本文サンプル>>> さよならだけが人生だ |
「真田幸村だ。よろしく頼む」 これ、真田、と簡単に、というよりはかなり投げ遣りに紹介した偉そうな見た目と言動に反して意外と細やかな友人にしては珍しい態度に瞬いていると、斜向かいに座った一つ下だという青年は緊張した面持ちで名乗った。真っ直ぐな視線が瞬きもせずに見詰めてくる。 ちょっと怖いくらい真っ黒な目だな、と考えて、それから佐助はいやそうでもないか、と思い直した。どちらかというと茶色の瞳だ。 ただ、瞳孔が普通よりも大きな気がした。そのやたらとくっきりとした瞳孔のせいで黒い瞳に思えたのだろう。 「そーんな緊張しなくても取って食ったりしないって。なに、後輩だからって政宗にいじめられてんの?」 「そ、そんなことはない!」 緊張を解くほぐそうと軽い口調で言い、慌てて両手を振った幸村と頬杖を突いたままじろりと目付きの悪い目を流した政宗に冗談だって、と笑って佐助はぺこり、と戯けた仕草で頭を下げた。 「前田佐助です。よろしくー」 「え?」 名乗った途端跳ね上がった声に顔を上げると、幸村が目も口もぽかんと開けたまま見詰めていた。その間抜け面に佐助は政宗を見遣る。政宗は軽く片手を上げた。 「ワリ、俺が猿飛っつっちまった」 「あ、そゆことか。んじゃ猿飛でいいよ」 「何? ど、どういうことだ?」 「あー、なんていうか、」 「こいつは養子なんだよ、前田の」 見知らぬ相手にどう説明しようか、と考えあぐねて首を捻る当事者を余所にさっさとばらした政宗をちらりと睨んで唇を尖らせ、佐助はぺしぺしとテーブルを叩いた。 「ちょっと旦那ァ、あんたなんでそういうの勝手にばらすわけ?」 「なんだよ、隠してねえだろうが」 「ねえけど、もうちょっとひとんちの家庭の事情聞くのにためとかあんじゃん」 「Ha、あるかそんなもん。かわいそがらせてからかうつもりなら他の当たれよ。こいつ生真面目だからな、冗談だっつったって本当は辛いんだろうとかなんとかぐだぐだ言いかねねえぜ」 「あ、そういう子なの?」 そりゃめんどくさいか、と頷き、置いてけぼりで自分達の顔を交互に見ていた幸村に佐助は悪い悪い、と笑った。 「俺の親って中学くらいのときに死んじゃってさ、金は問題なかったんだけどうちって親類縁者いねえから、子供が一人でいるもんじゃないっつって親父と付き合いのあった前田さんちが引き取ってくれたんだよね。んで、いろいろ手続きとか面倒になるし俺が独り立ちするまで前田姓でってことになってんの。まあ俺様ひとりっこだし、猿飛姓って他にいねえから大学終わったら戸籍戻すつもりでいるんだけどさ」 「…………その、」 「あっ、別に同情とかはいらねえぜ? 今時片親とか珍しくねえし、俺様はたまたま親が早く死んだだけだしさ。俺んとこの親って結構年寄りだったんだよね。母親はまあ病気だけど、親父は寿命くらいっつうか。普通ならじいちゃんくらいの年」 「う、うむ」 頷きながらもまだ納得しかねる様子でいた幸村は、僅かに俯きもじもじと組んだ手を動かして、それからそろりと佐助を上目遣いに見た。 「その……前田、というのは、もしや利家殿か、まつ殿の……」 佐助は瞬き、幸村を指差し政宗を見た。 「あれ、うちと知り合い?」 政宗は何を考えているかも解らない無愛想な顔のまま、手を付けていなかったコーヒーの蓋の飲み口を開けた。プラスチックのはまる小さく硬質な音が、ぱち、とやけに響く。 「名前知ってるだけじゃねえか? あんたんとこの道場は有名だろう」 「いや、俺様よく知らねえけど、あれ? でも古武道だよ? このひとあんたと剣道の大会で競ったんじゃなかったっけ?」 「大会は剣道だったが、俺も剣道だけしてるわけじゃねえしな」 「そっ、某は他に、空手も柔道も弓道もやっておる! 某の師は古武道の道場主であるからそちらのほうも」 「へえ?」 すげ、武闘派、と目を丸くした佐助に幸村はふいに誇らしげに胸を張った。 「しかし何より得意なのは槍術だ!」 「はあ、ソウジュツ? て何?」 がく、と本気で脱力したのか幸村が椅子から転げ掛けた。何このひと芸人なの、と首を傾げた佐助に溜息を吐き、槍だ槍、と政宗が呆れた顔をする。 「こいつは槍の名手」 「へー、槍か。そんなのあるんだ」 「そりゃあんだろ。宝蔵院流槍術とか言うじゃねえか」 「何それ」 知らない、とかわいいふりで笑った佐助にまた溜息を吐いて、まあいい、と政宗は複雑そうな顔をしている幸村を見た。 「ま、こういう奴でな。武道はなんにもしてねえよ」 「そ、そうなのか?」 意外だ、とでもいった顔をした幸村にそんなに政宗の周りって格闘家ばっかだっけ、と首を傾げ、思い浮かぶ武闘派の面々を脳裏で確認したしかにそんなのばっかだな、と佐助は一人頷いた。