言わないでよ。別に入り浸ってなんかないですよ。偶に遊びに行くだけ」
 呆れた声を上げれば、いやすまぬ、と幸村は慌てて手を振った。
「そ、そう言う意味ではないのだ。ただ、予定があるのだろうと勝手に思い込んでいただけだ。非番に屋敷にいるなど、珍しいだろう」
 首を巡らせていた幸村は、言いながら足を弛めた。一歩後ろを歩いていた佐助が隣へと並ぶと、再び歩みが戻る。
 ざくざくと、凍り掛けたまだ泥濘の乾かない畦を踏み、幸村は抜き残り立ち枯れた畦豆を引き抜いた。実は獣に食われたか収穫されたか、豆幹だけの様だ。差し出されるままに受け取り、小さく折って懐へ突っ込む。
 此れは火種になるのだと、以前何かの機会に教えてから気にする様になったらしい幸村は、鍛錬と兵法と戦に明け暮れた所為で土の事は何も知らぬが、此の所は積極的に彼れは何だ、此れはどう使う、と問うて来る。上に立つなら下の者等の事は知らねばならぬと、信玄に言われでもしたのだろう。
「冷えて来たねえ」
「未だ暫くは、夜が長いからな。……手を」
「ん?」
 掌を向けられ、犬の様にぽんと乗せれば指を絡めて握られそのまま羽織の袖の中へと引き込まれた。童か女かにでもする仕種に、幾度か瞬いて佐助はええっと、と呟く。
「何、一体」
 幸村は手を引いたまま、歩みを弛めず視線も前を向いたままだ。
「冷えておるな」
「そりゃあね」
「指が腫れておる」
「霜焼け、霜焼け」
「忍び働きに支障は無いか」
「毎年の事ですって。俺様は別に、そんなに細かい手技なんかはしないしね。戦忍だもの」
「老婆の様な手だ」
「しっつれいな旦那だなあ」
 むくれて見せて、漸くちらと此方へ笑んだ視線を流した幸村に、佐助はへへと笑った。
「男同士で手え繋いで歩くなんてな、誰かに見られたら、真田の若君も酔狂な事だとか、言われちゃうよ」
「誰もおらぬだろう」
「誰かが来たら困るでしょって話」
「案ずるな。吹きっ晒しの合間だけだ」
 微妙に食い違う会話を意図してやっているものなら此の狸が、と毒突く所だが、幸村の場合、常に真摯であるから質が悪い。
 仕方が無いな、と溜息を吐いて、佐助は温かな手に握られるまま、捕らえられていない右手を己の懐に突っ込んだ。
「温泉にでも行ければ良かったが」
「俺様は休み、明日までだからね。つか、行きたいんなら誰か見繕って行って来れば良いんじゃないの」
「お前を連れて行きたかったと、そう言う話をしているのだ」
 うーん、と呟いて佐助は唇をへの字に曲げた。雪混じりの木枯らしに、寒さに荒れた頬がひりひりと焼ける。
「……旦那が厭だって言うなら、女のとこには行きませんよ」
「何?」
 止めた足に合わせて立ち止まると、幸村は真ん丸くした目で顧みた。
「その様な事は、言うておらぬだろう」
「構わないの?」
「まあ……その、大っぴらにする事でも無いとは思うが、けしからん等と喚いては、その、士気にも……拘わるものなのだろう」
「嗚呼、」
 真田を負って立つ主たろうと懸命な様子の幸村に、そうじゃなくって、と苦笑に目元を緩ませて、佐助は俯き鼻の脇を人差し指で擦った。ざらざらと硬い裂けた指の皮が、引っ掛かって痛い。
「兵の話じゃないよ。俺の事」
 幸村は首を傾げた。
「構わぬぞ。お前とて男だ。女子に触れたくなる事はあろう」
「あれ、物分かり良いね、旦那」
「そうでなくば、春をひさぐ女子等が、飯の食い上げであろうからな。おれは朴念仁故、花街の者等に充分な配慮などしてやれぬから」
 ならば少しでも、兵を通して還元してやらねばなるまいと生真面目に言う幸村に、やっぱり良く判ってないんだなあと、佐助は小さく嘆息した。
「何だ、溜息など。言いたい事があるのなら、はっきりと申せ」
「いや、良いよ。忘れて、忘れて」
「気になる」
「いや、本当大した事じゃないって。あ、それからね、色を商売にしてる連中ってのは、金の無い兵や武家じゃなく、羽振りの良い商人達の方が付き合いは深いんだ。あんたが気にするこっちゃねえし、あんな水物の商売、偶にきゅっと締めてやるくらいで丁度良いんだからね」
「うむ……?」
 首を捻り、難しいものだなと真面目な顔をして、幸村は再度歩き出した。手は温かな袖の中に未だ捕らえられている。
 絡めたままの指が時折力を込めてしっかりと握り直し、少しばかり湿るその掌に、此の季節に温石を抱くでもなく手汗を掻く等、と佐助は幸村の体温の高さに少しばかり呆れた。
「佐助」
「はい?」
 呆れを咎められるか、と軽く首を竦め、いらえを返せば幸村は白い息を吐きながら、僅かに口元に笑みを浮かべた。
「お前、近頃色々と考えておる様だが……」
 ちら、と横目に視線を寄越して幸村は笑みを深めた。