本文サンプル>>> タナトス |
「馬鹿だねえ。今こそ有無を言わさず息を止めるとこだろう」 ゆるゆると雲が動いて、時折月の光が差す。しかし其の光の筋も声の主を避けているのか、影は未だ影のままだ。影からは、同族の匂いがした。 何処の、かは判らないが、忍びだ。 影はちょいちょい、と佐助の背後の骸を指した。 「そいつに、見られただろう? 見られたからには生かしちゃおけないよ、仕方が無い」 「けど、目が見えて居なかった」 「そんな事、咄嗟には判りゃしないよ。見極めようと思ったらお前、逃げられるかも知れないぜ」 優しげに言い含める様な、子供に向けた言葉に佐助はかあと耳に血が上るのを感じた。ざわと頭の奥が鳴る。 「けど、俺にもっと腕があれば、殺さずに済んだ!」 握り締めた拳が震える。拳の震えは腕へ、肩へと直ぐに伝播し、背なが震えたと思えばもう全身が震え始めて細い足ががくがくとした。必死で握る拳にも、力が入らない。 「こ……こんな、小さい子……侍でも忍びでもないのに」 「侍でも忍びでも、敵ですらなくたって、始末しなくちゃならない事はあるさ」 「見てなかったのに……!」 再び吐き気が込み上げて、ぐうと喉を鳴らすと鼻の奥がつんと痛んだ。涙が込み上げて、歪んだ視界に佐助は顔を顰める。 「お……俺の目が、もっとよく見えてれば」 「此の闇夜だ、仕方がないさ」 「だけど」 「一瞬の間に、悲鳴でも上げられちゃあ堪らないだろ。それにお前、顔を見たら、殺せなくなっちまうかもしれないぜ」 怯えて震える、小さな女の子なんて、と宥める声が言って、佐助は涙を浮かべたまま影をもう一度見た。ごし、と袖で顔を拭う。 「………あんた、」 「おっと、こっちに来るんじゃないよ」 え、と眉を顰め、ふと変わった風向きに血の臭いを拾い、佐助はふいに頭を擡げた警戒に、腰を低く落とした。掌に滑らせた苦無を構える。 「あんた、何者だ?」 「おやおや、顔付きが変わったね。それだけの事なんじゃないの。冷たいねえ、子供とは言え、流石は忍び」 忍びにとっちゃ、心なんか偽りだもんねえと喉を鳴らして笑う声は低く飽く迄優しいが、その妙に癇に障る口調に佐助はじり、と足の裏半分だけ後退る。左手に苦無を構えたまま、腰の後ろの忍び刀の柄を握りそっと鯉口を切れば、耳聡い忍びの耳が、まったく身動ぎしていない様に思える影が、武器を取った音を伝えた。ほんの僅かな、金属の音だ。 ゆっくりと、月が姿を現して、影の足下を照らして行く。爪先が見え、黒装束の臑が見え、広がる月光の陣地に、その足下の惨状が含まれて、佐助は首筋の毛を逆立てた。 頭が爆発した様に脳漿を飛び散らせた侍は、暗器で殺害されたものではない。しかし月光に浮かぶ足を包むは、確かに忍び装束だ。 ───戦忍だ。 互いに姿を表している此の状態で、戦闘に特化した戦忍と戦って勝てる筈もない。 |