警察に迷惑を掛けて歩いていたわけではないが高校時代のこの友人の周りにはいわゆる暴走族のような連中がたむろっていたし、第一政宗の実家は所謂ヤクザだ。今は企業ヤクザといったところらしいが、出入りしている連中は皆強面だ。 「そういやあんたさ、なんでソレガシなの」 「え」 ふと気になったことを尋ねると、完全に虚を突かれたようで幸村は短く言葉を喉に詰め、ええと、と呟き額を掻いた。佐助は両手でカフェラテの紙コップを包んだまま身を乗り出し顔を近付ける。 「どのとか。普通ないっしょ。あんたオタクのひと?」 「お、おたく?」 「オタクって独特な口調好きでしょ」 「おたくというのがよく解らんが」 本当に解っていない顔で言って、幸村はすまなそうに眉尻を下げちらと政宗を横目で窺った。 「政宗殿にも以前から再三注意はされておるのだが、どうも直らぬでござる」 「ござるとかも言っちゃうの」 「う、うむ。その、普段は普通に話しておるのだが、政宗殿の前だと、その、何故かこうなってしまうのだ」 「他のひととは普通なの?」 「いや、おれの師であるお館様の前でも──だっ」 何故か政宗にげしっと臑を蹴られた幸村がしきりに痛がっているのを首を傾げて眺めながら、佐助は頬杖を突いた。ちら、と先程までメールのやり取りをしていたテーブルの端においていた携帯を見る。知らぬ間に着信があったようだ。 「オヤカタサマねえ。それも時代掛かってるなあ。毛利の旦那みたい」 「え、」 「ごめん、ちょっと俺様電話してくる」 目を丸くして見上げる幸村と問う目を向けた政宗を交互に見、佐助は立ち上がりながら携帯を持ち上げ示した。 「いえやっさん。さっきからちょこちょこヘルプのメール来てたんだよね」 「石田か?」 「そーみたい。あのひともかっわいそ」 ひひ、と歯を剥いて笑い、追い払う仕草で手を振った政宗とまだ目を丸くしている幸村に直ぐ戻る、と言い置いて、佐助は店の外へと出た。 「い、石田殿と徳川殿とは、もしや」 「いるぜ。家康はまだ高校生だけどな、石田は三十路近いんじゃねえか?」 幸村は慌てたように身を乗り出した。 「徳川殿はまだ命を狙われておるのでは!?」 「そういうんじゃねえようだが、……Uh、いや、解らねえな。もしかすればそうなのかもしれねえ。石田の野郎は今もCrazyだしな、あんたとは違う意味で」 「某のどこが狂っているのでござるか」 「自覚がねえあたりが重症だな」 ず、と冷めてしまっただろうコーヒーを啜り、案の定まずかったのか眉を顰めて政宗は紙コップを置いた。幸村はもじもじと組んだ指を動かす。その仕草になんだ気持ち悪いな、と政宗が顎を引いた。 「その、政宗殿。貴殿の周りにはどの程度あの頃の者が集まっているのでござろう」 「集まってなんかねえよ。生まれた時から側にいたってのはうちの親二人と小十郎くれえだし、その後は佐助に会うまで誰とも会ってねえ。佐助と中学で同じクラスになって、二年の時に中総体で一年のくせに出て来たあんたと会っただろう。あの時にはあんたが思い出してるとは思わなかったからな、敢えて Throughしてたんだが──その頃か、佐助が前田の家に養子に入ってあそこんちの夫婦と会って、それから慶次だな。高校入ってからだが、慶次伝手で大学の先輩だかなんだかの長曾我部と毛利に会ったんだ」 「け、慶次殿もいるのか!?」 「憶えているかどうかは知らねえがな」 「慶ちゃんがどうかした?」 気配を感じなかった。 びくん、と椅子から飛び上がった幸村を横目に、いつの間にか戻って来た友人におう、と政宗は目を向けた。幸村は慌てて振り向き鮮やかなオレンジ色の髪を凝視する。 「三十路くれえだよな」 「え、慶ちゃんが? まだでしょ? 長曾我部の旦那たちのいっこ下だもん。二十七くらいじゃない?」 「そうだったか? 石田と同じくらいじゃなかったか」 「みっつーいくつだっけ? いえやっさんとひと周りくらい違った気がするからむしろ長曾我部さんとこより上じゃねえの?」 みっつーて、と呆然と呟いた幸村とその反応に失笑した政宗を余所に、佐助は空いた椅子に置いていた上着と鞄を取った。 「ごめん、俺様行くわ」 「Huhn?」 「今日は本格的に石田さん様子おかしくてどうにもならんってさ、ちょーヘルプだった」 はは、と困った顔で笑い、佐助は上着を着た。 ───行ってしまう 「佐助!!」 折角巡り会えたのに、と思った瞬間、幸村は名を叫びテーブルに手を突いて身を乗り出していた。ばん、と思い掛けず大きく響いたその音に、袖を通し掛けていた佐助が緑色の目を向ける。 髪の色こそここまで明るくはなかったもののかつての佐助も緑掛かった色の目をしていたために不思議とも思わなかったが、よく考えれば日本人にはない色だ。 「え、なに、どしたのでっけえ声出して」 つうか呼び捨て? と首を傾げた佐助にすすすすまぬ、とあわあわと両手を振り、幸村は慌てて言を継いだ。 |