本文サンプル>>> 地月に墜つる
 
「刑部」
 大谷はいつの間にか星の河を、その遥か下を墜ちて行く流星を見詰めていた目をはっと上げた。思案の間ずっと待っていたらしい家康が、静かな顔でこちらを見ている。
「………頼みとは」
「ああ。忠勝をな、連れて行ってくれないか」
「何?」
 家康は忠臣を顧みて苦笑し、その守護者の厳つい手をぽん、と叩いた。
「後から追うから先に行けと言っているのに、きいてくれんのだ」
「何処へ」
「何処も何も、」
 家康は目を丸くした。
「地獄に決まっているだろう」
 大谷はまじまじと鉄壁の主従を見た。忠勝は相変わらず唇を引き結んだまま何も言わず、その眼差しで主を見ている。家康は何でもない顔でけろりとして、童のように気安い仕草で首を傾げた。
「何を不思議がっているんだ、刑部」
「主は菩薩を名乗っておきながら、地獄へゆくつもりであるのか」
「徳川家康は陽となろうとした武将だが、わしはただのひとだ」
「ん……?」
 大谷は顎を撫でた。
「………主は徳川家康ではないのか」
「いや、家康だ。だが、陽となったのはわしではない。皆が東照権現と呼び、わしがそう名乗った天下を目指した男のほうだ。わしはその、影のない男の顔をしていただけだ」
 上手く出来たとは思わんがな、とまさに影も裏も屈託もない笑みを浮かべ、家康は腰に手を当てた。一見自信にあふれた姿にも見えるのに、ただただ眩しいだけで卑屈な己の目にも何一つ嫌みが見出せないのは、この男が童の顔をするからだ。
 年の割に酷く老成した部分があるくせに、家康は幼い子のような稚気を持ったままだ。三成もまた頑是ない童のような頑迷で未成熟な部分を持つが、それとは根本が違う。
 だが、その嫌みのなさを大谷は酷く嫌っていた。己の醜さを浮き立たせる家康の正しさが嫌いで嫌いで、けれどそれでこそ恨み辛みも増すものと、ほくそ笑んでもいた。
 言い方を変えれば、それが好もしいと思っていたということだ。己のうちに醜い感情を呼び起こす家康を、大谷は気に入っていたのだった。
 それが、ただの仮面であると家康は言う。
「主は己が地獄へゆかねばならぬ罪を犯したと思うのか」
「ああ、数え切れないほどだ」
 大谷はゆっくりと目を細めた。いつでもちらちらと光が瞬くような、視力も大分衰えていた夜闇でなくては気の休まらない目は今は落ち着いた視界を見せている。
「………太閤を裏切ったことか」
「いいや」
「ならば三成を裏切ったことか」
 そうであろ、こやつは苦しんでおったのだから、とくうと口角を吊り上げ嗤うと、予想に反して家康は笑みの落ちた顔をふと星の河へと向け、いいや、と否定した。
「友の信頼を裏切ることになる、それは心が苦しかったし、秀吉殿を失った三成の苦しみと悲しみを思えば足が竦むこともあったさ。だがわしは間違ったとは思っていないし、後悔もない」
「……何だと?」