本文サンプル>>> すみのみざくら |
明日朝に伺います、と言って昨夜辞した忍びは朝餉を終え、届いた書状に目を通し終えてもやって来なかった。 昨夜は確か塒には帰らず城に泊まった筈であったし、忍隊の他の者はいつもと変わらず夜勤の者と交代を終えて動いている。試しに一人二人捕まえて訊ねてみても知らぬ、今日は姿を見ておらぬと首を振られるばかりだ。不慮の事態に陥り、夜明けを待たずに出掛けたと言う事でもなさそうだ。 つまり、未だ忍長屋に籠もっている、その可能性が高い。忍隊隊長だけが怠けていると言える状態である。 滅多に無い事ではあるが彼れも人の子、腹でも下したか、しかしそれなら誰か言伝にでも来そうなものだ、ならば起き上がれぬ程具合をおかしくして臥せってでも居るのか、と忍び長屋へ赴き、次々現れる気配に何でもないと手を振って、幸村は佐助の部屋の前へと来た。隊長だけあって長屋の一番良い場所に一人部屋を構える佐助は、しかし此の部屋にもいつでも居る訳ではない。 塒にもほとんど寄り付かず自室にも寄らぬとなれば、根無し草にも似ているなとどうでも良いことを考えながら、幸村は障子に手を掛けた。 「佐助、入るぞ」 言葉途中でがらりと開ければ、敷かれた布団が人の形に盛り上がったままだった。とは言え中身はない。抜け殻だ。 「佐助」 近頃頓に冷えて来たな、と背に吹く縁側からの風に懐手を組みながら、幸村は天井を見上げ、押入に目を遣りしながら名を呼んだ。返事はない。 「おらぬのか」 問い掛けながらも板間を踏んで室内へと入り、抜け出た跡へと手を差し込む。ひんやりと冷えている。足音を聞き付けて慌てて姿を眩ました、と言う様子では無い。 「……おらぬのか」 呟き、膝を突いた躯を起こし掛けて、幸村は再び素早く屈み込んだ。 「と、見せ掛けて───そこだッ!!」 抜け殻の布団の端を掴み、がばあっと剥いで何もない敷き布団を眺め、む、と幸村は呟いた。 「確かに佐助の気配があったと思ったのだが………ん?」 くり、と首を捻り、幸村は部屋の隅まで吹っ飛ばした布団を見遣る。何かがもぞもぞと動く気配がしている。 「何奴ッ!!」 誰何に答えぬ小さな何かは必死にこんもりと落ちた布団の下で藻掻いてはいるものの一向に出て来ない。 「だ、大丈夫か」 これでは窒息するやも知れぬと幸村は慌てて駆け寄り、布団を退けた。───ところで、固まった。 「ちょ、旦那、酷ェんじゃないの此れ!」 「ば、お前が素直に出て来ないのが悪いのだろうが! その上布団に掴まって更に逃げようとするなど、」 「別に逃げようとしたんじゃねえんだけど………」 はは、とぎこちなく笑い、佐助は赤ん坊の指よりずっとずっと細いそれで、ぽりぽりと己の頬を掻いた。 「佐助」 幸村は至極大真面目な顔で、床に這い蹲って佐助の顔を正面から覗いた。 「裏の稲荷の供え物を盗み食いしたのは、お前であろ───ぐおッ!」 小さな拳が人中にめり込み、ごろごろと悶絶する主を余所に畑の鼠ほどの、つまりは掌に乗るほどの大きさに縮んだ佐助は腕を組み、溜息を吐いた。 |